「捜査」(スタニスワフ・レム)分析ノート2

黒 月 樹 人 2004/01/05

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 スタニスワフ・レムの「捜査」という小説を読んだ。重要だと思われるところにはマーカーで色づけしたので、すぐにでも読書感想文が書けそうだった。しかし、訳者などがまとめている書評のような感想になってしまいそうなので、もう少し深く調べてみようと考え、思考言語を用いて要点をまとめてみることにした。小説の全体像を鳥瞰してみようというのである。ただし、ここでは、思考言語によるノートの内容に基づいて、自然言語で記述してゆくことにする。

 第1章は導入であるが、情報が満載されていて、かなり複雑になっている。なぜなら、ここで取り扱われている事件は、初期的なものから数えると9件にものぼるからである。また、この小説での事件というものは、犯人をたやすく想定できないものらしい。それでも、なんとか犯人を仮定して、捜査を続けてゆかなければならない主人公のことが述べられているのだから、物語はどんどん膨らんでいってしまうことになる。

 第1章に現れる登場人物は、次の5名である。シェパード主任警部、グレゴリイ警部補、シス博士、ファークォート(役職不明、主任警部に命令され警部補に命令できる立場なので、おそらく警部)、ソレンセン(検死医)。グレゴリイ警部補が主人公であることが分かるのは第2章になってから。この第1章では、シェパード主任警部のオフィイスで、一連の事件についてのミィーティングが行われる。事件の報告への関わり方から、最初はファークォートが主人公なのだろうかと思ってしまう。しかし、ファークォートが活躍するのは第1章でだけで、あとは脇役に引き下がる。物語の全体にわたって主人公にかかわってゆくのは、シェパード主任警部とシス博士であり、主人公を含めた、これらの3者が、それぞれ3様の考えを主張して、この物語をパン生地のように醗酵させてゆくのである。

 第1章の主題について説明する。ここでは、まず、この物語のテーマとなる異常な事件が述べられてゆく。起こった町がそれぞれ異なるので、町の名前で区別してみよう。@エンゲンター事件、Aプランティング事件、Bシャルタム事件、Cディーパ事件、Dトリークヒル事件、Eスピトゥーン事件、Fラブァリング事件(解剖研究所事件)、Gブロムリー事件,Hルーズ事件が、この第1章で報告されるものである。最初の4つの事件では、事故死(溺死)や病死(心臓発作)などによる死体が、夜中に少し動かされているというものである。棺桶の中で死体が寝返りを打ったようにうつぶせになっていたり、棺桶の外に投げ出されていたりする。これらのことは、葬儀屋が不審に思うだけで、死体を元の状態に戻すことができ、警察が問題にするようなことではなかったが、後の事件と関連しているので集められてきたようだ。ところが、トリークヒル事件では死体が消えてしまったのである。ここから正式な死体消失事件が始まることになる。以後、ルーズ事件まで、5体の死体が夜中に消えている。

 グレゴリイ警部補の捜査報告で、これらの事件が、証拠らしい証拠を何も残していないことが述べられる。管理がしっかりしていた解剖研究所での事件では、窓も完全に施錠されており、完全な密室から死体が消えたと説明される。解剖室に犯人が隠れる場所もなかった。

 全体のミィーティングで、幾つかの証拠じみた出来事が紹介される。ルーズ事件では、葬儀屋の従業員が死体を移動させる必要があったので、死体に触れたとき、冷たくなかったと主張していること。しかし、この死体が死亡したとき医者が死後硬直を確認しているので、従業員が触れるころには当然冷たくなっているはずなのである。次に、解剖研究所での死体は裸であったはずだが、医者の上着一着と白いズボン二本が無くなっていること。これに関連して、やはり裸に近い(経帷子が着せられていただけの)死体が置かれていたルーズ事件では、どうやら黒いカーテンが引きちぎられているらしいし、死体のあごに貼る絆創膏もひと巻き消えているのである。

 ここまでは、ごくありふれた事件報告の場面である。この後、シス博士がこれらの事件を分析してゆくことで、視点を変えざるをえなくなってしまう。

 シス博士は、これらの死体消失事件と、その前にある、死体移動事件(前駆的段階とされるもの)における共通点を幾つか述べてゆく。一例(Cディーパ事件か?)を除いて、すべて働きざかりで死んでしまった死体であること。やはり一例(Dトリークヒル事件)を除いて、何らかのおおい(普通の衣服、医者の上着と白ズボン、黒い布地のカーテン)が死体に用意されていたこと。剖検(解剖による検査)がおこなわれた死体は一体もないこと。F解剖研究所事件を除いて、誰でも入室可能な死体置場で事件が起こっていること。ここまでの考察は、他の者が語ったとしてもおかしくないものである。ところが、このあとシス博士は、用意させたスポットライトで、部屋にかかっている地図と、それに重ねた大きなトレーシング・ペーパーの情報を見比べることができるようにして、これらの連続事件における、数学的な法則性というものを説明した。

 地図上で事件が発生した場所を確認するだけでなく、そこに、事件が発生した(日付も考慮した)時間を考慮してゆくと、これらの事件は外側に広がっているということが示される。これだけなら、犯人の行動パターンを追跡したにすぎない。しかし、これらの関係の中に、事件が起こった場所の平均気温を組み込むと、時間と距離と温度を変数とした数学的な公式が導けて、「これにより、一秒と一度につき五センチから九センチの定数が得られる」と結論づけられるのである。平均値の七センチを用いて、広がっている現象の逆をたどって中心を求めると、死体消失事件が始まった(D)トリークヒルにあるのではなく、前駆的段階に含まれる(@)エンゲンターや(C)ディーパなどの町あたりになるという。さらに詳しく調べたところ、「この現象の幾何学的中心」は「(B)シャルタムの西南およそ十八マイル」の「チンチェスの沼沢地と荒地」であるという。残念ながら、この中心地に何があったのかということは、この物語では追求されていない。

 シス博士の分析では、他に二つの要素が事件と関係しているらしいと示唆される。その一つは「現場に霧がでていたこと」であり、もう一つは「ある種の家畜(猫や犬)が現場付近で目撃されていること」である。これらの猫と犬は、その後、死体で発見される。

 このあとのミィーティングで、犯人像の検討がなされる。「死姦症(の人間)」「ある種の精神異常者」「ある種の科学者」「偏執病(患者)」「数学の才能をもった精神病患者」などである。これらの幾つかについては、議論で否定されるが、否定されないものもある。

 (H)ルーズ事件では、死体紛失の通報によって非常線が張られた時刻(四時五十分)と、最後に死体があることが確認された時刻(三時)とがはっきりしているので、死体を運び出したとされる犯人が、そのときの非常線を突破する手段について検討される。車はもちろん徒歩や橇でも不可能だと考えられ、ヘリコプターの案が出るが、現実的ではないと否定される。

 少し静寂があったあと、シス博士が、この現象の数学的な法則から導かれる予言を行い、行動の指針が決まる。つまり、次の事件が起こるとしたときの、地域を推定したのである。これまでに事件が発生した区域の外側に広がる、「わずか幅21マイルの環状の細い帯」にすぎないというわけだ。「そこには、病院が十八ヵ所、それから約百六十ヵ所の小さな共同墓地がふくまれている」と付け加える。物語ではあえて言及されていないが、次に起こった事件で明らかになるように、これらの場所を警官が24時間体制で調べるという対策がとられたようだ。

シス博士の退室で、ようやくこの第1章が終わる。

 第2章ではミィーティングの散会が述べられる。事件を引き継ぐ者が誰になるのかが決められていないままである。グレゴリイの行動に焦点があてられて描写されてゆく。グレゴリイが主人公であることが分かる。グレゴリイの帰路、町のアーケードの奥にある鏡で自分の像に戸惑う。他人のように見えていたのだ。パブの「エウロパ」にてシェパード主任警部からの電話を受け、シェパード宅に呼び出され、本件を担当することを告げられる。シェパードと会話。これらの事件の数学的な側面から、犯人が見いだしにくいことが述べられる。

 グレゴリイは自宅に戻る。自宅といっても、老いたフェンショウ夫妻の家の一室を間借しているのだ。この夫妻の謎について語られる。ミスター・フェンショウの部屋がグレゴリイの部屋の隣にあって、夜中に変な物音がするのである。一晩中続くし、何故だか分からないので気になって眠れない。この謎が物語の中で時々現れてゆく。この第2章では、事件に関わる情報量は比較的少ない。

 第3章の最初でも、グレゴリイの平凡な勤務状況が述べられる。無駄な一日とでも言えるかもしれない。物語の最初に多量の情報が提示され、謎が謎のまま積み上げられ、練りこまれて、醗酵が進んで膨らむときの、静かな待ち時間のようなものかもしれない。

 物語が動きだす。(I)ピッカーリング事件が報告される。死体の窃盗未遂事件である。死体は消えたわけではない。動かされただけか。ただし、死体を見張っていた警官(ウィリアムズ)が車に轢かれたので、事件の真相がすぐには明らかにならない。一連の事件を担当するグレゴリイを中心に、検死医、鑑識、カメラマンなどの調査隊が編成され、現場に向かう。この後は、現場における調査の描写が続く。

 第4章はグレゴリイがまとめたピッカーリング死体窃盗未遂事件の概要報告書から始まる。第3章での現場状況の描写と、この第4章の概要報告書から、この事件における重要な謎の幾つかを確認しておかなければならないだろう。

 「死体置場周辺で発見した足跡」というタイトルがついた項目の「3 死体の左足とみなされる裸足のきわめて鮮明な跡が、死体置場のこわれた窓のすぐ外側で認められる」ということと、「4 窓から建物のかどをまわってドアに続いている跡」が「誰か四つん這いで歩くか腹ばいで這ってできたものらしい」ということである。これらのことは、「所見」の項目のところで、さらに強化されている。間違いなく死体によって付けられた跡だと述べられる。もうひとつ重要な謎は死後硬直についてのものである。死体が安置されるとき葬儀屋が、死体の手足には死後硬直の徴が現れていなかったと言っている。さらに付け加えておくべきなのは、猫が死体置場の中にいたということであろう。

 シェパード主任警部とグレゴリイ警部補とで、このピッカーリング事件の犯人の行動についての議論が始まる。しかし、謎は解決できない。シェパード主任警部のところに、シス博士から、死体消失事件は、これ以上起こらないという、再び予言めいたことが伝えられていることをグレゴリイは知り、シス博士の自宅へと向かう。

 第4章の後半では、シス博士の新たな仮説が展開される。一連の死体消失事件の分布と癌の死亡分布とが強い関連をもっているということから生まれた仮説である。つまり、イギリスにおける癌の死亡分布状態を調べたところ、最も死亡率の低い地方が死亡率の高い周囲に囲まれて、飛び地のようになっているが、ちょうどその飛び地の中に、今回の死体消失事件の区域が含まれているというのである。また、死体の消失が始まった中心地は、「癌の死亡率が最低水準に達した場所」である。温度などの影響で、死体が消えるという現象が広まっていったが、一番最近の事件では、飛び地の境界に達し、飛び地の外では死体が消える可能性がないという。飛び地の境界から遠いところでは、死体に大きなエネルギーが与えられて、死体が遠くまで動くが、境界に近いところでは、死体に与えられるエネルギーが少ないので、死体は遠くまで動けないとシス博士は説明する。一番最近の事件では、死体置場の外までであった。二人が語り合っているところに、警視庁から電話が入ってくる。内容は、消えた死体のひとつが、ペヴァリ・コートの大貯水槽の底で見つかったということである。次の第5章で明かされるが、この電話はグレゴリイが仕掛けたものである。グレグソンという同僚に依頼しておいたものらしい。シス博士の反応を見るために。しかし、シス博士はまったく動揺する様子もなく、自説の証拠が現れたことに満足していた。「これでぴったりと合う。全部でてくるぞ......」とシス博士は語る。

癌の死亡率が低い飛び地の中で、死体が動き出す現象が生じるというシス博士の仮説は興味深い。SF作家の小説なのだから、本当らしく嘘を語るのは当然のことなのだろうが、このような仮説が、本当の現象に巧みに近づいているふりをして、実はまったく外れているということが、実際の科学的な仮説の中にも、たびたび存在する。この物語において、動く死体と癌の死亡率との関係は、小道具の一種として扱われているので、あまりこのことの信憑性を問う必要はないだろう。

 第4章はシェパード主任警部がグレゴリイ警部補の自宅で待っていることが明らかになるところで終わる。これにはグレゴリイも驚くだろう。

 第5章はシェパードがグレゴリイの失敗を責めるところから始まる。シス博士の反応を見るために電話をかけさせたことである。仮にシス博士が犯人だとしても、そのような小細工は疑惑の警告とみなされ、その後犯人は警戒して何も手がかりがなくなってしまうとシェパード主任警部は述べ、「シスが怪しいと一言わたしにいってくれなかったのは誠にもって残念だ!」と続ける。後にシェパード主任警部は、シス博士のアリバイを保障してしまう。「ルーズで死体が消えた日は――(中略)――シスはわたし(シェパード)の家にいた」ということだ。

 シス博士の統計学的仮説からグレゴリイが思いついた、3つの仮説についてまとめておこう。

仮説1 癌の突然変異ウィルス説 癌を生じる、ある種の特殊な突然変異ウィルスが、死体と共生関係にあって、死体を動かしているというもの。

仮説2 微小な情報蒐集器説 外界からの、知性をもった、ある存在が、人間のことを調べるために、人の眼には見えないほどの微小な情報蒐集器を死体に入れて、人間という装置の機能を、動かすことによって調べているというもの。

仮説3 聖書の復活との関連説 死体を動かすものはX要因としておくが、これが地球の死体に長い時間間隔で周期的に干渉しており、一つ前の干渉は二千年前の近東で、そこでは一連の復活が起こったというもの。

2000年を周期にして死体が復活する現象が起こっていて、それに癌の突然変異ウィルスが関係しているとなると、宇宙空間にウィルスや細菌の分布があって(*A:文末にコメントする)、その薄い雲のようなところを、2000年に一度ずつ、太陽系ごと地球がくぐっているとしたら、少し説明の鎖をつなぐことができるだろう。

グレゴリイとシェパードが語り合っているとき、ゆっくりとした規則正しいきしみ音が聞こえる。これの原因が分からない。シェパードも気がついていて、帰るときに、音の原因が分かったら知らせてほしいとグレゴリイに依頼する。

ようやく一人となったグレゴリイは疲れて眠り、現実とあたかも続いているような夢を見る。ミスター・フェンショウが霊界と接触するためマネキンを操っている。グレグソンからの電話で目覚める。ビーバーズ・ホームにある古い鉄の鋳造工場で、解剖研究所から消えた死体が発見されたという。グレゴリイは風邪を理由にして、コールズを調査に振り向ける。

 第6章はグレゴリイがレストラン「リッツ」に到着するところから始まる。シス博士から夕食をいつしょにしようと誘われたのだ。コールズの検死報告と状況報告のことに少し触れるが、「どちらもまったく役にたたなかった」と評価されている。物語を進展させる事象は何もないということのようだ。

 リッツでの会食には、シス博士の友人が二人参加していた。アーマー・ブラック(作家)とマックキャット博士である。さほど親しそうな様子でもない。セス博士の考えを引き出すための状況なのであろう。セス博士がブラックに「すごい」と言わせた論説について触れておこう。この物語の構成上重要な要素となっているように思える。

 「十九世紀末には、物質界については何もかもが明らかになったと思われていた。科学の進歩によってである。その後、精密科学の分野においては、そのような楽天的な考え方は棄てられている。知ることができない限界というものがあると認められているわけだ。ところが、日常生活の思考においては、何もかも説明できるという楽天的な考え方が、まだ生きている。とことん細かいところまで説明できるという世界観にぴったりあわないものを、無視したり、避けたりすることによって、常識という考えを守っているのだ。」

 ここのところの考えは、この物語のラストのための伏線になっている。これがないと、この物語がうまく終わらない。終わるといっても、全てが明らかになって終わるのではなく、ここの伏線に沿った物語が最後に述べられるだけである。

 会食が終り、シス博士はブラックの車に乗りこむ。後に残されたグレゴリイとマックキャットはしばらくいっしょに歩く。ゲームセンターに入って「ホッテントットとカンガルー」というゲームを行う。また歩き出して「商店が軒を並べているアーケード」が眼に入る。マックキャットはグレゴリイに、もし復活によって歩きまわっている死人を目撃したとしたら、捜査を打ち切るのか、と聞いてきた。グレゴリイは返答をごまかす。マックキャットは歩み去る。

 一人で歩き出したグレゴリイは、たまたま眼に入ってきた風景の中の作業員と会話し、彼の勧めでレンタカーを借りてドライブをすることになる。あちこち走るうちに、偶然シス(博士)の車を見つけて尾行する。シスは喫茶店に入り、若い女と待ち合わせ、ペーパーナプキンに何かメモ書きをして女に渡すが、女はテーブルの下に落としてしまう。シス博士と女が立ち去ってから、グレゴリイはそのペーパーナプキンを拾いあげポケットに押し込んで尾行を続ける。どうやらシスは女を家まで送り届けただけということになったようだ。シスは車の中でじっとしていた。グレゴリイはペーパーナプキンに書かれた単語を読む。「それはシスの住所と電話番号と名前だった。」 何の動きもないことにいらだって、グレゴリイは自分の車を走らせ、少し回り道をして、同じところに戻り、シスの車の後ろに、ブレーキを踏みつつ追突する。交通事故を装って、さも偶然らしくシスに声をかける。パンパーがショックを吸収して損傷なしだつたので、すばやく和解し、グレゴリイのほうから食事を誘って、サボイ(おそらくレストラン)へ向かう。グレゴリイはシスの過去の経歴に関わる謎を問いかけ、シスはそれに答えて、1946年ごろから始まる核競争や電子戦略機械の競争、知識の蓄積、電子頭脳の巨大化、ゆっくりと段階を追った行動のことなどを語る。これらが物語において、どのような意味をもつのかはよくわからない。酔いが回って車を運転できそうになくなったシスをグレゴリイが運転して送ってゆく。グレゴリイの車は後でとりにもどるつもりらしい。このように、偶然の事件や、気まぐれの行動をもとにして、グレゴリイとシスの行動が描写されている。これには何か重要な意味があるのだろうか。グレゴリイは、シェパードがシスのアリバイを保障したにもかかわらず、あくまでシスがあやしいと思っていることを表現しているのかもしれない。

 第7章は、シスの家へ二人が戻ってきた場面から始まる。ホストのシスはグレゴリイにコーヒーと紅茶の選択をたずね、グレゴリイが「まかせます」というので、紅茶を準備する。少し会話したあと、シスは(おそらく車の)キーを探しに、コートのところにゆく。そこで、おそらく間違って、グレゴリイのコートのポケットを探してしまい、見覚えのあるペーパーナプキンを見つけてしまう。グレゴリイのコートを破く。グレゴリイのところに戻ってきたシスは、一連の死体消失事件は「おれがやったんだ」と言う。グレゴリイに「出ていけ」と言うが、グレゴリイが動かなかったので、シスのほうが出てゆく。電話がかかってくる。シェパード主任警部からだった。「ウィリアムズ(死体を見張っていた警官)が死んだ。しかし、死ぬ前に意識を取り戻し、報告をしたがった。報告はテープに録音してある。今すぐ聞きにこい」という内容だった。

 グレゴリイは破れたコートをもって外に出る。タクシーでサボイに行って、レンタカーのビュイックで自宅に戻る。ミセス・フェンショウに合い、ミスター・フェンショウがなくなったことを知る。このとき、隣人の不思議な物音のわけを知る。死期を延ばすために、彼女が看病していたらしい。物音は、その看病の中で生まれていたようだ。謎の一つが、こうして明かされる。

 シェパード主任警部の家で、グレゴリイはウィリウムズの報告テープを聞く。この物語における最大の謎が明らかになる。死体はやはり自分で動いたらしい。ただし、もとの人間に復活したのではなく、無感覚の人形のように動きまわっていたというのだ。

 グレゴリイはショックを受けて多弁になる。これまでの世界観が崩れてゆく。

 ところが、シェパードはメイラー運輸の運転手の一人が、犯人の条件に見合っていることを述べ始める。ただし、その運転手のトラックは、きのうの午後、貨物列車と衝突している。運転手は即死。仮に犯人としても、もう生きていない。この物語の第1章でシス博士がまとめた数学的な条件をどのような状況が満たすかということを、シェパードは語ってゆく。そうして、「六件の事件のうち、このトラックの運転手が」「三度、問題の場所に近い道路にいたことがはっきりとした」「二番目の件では、死んだ運転手には.....アリバイがある」「夜勤を休んだのだ」と、まとめる。アリバイがあるのなら犯人とは断定できないのだが。

 グレゴリイが物語をまとめる。「要するに、犯人はいた、だが死んでいる」「非常に人間的な解決です――誤審はありえないし、だれも傷つかない」「捜査は袋小路から抜け出せます」

 このように、物語はウィリアムズの報告テープで終わっていない。グレゴリイの概要報告書の詳細な記述や、シス博士の巧妙な理論によって、死体が自分で動き出したはずであるということは、ほぼ分かるだろうし、他に(もとから生きている)犯人が存在するという仮説は、ことごとく否定されてきている。

 死体が蘇生して、(少し変わるそうだが)ふたたび同じ人格のまま、人生を続けるというケースがあることは、よく知られている。落雷で死んだのに、生き返り、ふたたび落雷で死に、それでも生き返った人の体験談を本で読んだことがある。三途の川の手前まで行った夢を見てから生き返った人も多くいるらしい。しかし、この物語での、死体が自ら動くという現象は、これらの蘇生現象とは異なるものである。

若い頃生物学の実習を行っていたときのことである。麻酔をかけて頭を切り落とした後のカエルの死体が、まとめて入れられていたバケツの中から、麻酔が切れたころに、突然ぴょんと跳ね、バケツの縁にバランスをとって座り込み、中庭のほうへと向かって逃げていった。頭のないカエルである。生物学の教師は、変なものを見せてしまったとばかり、苦笑いして、そのカエルを追いかけ、さっさと捕まえてバケツに戻す。全てのカエルが同じように動いたわけではないが、逃げ出した一匹のカエルは、自分の頭がないということを問題とせず、中庭のほうに逃げなくては、と、いったい何処で判断したのだろうか。ただの死体の反応で、偶然うまく、バケツの縁へのジャンプが可能になり、バランスをとって一息つけ、中庭の方向へと跳ね続けたのだろうか。

ウィリアムズは、死体が人間ではないもののような動きをしたところを見たと報告している。蘇生して、もとの人格をもった人間として動き出したのなら、逃げる必要なぞなかったのだ。前駆的段階の死体も、誰も見ていなかったようだが、麻酔から覚めたカエルのボディがぴょんぴょん跳ねるように、棺桶の中で寝返りをうったのだろうか。棺桶から出て、再度命尽きた死体もあったらしい。ペヴァリ・コートの大貯水槽の底で発見された死体や、ビーバーズ・ホームの古い鉄の鋳造工場で見つかった死体は、服を着て、やはり自分の足で、そこまで歩いたのだろうか。死んでいない人間が、意識をもたないまま、夢遊病で歩くこともあるという。これらの現象のことも、それほどはっきりと説明されているわけではないのかもしれない。人間が死体になるとき、それまでの意識はどうなって、たまたま死体が蘇生したとき、意識というものは、テレビのスイッチを入れたときに画像や音が現れるように、おのずと死体に現れるというのだろうか。

それでは、本当のことはというと、はっきりしない。何もかも詳細に説明できるという考え方では、太刀打ちではきない現象なのである。それがシス博士の考え方だ。しかし、グレゴリイ警部補やシェパード主任警部は、日常生活の思考に支配されており、説明できない細部のことを無視し、アリバイまで存在する運転手を犯人像として、何もかも説明できると、あえて考えようとする。こちらのほうが、この物語の主題なのだろう。

このように、詳しく調べてみると、テーマにかかわる意見を単に論じるだけではなく、それと対立したり、迷って誤ったりする考えも取り上げてゆき、これらの相互作用によって、どのように局面が変わってゆくのかということを、ゆっくり、詳しく、構成していることに気づくことができる。時には何も関係がなさそうな出来事も散りばめて。例えば、グレゴリイの無駄な一日とか、あえて触れなかったが、飛行機の爆音、町の風景の流れなどなど。これらの中には事件が進行する時間を象徴しているものがあるのかもしれない。事件の場面は語られないが、他の登場人物のほうを描写することによって、事件が現れたとき、以前の事件からつづく何かが、無意味な描写の裏側で起こっていたことを想像させるわけである。

比較的普通の考え方と行動を示すグレゴリイを主人公とし、経験豊かなシェパード主任警部や、おそらくは高い知能をもつ科学者のシス博士に、重要な脇役を演じさせて、多くの知識や思考パターンを小出しにしてゆくという手法がとられている。ただし、シス博士には、たびたび雄弁に仮説や理論を語らせる必要がある。このような縦糸は必要だし、警視庁の中に、このような科学者を何人も設定するのは無理がある。このシス博士のキャラクターだけでも、かなり無理をして組み込んでいるように思える。シス博士の仮説などを小出しにするのは、読者や登場人物に対する配慮からかもしれない。数学の問題の解法を教えるときに、少しずつヒントや指針を出して、自分の力で解かせるようにするのと同じなのだろう。

物語にふくらみをつけるためなのだろうか、フェンショウ夫妻に関わる謎で、物語に、別の縦糸を繰り込んでいる。これと対比することで、ひょっとしたら、はっきりとは述べられていないことの中に何か重要なことがあって、浮き上がってくるのだろうか。全く意味がないとは考えにくい。

時として、全く偶然とも思えるような展開が組み込まれることがある。第6章のグレゴリイの行動は、かなり行き当たりばったりである。何から何まで先を読んで行動しているわけではない。将棋やチェスの名手のようなことができるのは、これらのゲームで起こることが、現実世界のゲームと比べ、比較的たどりやすいからなのだろう。現実世界のゲームのほうでは、何が起こるか、まったく想像がつかないこともある。それでも物語は進展してゆくのだし、偶然眼の前に現れたものに対して、主人公は何らかの決断をして、何か行動してゆくこともある。論理的に判断したのではなく、ただの気まぐれや、おやっと思う心の変化で決まってゆくこともある。

様々な謎がでてきて、色々な解法が提案され、間違った考えによる失敗例が描写された後に、主人公が正しいなぞ解きをやってみせるというのが、ごく一般の探偵小説の構成なのであるが、この物語では、これらの構造がすこしねじられていて、正しい解法を示唆する事実(ウィリアムズの報告テープ)を述べたあとで、明らかに誤りだとみなされる解法(メイラー運輸の運転手)へと向かってゆく。普通の探偵小説を読みなれた読者を戸惑わせることになるが、このようなストーリーの収めかたをするための伏線を、少し前のところ(第6章 楽天的な考え方の世界観)に組み込んでおいて、これで悪くなかろうと、作者はペンを置く。見事な手法である。

*A:宇宙空間にウィルスや細菌があふれているという仮説はフレッド・ホイルとチャンドラ・ウィクラマシンゲによって提唱されている。彼らが見いだした証拠は、次のようなものである。宇宙空間に存在する暗黒物質が、天体からの光(赤外線)を波長ごとに吸収して、ユニークなパターンを赤外線吸収スペクトル上にうみだすのであるが、このようなパターンを地上実験で再現しようとして、様々な物質を使って調べたところ、うまく説明できるものが見つからなかった。最初は色々な無機物で試したが、うまくいかない。そこで、すでに宇宙空間で見つかっている有機物を使うと、より近いものが得られるようになった。このような試みを続けてゆくうちに、バクテリアの細胞壁から水分を取り去ったものが、スペクトルのパターンとぴったりあうことが見いだされた。細菌を真空中におけば、自然と水分は逃げ出してしまう。恒星の光を吸収してしまうほどの、大量の宇宙塵の正体が、細菌の乾燥粉末だとしたら、地球における進化の謎も、たやすく解けることだろう。

 

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