思考言語を考えようとした、初期のころのエピソード
思考言語のアイディア(1)黒月樹人(KULOTSUKI kinohito) 2003_09_28

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 難解な思考

 思考言語のアイディアを思いついたのは、今から10年も前のことである。

 教師を辞めて何年か経っていた。陶器の工場で働いていたので、教師としての、数々の雑多な責任から開放され、教師時代やその前の学生時代にも読めなかった難解な本を、休憩時間や帰宅後に読み進むことができた。数学の分野ではテンソル解析を多用した宇宙物理学の本を読んだ。哲学書を色々と買ってきて、論証の構造を調べた。しかし、哲学書の中の文章はあまり論理的でなく、ところどころで飛躍が見られた。その点、数学の証明などの構造は整っているように思えた。

 教師をやっていたとき、土曜の昼食をとりに出かけた食堂で、こつこつと読みすすめた小説を読了して、感動のため息をついた覚えがある。こんなに難しい小説があるのだ。ポーランドの作家であるスタニスワフ・レムの小品だった。SF小説なのであるが、ある大学教授のノーベル賞受賞記念の講演というスタイルだったので、めいっぱい論文調の文体で構成されていた。小説そのものが難しいというより、文体が難しかったのである。レムの作品も、初期の長編などは、通俗小説のような文体で比較的読みやすいのだが、映画で有名な「ソラリスの日のもとに」あたりから、哲学的な文体がどんどん増えてくる。「泰平ヨン」シリーズでは、社会体制の風刺などを盛り込んでいるらしく、それらの風刺対象にピンとくるヨーロッパの人々には人気があったらしいが、日本の文化のなかにいては、よく分からないことだらけだった。

 何年か後に、レムの新しい作品が翻訳されて本になった。「完全な真空」というタイトルである。さきほどの論文調の小説は、この本の最後に(「新しい宇宙創造説」という名をつけて)鎮座している。この本のテーマは「実在しない書物の書評」ということである。ここには著者名が付け加えられていない書物として「あなたにも本が作れます」がとりあげられている。これは「小説組み立て器」のことを述べたものである。「バルザック、トルストイ、ドストエフスキーといった古典作家たちの作品」を短く要約し、ばらばらにしたもの(小説の断片が印刷された紙テープ)が「組み立て用部品」とされており、これの目録と取り扱い説明書が添えられてあるという。これらの紙テープを好きなように再構成することで、これまでの作品とは異なるものが、誰にも作れるということだ。もちろん、これは冗談の一種であるが、思考言語のことを考えているうちに、ひょっとしたら、このようなキットを生み出すことができるのかもしれないと考えるようになった。小説の要素を紙テープやカードに書いておくということは、そんなにばかげたアイディアではない。レムの作品が笑いを呼ぶのは、最も大切な「再構成のノウハウ」というものを謎のままにして、なんとでもなるようなことに、あえてこだわって、詳しく論述しているからである。問題は、この再構成(あるいは新構成)のノウハウなのだ。思考言語が組み立てられ、これをうまく使うことができるようになれば、きっと簡単なことだろう。

 

 深夜テレビの討論会

 思考言語を生み出す動機付けの一つが、当時深夜テレビで繰り返されていた討論会だった。今でも同じように続けられているようだが、これをテレビで見て、全体としてどのような議論が構成されていったのかということが、よく分からなかった。教師時代には、職員会議を始めとして、色々な会議に参加した。ここでは何かを決めなければならなかった。行動のルールというものを決めて、教師全体の意志を統一しなければ、生徒に矛盾を突かれてしまう。そのようなほころびから非行の芽が膨れ上がることもあるからだ。ところが、全体の意志を統一するなぞということは、とても無理なことで、仕方なく多数決で決めたり、独断が走ってゆくこともある。これらの会議で、どうして、こんな簡単な仕組みが分からないのだろうかと、内心でつぶやいたことが何度もあった。発言してうまく説明したとしても、分かってもらえないのだ。テレビの討論会ではもっとひどい。司会者は発言する人を選んで、内容を要約して、対立意見を呼び出す。そうして、色々な意見が出て、何も決まらないまま、議論全体の構造や流れがまとめられるわけでもなく、放送終了の時間がくる少し前に、まとめのコメントがあって終わる。落語のオチのようで、ここにはほとんど内容はない。議論がつまった袋の口を閉じるひものようなものだ。視聴者からの意見がファックスで送られてくる。その中の何通かが読まれるが、他のファックスは大きな壁に張られてしまう。ただの壁紙模様に化すということになる。おそらく誰も読まないし、分類されて、議論に生かされるような時間的な余裕もないし、次回の討論会では別のテーマが扱われるから、これらのファックスの束は壁紙以上の役目はもたなかっただろう。

 こんなに多くのファックスを貼り付ける壁があるのだったら、意見をカードにでもまとめて、すでに生まれていたKJ法を利用して、全体的な思考の流れや構造を組み立ててゆけばよいのに、そう思ったことがある。壁が無理なら、広い床を使って、カメラを天井から吊るせばよい。しかし、討論会に参加する人たちが全てKJ法に親しんでいるということを期待するのもの無理なようだ。時間的な制約もあるし、テレビならではの、画像に対する価値というものがあるのだろう。あるいは、そんなに高度なことをやっても、視聴者は興味づかないのかもしれない。

 

 C言語

 思考の構造を表現する。これが休憩時間のテーマになった。もちろん、誰か他の人と議論するわけではない。興味の対象がまったく異なる。陶板の検査をやっていたが、単純な作業であり、まるでダンスを踊り続けているように動く。このようなとき、ふと、何かを思いつくことが多い。散歩と同じだ。だから、仕事の間でもメモしておけるようにしておいた。思考言語のアナロジーとして役立ったのは、当時急速に現れてきた、新しいコンピュータ言語のCである。BASIC言語しか知らなかったときのことだから、このC言語の考え方はショックだった。ポインタの考え方を理解するのに骨が折れた。BASIC言語と比べC言語では、構造化も進んでいたし、命令の記述文も簡略化されていた。プログラムの論理構造が見やすくなっている。コンピュータ言語とはいえ、このような目的のために、言語そのものをデザインすることができるのである。

 それでは、哲学書の記述や論争のような、一般的な思考についても、表現方法やスタイル、あるいは記号そのものをデザインしなおせば、もっと思考の構造を分かりやすく表せるのではないだろうか。

 

 イメージと言語

 とりあえず、やってみることにした。対象としては、哲学書の中の文章を選んだ。討論などの意見は、聞いていると、無駄な言葉が含まれている。また、うまく議論がかみ合っていないことが多く、ただの思いつきで言葉を並べているようにも聞こえる。数学の証明などの論理は専門的すぎて理解しづらいだろう。また、専門化が進んでいるものについては、それなりの記号や言語がすでに発達していて、あまり改良の余地がない。たとえば、化学反応式や、電気の配線図、コンピュータ言語、楽譜などなど。だから、比較的専門化が進んでいない表現様式のもので、内容が理解しづらいものを狙った。哲学書の文章はかなり難しいが、このような、内容が良く分からないものを、うまく分かるようにしたら、すごいことだと考えた。最近、もう少し別の、これらの目的にかなった文章があることに気付いた。普通に使っている文章で記述しているのだが、内容が理解しづらいというものとして、法律の条文がある。言葉に遊びが無い分、こちらのほうが取り組みやすいし、分かりやすくなるのだったら、色々な効果が派生しそうである。

 まず対象となる文章を決める。段落ごとに分ける。段落に番号をつけておく。一つの段落の中にある文を、一つずつ調べてゆく。英語を何年か学んできているので、日本語についても、主語や述語や目的語という観点で眺めることにした。国語学者と同じことをする必要はないし、英語の文法にとらわれるつもりもない。しかし、この取り組みが、日本語と英語の考え方の違いに注目することになった。もう一つ思い浮かべたものがある。頭の中に描くイメージである。何らかの言語で表現されたことがらが「分かった」と判断されるとき、このようなイメージによる図式のようなものが(頭の中や黒板などに)描かれることが多い。夢のように、細部まで言語で表現できないことを、イメージとして豊かに構成し、これらを何らかのテーマに対してまとめあげたとき、何かを「考えた」と判断しているようだ。それなら、思考にとってもっとも根源的な言語である「イメージ」に、もっと近い性質をもっているものを求めればよい。頭の中のイメージに近い単語の並びという観点に注目すると、どうやら、二つの異なる対象の関係を表す語を、それらの対象間に置く、英語のスタイルのほうが、日本語のものより、しっくりいくようなのだ。後から分かったことだが、中国語も、このような単語の並びである。

 そこで、日本語で書かれた文を、英語や中国語のような単語の並びに近づけて、文があらわそうとしている概念を紙に書いてゆくことにした。ところが、日本語の表現には、中国語の漢字に加えて、文法的な意味付けなどを説明するための、ひらがなによる、補助的な語句が、たくさんついてくる。英語の本が日本語に翻訳されると、ページ数が大きく増えてしまうことに、この現象が影響している。英語そのものでも、単語の列が、紐のように続いてしまうのに、日本語では、少ないスペースに多くの意味を詰め込む「漢字」表現と、これとは逆に、多くのスペースを使って、比較的わずかな意味を表す「ひらがな(やカタカナ)」表現が混じっているのである。英語の場合は、「ひらがな」表現のほうになるが、半角文字をデザインしてあるということが、スペースの節約に貢献している。

ともあれ、一行で収まらなくなってきた。ここに書いているような、文字の壁紙模様にしてしまったら、何も変わっていないことになる。意味の構造を一目で眺めてみたいのである。しかし、紙面が不足してしまうので、A4の用紙をどんどん糊で継ぎ足して広げてゆき、とうとう畳大になってしまった。現在使っているような、話し言葉から発達した言語というものは、どうしても線状に連なってしまうということに、あらためて気付いた。また、何らかの概念を表現する記号システムとして、英語や中国語や日本語を眺めてみると、中国語<英語<日本語の順に、記述スペースが長くなってゆく。漢字というものは、画数も多いけれど、より狭いスペースに多くの情報を詰め込んでいる。英語では長く伸びすぎてしまい、概念の全体を眺めにくくなってしまう。日本語になると、さらに、ひらがながスペースを多く要求してしまう。

 このようなことから、もっと多くの情報をできるだけ狭いスペースに詰め込むということが、次のテーマとなった。

 

 ロコス(太田幸夫)

 最近ウンベルト・エーコの「完全言語の探求」を読んで、この中に、太田幸夫の「ロコス」が視覚的アルファベットの一例として触れられていることに驚いた。言語学者のファイルの中に含められているのだ。この人の「ロコス」について知ったのは、わたしが高校生のときだったから、30年以上前のことになる。友人のHが「ロコス」の本を持っていて紹介してくれた。勉強するのが苦痛だった英語のかわりに、これから世界中で広まって使われるかもしれないと、友人は語っていた。そのときはあまり興味をもたなかったが、めぐりめぐって、今は亡き友人のHの意志を受け継いだかのように、わたしのほうが言語のことを色々と学ぶようになっている。

 

図1 ロコスの文例「郵便夫は今朝私の郷里からうれしい手紙を持ってきました。」

 

 図1がロコスの文例である。エーコは視覚的アルファベットとして分類しているようだが、どう見ても、これはアルファベットではない。象形文字としての漢字に近い。構文のモデルとしては英語が意識されているようだ。

 若いころのインパクトが強かったのだろう。これから述べてゆく思考言語においては、ロコスで採用されているアイディアの影響をかなり受けている。しかし、まったく同じ目的のものを、別のデザインで作ろうとしたわけではない。アイディアは吸収するが、異なる目的のものを追求したのである。ロコスは英語でLoCoSと書くそうだ。これはLovers Communication Systemから構成したようで、「世界中の人々が恋人同士のように理解し合うことを願ってつけた仮称」(「ピクトグラムのおはなし」太田幸夫,1995,日本規格協会)であるという。ロコスの目的は世界中の人々のコミュニケーションにあることが分かる。しかし、この目的のために作られた、他の(ウンベルト・エーコが述べる)普遍言語と比較されることになり、表現力の豊かさやアルファベットによる記述が発音と対応していることなどの観点から、ロコスがエスペラントを押しのける力があるとはとても思えない。

 思考言語の第一の目的は、他人とのコミュニケーションにあるのではなく、自分自身の思考の能力を高めるということにある。このような需要を満たす言語というものは、ごく限られた分野におけるものが幾つか生み出されているものの、ごくごく普通の思考に適用できるものとしては、コミュニケーション用の(話し言葉とか書き言葉で用いられている)言語しかないといってもよい状況であり、ここには広い空白領域がある(と考えられる)。

 ロコスはコミュニケーションのために使うのではなく、思考のために使うべきだったのである。コミュニケーションの豊かさというより、内容のわかりやすさにこそ、ロコスの特徴が強くあらわれていた。

 

 「新しい宇宙創造説」

スタニスワフ・レムのSF小説「新しい宇宙創造説」の内容を調べることにした。

 複雑な概念を濃縮して表現するための、新しい記号を生み出すことに夢中になった。比較的書きやすくて、直感的に意味が読み取れるものである。

最初は手書きだったから、どんな記号でも考えて書くことができた。必要な概念を象徴する記号をどんどん生み出すのは楽しい作業だった。漢字一文字を入れるスペースに、漢字やひらかなで何文字分も必要とする意味を押し込んだので、記述するための用紙を横に糊で貼りつなぐことはしなくてもよくなった(図2)。コンピュータ言語のプログラムを眺めるため連続紙に印刷するように、SF小説の全体の構造を鳥瞰しようとして、用紙を縦に張り付けてゆき、長い巻物にした(図3)。◇で囲った数字の記号は「段落」を示している。この記号はここだけのものであるが、この小説の段落は57あって、それらの要点が図3のような記号図に構成されている。

 

図2 ロコス流の新記号

 

このような作業に何十時間かをかけた。その甲斐あって、意味の全体像をとらえることはできるようになった。図2のような記号を考える必要はあるが、ひとつの作品に対して必要な記号はそれほど多くないのである。おそらく、テーマがしぼられているし、一人の頭の中にイメージされるものは、ある程度まとまっているからであろう。

しかし、このような方法では普遍性に欠け、まったく異なる作者の思考を対象としたときには、思考のジグソーパズルのピースも異なってくる。だから、どんどんと新しく記号を生み出すことも大変だし、記号の意味を完全に覚えることを他の人に要求するのは無理があるということに、やがて気付いた。(記号の)生産過剰が原因かもしれないが、自分で生み出していながら、ときどき意味を忘れてしまうこともある。

図3 「新しい宇宙創造説」の解析図(部分)

 

 「真理という謎」

 「真理という謎」(マイケル・ダメット)という本にあった哲学論文「真理」を対象として、これの内容を直観的な記号で表すことにした。図4が、その一部である。これは解説のために作ったものであり、実際には、文章を読んで、幾つかの記号を規定し、文章の下にまとめてある図式のようなものを構成するのである。

図4 「真理という謎」(マイケル・ダメット著)より

 哲学論文「真理」(1959)の第9段落の記述(この@は最初の文)を記号で表したもの

 

 さらに、これらの図式のようなものを、図5のように組み合わせて、全体の構造を、地図のように描き出し、どこに論理の飛躍(あるいは矛盾)があるのかといったことを指摘するのに用いた。

 思考の全体を、モデルとしての記号地図で表すことができたので、比較的狭い領域として眺めることができるようになった。しかし、欠点は色々とあって、まだまだ使いにくいものである。新しい記号を生み出してゆくと、表現の幅がどんどん広がってゆくのであるが、研究対象が増えるごとに、どんどん新しい概念を表す記号が必要となってくる。ここではとりあげないが、数学関係の論説が主体となった本の一部を読んで地図記号をまとめたものもある。自分の人生で起こったことを、記号で抽象的に考察し、フローチャートのように描いたことある。やればやるほど、どんどんと記号が増えてゆく。書式についての新しいアイディアが沸いてくる。こうして、辞書も文法もまとめないまま、思考言語の遊びが続いてゆき、とうとう仕事も辞めてしまった。思考言語を完成させるために。

どこかで落とし穴にはまったに違いない。

 

図5 「真理という謎」(マイケル・ダメット著)より

哲学論文「真理」(1959)の第9段落の@からJの文について、関係を図示したもの

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