思考言語コアの効果
思考言語のアイディア(8) 黒月樹人 KINOHITO KULOTSUKI 2003_09_28

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自然言語で書かれた難しい内容の文章の、意味の構造を分かりやすく表現することができるようになる。

たとえば、法律の文章や哲学的な論文、あるいは英語の長文などである。

小説やドラマのプロットを調べ、それらの流れをつかみやすくなる。何か小説のようなものが書けるかということには、さらに別の条件がいる。つまり、表現したいという動機付けが必要となるのだ。しかし、小説を書こうと思っている人なら何らかの動機はもっていることだろう。文章表現の良し悪しについて考える前に、全体の構想を練るという作業がある。

スタニスワフ・レムの「あなたにも本が作れます」では、様々な要素を印刷した紙テープを組み合わせるという方法が紹介されていたが、G.ガルシア=マルケスがまとめた「物語の作り方 ガルシア=マルケスのシナリオ教室」では、さらに具体的な方法がディスカッションという形式で伝えられている。しかし、多くの人間が色々なことを考えてゆくので、それらの主要な流れのようなものは、ガルシ=アマルケス(本文中ではガボ)がひっぱっているからこそ、なんとかまとまっているように見える。

先人の教えを受けられない場合は、思考言語コアを使って、本質的な要素をまとめていくとよいだろう。たぶん、思考言語コアに慣れてゆけば、そのうち「わたしにも本が作れます」とつぶやくときがくるかもしれない。

本が作れるかどうかはさておき、以前は読めなかったような、難しい内容の本が、なんとか(あるいは楽に)読めるようになってくる。

かつての思考言語の研究のように、哲学的な文章のすべてを、思考言語に置き換えて表現しようとすると、多大な時間と労力が必要となってくる。ところが、あるとき、仕事の関係で英語の科学論文を訳していたとき、関係代名詞がどんどんつけられていて、一つのピリオドまでが極端に長い文があって、意味内容がよく分からないとき、これを思考言語で分析して、クリアーしたことがある。日本語で書かれた文においても、意味内容が分かりにくいものだけに適用すればよいのである。

何度か(あるいは何百回か)、自然言語で書かれたものを、思考言語コアでの表現へと変換する練習を、(できれば)紙に書くことによって繰り返してゆくと、ある程度のものについては、頭の中で、空に描くことができるようになり、議論などで、リアルタイムに相手や自分の思考の構造をまとめることができるようになる。

もちろん、発言するときには、この思考言語のことを伏せておき、再び自然言語に翻訳した「ことば」を用いなければならない。思考の構造がつかめているなら、このような言い換えはむつかしいことではないだろう。

このようなことは一個人で達成されることであり、このような思考言語を利用することで、知能が少しずつ(個人差はあるが、時として飛躍的に)高くなってゆく。

ところが、思考言語コアを利用してみたけれど、さほど賢くなったようには思えないということもあるだろう。このような意見の食い違いのもとには、おそらく(エドワード・デボノが規定する)「マグニチュード」の誤りが関係している。

あるとき、方程式や指数や対数を習っている高校生が、どうしてこのようなものを学ばなければいけないのかと訊ねてきたときがあるが、わたしの仕事(教師ではなく地中の構造を調べる仕事のときのこと)では毎日といっていいほど、これらの数学を使ってデータ解析をしていると言うと、「そういう仕事が世の中には本当にあるのだ」と納得してくれた。

「数学の教師」という仕事以外で、数学を毎日使う仕事を想像できなかったらしい。もちろん、簡単な数の計算以上の数学を使わない仕事も世の中には(たくさん)ある。

数学をとことん学ぼうとした人間には、数学を毎日使う仕事にたどり着く可能性もがあるが、最初から何も学ばなければ、そのような仕事からは縁遠くなってしまう。

思考言語コアも、このときの数学に似ている。高い知能を要求される仕事というものが、世の中にはあまり無いように見えるので、思考言語コアが知能を高めるというところまで、これに親しむ必要を感じないのだろう。

さらには、他の人が思いもつかなかったことが、しばしば、ふと思い浮ぶようになる。

イメージを使って思考を組み上げる習慣をつけると、どこからか別のイメージが流れ込んでくるのかもしれない。

思考言語コアは思考を触媒するのだ。

 複数の人間が思考言語コアに習熟したとき、さらに興味深い現象が生ずると予想されるが、現時点では、まだこのことを試みるわけにはゆかない。

ひょっとすると、思考言語コアに慣れた誰かが、新しい記号をどんどん組み込んで、バージョンアップを図ろうとするかもしれない。そうして、「新しい宇宙創造説」や「真理という謎」のころの落とし穴にはまってしまうのだろうか。

思考言語を自分流に改良しだすとキリがない。

他人とコミュニケーションすることは狙っていないと考えると、自分だけが直感的に分かって記憶もしやすい記号を幾つも導入することができるのである。

「$」で文章を示し、「 を起点のマーク(from)に見立て、<Z> は「逆」を意味するとか、色々考えた記号もあるのだが、いずれも、「文」や /起点/(あるいは/from/)や <逆> を使えばすむことである。

あるいは、携帯電話で絵文字がすでに言葉の代用として使われているように、(^_^)や(*o*),($△$)などが、何らかの意味をもって使われるようになるかもしれない。

10年前のワープロが備えていた外字機能が復活すれば、コンピュータで扱う言語ソフトも、思考言語仕様にモデルチェンジすることができよう。

しかし、あまり記号の種類を増やすと(何度も述べているが)暗号化が進んでしまう。

 ともあれ、難解な思考や複雑な表現を恐れることはない。いずれも(自然言語で書かれているものなら)暗号ではないのだから、思考言語コアを使って読み進むことができるだろう。   

10年間寝かせておいた思考言語のアイディアも、ようやく醗酵を終えて、心地よい酔いを楽しむことができるようになった。これからも知的好奇心の旅を味わうことができそうである。ひょっとすると誰にもたどり着けなかった処までゆけるかもしれない。

 

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