C02 躁病の原因物質と治療法

田中 毅(TANAKA Takeshi @ 9621 ANALYSIS)

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 躁うつ病ではなく躁病とうつ病

 ここで私は、これまでの分類学と異なる表現をすることになります。
 躁病とうつ病は、時期を隔てて、1人の患者に、たびたび生じる症状なので、これを総称して、これまで、躁うつ病と呼ばれてきました。
 この名称、躁うつ病も、かつて、精神病の一つとして使われ続けてきたので、最近は、双極性障害という名前に変えられてきています。
 こうなってしまうと、かえって、一つの病気だという印象が強くなってしまいます。
 しかし、これらの症状を生み出す原因というものが、ここ何年かの間に、(学会などではなく)書籍で公開されてきた知識により、明らかになって来たと考えられます。
 なにより、20歳代のころから現在の64歳(あと数日で65歳ですが)まで、たびたび苦しめられてきた私の人生体験に照らし合わせると、みごとに説明がつくからです。
 そして、これらの躁病とうつ病に関して、私はほぼ完治することができたと見なせます。
 なぜそんなことがいえるかというと、躁病とうつ病は、よく似た状況ではあるものの、まったく異なる原因物質によって引き起こされてきたということが理解できるようになったからです。
 ここでは、抽象的に、躁病はある物質の過剰摂取によって生じ、うつ病はそれとは別の物質のきょくたんな不足によって生じるということが、私自身の身体を通じて理解できたと述べておきます。
 もちろん、これらは、私が勝手に判断していることではなく、専門家としての医師の著書を読んで、自分自身の体験と症状を説明することで理解できたことです。
 このような理解は、ひょっとすると、私だけに適用されることかもしれませんが、何かのヒントになるかもしれませんから、ここに述べておきます。

 躁病

 躁病のことを語る前に、これまでの体験から、これを激しい躁と、すこしおだやかなちょっと躁に分けておくべきだと思います。
 躁うつ病と言う言葉を知ったのは、作家の北杜夫の本を読んだことによります。中学生のころ、北杜夫の「ドクトルマンボウ航海記」や「さびしい王様」を読みました。
 ちょっと躁のときには、創作意欲が高まり、ユーモアにあふれた作品を生み出しやすくなります。
 ユーモアがふくまれていなくても、何かを生み出そうという活動のエネルギーに満たされます。
 黒月樹人闘病記を書いていた入院中は、確かにこの、ちょっと躁でした。
 看護師や担当医にシュールなジョークを投げかけ、彼ら彼女らが対抗して生み出そうとしてきた、ごくごく初歩的なジョークをネタに、さらに膨らませたりしていました。
 ただし、病院にはいろいろな人が現れます。それらの中には、人間として問題点をもち、自分のことを置いて、他人を非難してゆく人がいます。それが他の世界であれば、私にはかかわりのないこと、と遠巻きに構えていられますが、いろいろな事情がからみだし、私にも火の粉が降りかかってくることがあります。いわれのない不当な非難を浴びることになってしまうと、私は、それを振り払おうとして、少しずつ激しい躁へと変化してゆくこととなりました。
 これに関するエピソードのいくつかは黒月樹人闘病記に記してあります。
 ある日、担当医が
 「田中さん、躁病なのではありませんか」
とストレートに聞いてきました。私は
 「いいえ、違います」
と言ってから、かんたんに
 「躁病ではなく、躁うつ病です」
と補足しました。
 担当医は、それで納得したのではなく、別の病院(大学病院)から精神科の医師を呼んで、私を診断させるという手続きをとりました。
 やってきた精神科の医師に、これまでのことを聞かれたので、私は過去のエピソードをていねいに説明しました。
 最後にその精神科の医師は
 「間違いなく躁うつ病です」
と言い切って去ってゆきました。
 しかし、私は心の中で
 「そんなことは診断してもらわなくても、何十年も前から分かっていることだ」
とつぶやきました。
 問題は、私が躁うつ病かどうかではなく、どのようにすれば、激しい躁にならずに、できれば中庸の位置にとどまれるかということです。
 あるいは、なぜ躁病になるのか、うつ病になってしまうのか、これらの理由を説明できるかどうかということです。
 そのことを私は、何年も、何十年もかかって、数々の体験のなかで学ぼうとしてきたのです。
 しかし、担当内科医や精神科の医師たちは、躁病のための薬物を使って治療できると考えています。
 これはまったく間違っています。

 私の知人の一人は、10年近くもの長い間うつ状態で、精神科の医者から薬をもらって服用しているのに、いっこうによくなりません。その薬の副作用か、身体がだるいとか、ぼおっとするとか言っており、普通に外に出て活動できる状態ではありません。あるとき、母をつれてお見舞いに行ったとき、その人の顔が変わっていて驚いたものです。すべてのいみで、まったく別人になったままなのです。
 別の知人(仕事仲間)の一人も、完全なうつ病で、病院に行って抗うつ剤をもらって服用していると言っていましたが、何か月も何年もたっても、ふつうに活動できないままでした。
 私のサイト(treeman9621.com)を知り、私にメールを送って来た、どこかの人は、自分自身で、うつ病として治療中で、抗うつ剤を飲んでいるということでしたが、送られてきたメール内容などを読むと、意味不明なジョークや、シュールな表現にあふれていて、私の経験に照らし合わせると、ちょと躁をかなり越えているし、明らかに、過剰な抗うつ剤の摂取で、躁状態まっさかりと判断できました。私は、このような私の視点と判断結果をつたえ、精神科の担当医と相談するように勧めてから、もうメールを送ってこないようにと依頼しました。
 これらの例で分かるように、精神科の医師がすすめる、抗うつ剤などの薬は、ただ、それらの精神疾患の症状を消そうとするものですが、本質的な治療をおこなっていないので、うまくコントロールできていないのです。
 本質的な原因をつかめていないのに、対処療法として薬物を使うというのは、ほとんど詐欺のようなものです。

 物語を少しはしょってゆきます。
 3年ほど前の入院時のことを説明しだしたら、何百ページにもなってしまいます。
 今年の1月のころ、大きな病院で診察のため、過去の病歴を聞かれ、喘息についてのコメントのあと、
 「精神疾患の症状も、ほぼ通常の状態でキープできています。3年前は、いろいろな問題に対処するため、かなりアドレナリンを使ってきましたが、ここ2年は、ほとんど何の問題もなく、おちついていられました。きっと、2年前に町代(町の代表)と、ここ1年では区長をやって来て、冷静に問題解決へと心を向けることができてきたためと思われます」
と、具体的に説明しているのに、担当医は関心がなさそうで、キーボードを使ってカルテに何も打ち込みません。
 ほんとうは、もっと本質的な原因をつかんでいて、それに従って自分自身をコントロールしてきたから、ということへと話は進められませんでした。
 もし、もっと関心を持って聞いてもらえたら、薬物も使わず、入院もせずに、躁病を治療する具体的な方法のヒントが得られたはずなのに。

 躁病の原因物質

 ここからの物語は私自身の体験によるものです。他の人に適用できるかどうかの保証はできません。もちろん私は医師免許を持っていないので、他の人を治療することは出来ません。
 しかし、ここに記すことは、自分自身で治療を進めようと思うときに、おそらく参考になるはずです。
 きっかけは、3年前の病気のあと、退院して、グルテンの害について、いろいろな本が出てきていることに気づき、それらを読んで学んだことです。
 そして、自分のこれまでの人生において、たびたび起こった激しい躁のころ、私がどんな食生活であったかを思い起こして、ふと、過剰な、あるいは常態化した、パン食だったと判断できたのです。

 かつて陶器の会社で働いていたとき、突然リストラされた理由について語ります。
 ある日社長に呼び止められ、社長の家の庭仕事をするための時間を(仕事中で)作れと言われました。そのとき私は釉薬の仕事だけでなく、陶器の風呂の成型も手伝っていました。そちらの仕事で主となって働いていた、ろくろも名人級で陶芸作家でもあった、幼馴染の友人が、深刻な心臓病で入院しており、私は
 「今はそれどころではありませんよ」
と、まったく正当な理由を述べて断ったのです。
 社長やナンバー2の部長は、私の説明が受け入れられず
 「もうおまえはいらん」
と言い切って、一方的に私の首を切りました。
 ところで、 自分勝手な社長やごうまんな部長の挑発を受けて、かんたんにリストラを受け入れた、このころ、私は趣味で、天然酵母によるパン作りにはまっていました。
 リストラされたあと、私はあっという間に、激しい躁へと突き進みました。
 この後のエピソードはユニークなのものでしたが、ここでは割愛します。

 3年前の入院時のこと。入院する前、私は一人暮らしで、コンピューターに向かって、ひたすらゴブリンアイズという医療画像解析ソフトを作っていました。ほとんど人とかかわることなく、飼っていた金魚やメダカに話しかけるわけにもいかず、つぶやく程度に、コンピューターに向かって「何してんだ、きちんと動けよ」などと語りかける程度でした。激しい躁どころか、ちょっと躁にもなっていなかったはずです。
 ところが、入院してから、自然とそう状態になっていったのは、病院食に原因がありました。自分で生活しているときは、牛乳を飲まない代わりに豆乳を飲んでいましたし、肉を食べない代わりに魚や豆類をたっぷり食べていました。なにより、主食が玄米食だったわけです。
 病院食では、私が避けていた食材は、単純にカットされるだけで、その代用食となるものは、まったく得られませんでした。
 「玄米が食べられないのだったら、せめて麦飯にしてほしい」
 「食物繊維をもっととりたい。キャベツの千切りでいいから、それを大きな器に入れて出してほしい」
 これらの要求は無視され続けました。
 摂取カロリーがどんどん減ってゆき、私の体重は、86キロあったはずなのに、入院10日ごろには73キロにまで落ちていました。脚の太腿の筋肉が細くなってきました。
 このままでは、私は大橋巨泉(そのころガンでミイラのようにやせ細って亡くなった人)になってしまうと危機感を覚え、病院の購買で、菓子パンやサンドイッチをたくさん買っておき、夜中の散歩のとき持ち出して、外で食べることにより、体重を78キロらいまで戻していたのです。
 入院3週目には、とくべつに夜だけ自宅へ帰って眠ることが許されるようになったため、帰りにリンゴを買って、それも食べてゆくことで、ようやく大便の形状が自然なものへと変化してゆきました。
 しかし、完全に退院するまで、玄米を炊いて食べるまでにはいたらず、やはり主食はパンでした。
 完全に退院してから、玄米食を中心とした食生活にもどすことにより、精神的に安定しました。
 これらの体験とパンに含まれる小麦粉のグルテンの害について学び、それによって解釈すると、躁病の原因として主要な作用をしているのは、遺伝子操作で異常な状態になった現在のグルテンだと考えられます(古代からの小麦の品種から作った小麦粉だと異常な症状はでないそうです)。
 異常な遺伝子変換のグルテンは人間を中毒状態に落としいれ、さらにパン(正確にはグルテン)が食べたくなるように、脳の中で(あるところに居座って)コントロールしようとしているそうです。そして、脳の機能が狂わされ、精神的に不安定なそう状態に突き進んでしまうということです。

 もっともっと昔のエピソードですが、この人生で最初の躁病は、教師をやっていたころに起りました。このころのストレスの大きさもさることながら、食事はほとんどパン食が中心でした。朝練のため車の中でパンを食べ、給食はほとんどパン食です。夜は家でご飯を食べましたが、残業のため店屋物ですますことも多かったのです。
 いまから考えると、明らかに食事体系が破綻していました。
 いろいろな問題に対処することができず、どんどん狂っていった理由が、今では、よく分かります。
 しかし、今から40年も前のことです。精神疾患の原因なぞ、誰も知りはしませんでした。
 幸いだったのは、教師という仕事を辞めることで、精神科へ入院することなく生きてゆけたことです。

 躁病の治療法

 かんたんなことでした。
 パンを食べないようにして、グルテンフリーを貫いて、もう3年になります。
 現在の小麦粉製品には、おおよそすべてに(日本の北海道産小麦はこれに当てはまらないとされ、このことをうたったパンやお菓子が出回るようになっています)、異常なグルテンが含まれますので、うどんやスパゲッティも食べていません。
 小麦粉をベースとしたお菓子も、食べたいとは思わなくなりました。
 このような習慣を始めて2週間くらいで、腸内細菌叢のパターンが変わり(大便の状態で分かってきます)、体質そのものが変わります。
 何よりも、精神が安定して、躁状態へと突き進む恐れを感じられなくなりました。
 また、集中力も高まり、その持続力もついて、コンピューターに向かって作業してゆくことが、何の苦もなく長時間できるようになりました。
 このことには、別の意味で盲点ともいえる問題点があったことを知るのは、さらに別の病気にかかってからのことです。
 うつ病のことではありません。
 躁病については、グルテンを含む食品を摂らないことにより、まったく再発する影もなくなりましたが、どういうことか、私は一昨年の12月から6ヶ月ほど、完全なうつ病に陥ってしまいました。
 これについては、次のページで語ろうと思います。
  (Written by TANAKA Takeshi, April 20, 2019)

 

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