c04 躁病は克服したのにうつ病になった

田中 毅(TANAKA Takeshi @ 9621 ANALYSIS)

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 はじめに

 これまでのエピソードについて、かんたんにまとめておきます。
 およそ30歳あたりから発病し、この人生(まだ半生ですが)で何度も苦しめられてきた、躁病とうつ病について、これまでは躁うつ病として、あるいは、最近言い換えられた双極性障害として、ひとつの病気であり、これは決して治らないものであり、一生つきあってゆかなければならないものだと、半分あきらめ、のこりの半分で覚悟していました。
 しかし、躁病については、3年前の肝臓疾患での入院生活を終えて、食生活をもとの玄米食中心のものに戻し、夜も虫の音を聞きながら眠れるようになると、まったく発病する様子もなく、さらに、このあと、住んでいた町内の町代(町の代表)をやることとなり、どうやらこれは見習い期間だったようで、次の年度には、三つの町をまとめた区の代表としての区長があたりました。
 この二年間、区長と三人の町代とで、政治的なチームをつくり、消火訓練や地蔵盆の運営、そして、敬老の日の集いなど、いろいろな活動をやることになりました。
 かくして、いろいろな人々とかかわることとなり、それほど大きな問題もなく、安定した精神状態ですごすことができました。
 つまり、ささやかな役職をこなすこととなった、この二年間は、ちょっと躁というレベルででも、まったく躁病を発病せず、誰から見ても普通にすごすことができたのです。
 ここで過去の躁病のときのことを振り返って、その原因要素として、何があったのかを考えることにしました。

 躁状態の一つ目の要素

 その一つ目の要素は、何らかの問題をかかえた人格をもつと推定できる、対立者がいたことです。話が通じないとか、自分勝手な論理で他の人(とくに私)を支配しようとする、最近の表現で、自己中(自己中心的な性格)の人物が、私のドラマに現れていたことです。これについての具体的な説明は割愛します。
 このことから、躁うつ病の躁状態というのは、かつて私たちが原始的な生活を行っていたころ、あるいは、理不尽な身分制度などがあたりまえのようにある社会で生きていたころ、自分自身(や家族)の危機を、そのまま受け入れるわけにはいかないので、闘争状態へのモードチェンジとして、必要なものだったのではないかと考えました。
 実際にアドナリンもたくさん出ているようですし、声も大きくなり、なにより、自分の意志として「ぜったいに負けないぞ」と思うのです。
 単に頭がおかしくなって(気が狂って)、むちゃくちゃなことをするというのではなく、目の前の相手(敵)には負けないという目的のために、声を荒げて反論し、威嚇されたら、こっちも威嚇し返す。
 かつて、人類は多くの戦争を体験してきました。そのとき、戦場に立った人は、躁状態でなければ、きっと生き延びられなかったと思います。
 いまの時代でも、自爆テロをする人は、おそらく躁状態です。
 でも、由来がどうであれ、現在の平和な世界では、というより、巧みにコントロールされた世界では、理不尽や不条理に立ち向かう、ある種の躁状態の人は、おかしいと判断されます。
 躁状態にならなかったと思われる、この二年間の生活で私は、いろいろな問題において、べつの方法があると考えられるようになりました。
 おそらく、躁状態からは、きっと卒業しているはずです。

 躁状態の二つ目の要素

 以前だったら、ある状態に追い詰められたとき、そして、敵ともみなせる対立者が現れたとき、まちがいなく躁病が現れたはずの状況で、べつの方法があるはずだと考えられるようになったのは、単なる経験からの変化とは言えません。
 そのような試みは、何度もやっていたはずなのに、いともかんたんに挫折していたのです。
 ところが今、これまでになく冷静でいられるのは、いったいなぜなのか。

 これまで私が激しい躁状態になっていたころの食生活について振り返ることにしました。
 きっかけとなったことは、3年前の入院時に、すこしずつ躁状態になっていったことと、そのときの病院食が、あまりにも貧しいものだったからです。
 さいしょは味もまずく、これではいけないと、食後に感想を書いて、それを調理場へと届けてもらうようにしました。すると、いろいろと細かなところに工夫がほどこされるようになり、退院前の一週間では、とくべつに家に帰って寝てもよいという「外泊許可」が出て、戻るのは昼ごろでもよいという医者の言葉をさえぎって
 「朝食の前には戻ってきますから、準備してもらっておいてください」
と言うほど、味は良くなっていたのです。
 しかし、味は何とかなったものの、いくつかの点で、これでは病気がよくならないと考えられました。
 その一つ目の問題点は、入院中に私が、これまでに体験したことのない、最悪の状態の痔になったことです。あっとう間のできごとでした。便が出ないにもかからず、便意をもよおして、トイレに駆け込んで、ほとんど何もない便を出そうとすることが、一日に8回も記録された後、私は横たわるか立つか以外の姿勢をとることができなくなっていました。つまり、痛くて座れないのです。座布団があってもダメでした。
 こうなる前から、玄米食が無理なら麦ごはんを出してほしい、キャベツの千切りだけでよいから、大きな椀にサラダを盛り付けて、それだけを一食として出してほしい、など、いくつか要望していたのですが、すべて却下されてきました。
 入院中に体重がどんどん低下していったのに、食事量を増やしてくれません。やむなく私は、病院の購買でパンなどを買って、深夜の散歩のとき、広い駐車場で夏の夜空の星々(深夜なので冬の星座でしたが)を見上げながら、カロリーだけでも増やしておこうとしたのです。
 朝の検診のときに血糖値が200を越えないように考えておくことも必要でした。血糖値201以上だとインシュリン注射という「きまり」があったからです。これもばかばかしいものです。血糖値なんて、少し歩けば、あっという間に下がってしまうからです。血糖値201を上回ったら、歩ける患者なら、30分ほど歩いてくるように指示すればよいだけのこと。

 本論に戻って、私が激しい躁で、とんでもない行動を起こしていたころ、きまって食生活が貧困だったことに思い当たりました。
 しかし、もう少し考えると、自分の家の庭仕事を、会社の仕事で危機的な状態になっていることよりも優先する、かなり判断力が低下している社長のもとで、ナンバー2の部長からリストラ宣言をされて、いさぎよくそれを受け入れたころ、私は実家にいたし、玄米食、麦ごはん、てんこ盛りの野菜サラダなど、頼めばなんでも母は作ってくれていました。もともとこの実家は魚屋だったので、タンパク源の中心は魚でした。
 そのころの血液は、きっとサラサラだったと思います。
 東京から信楽へ戻って、その会社で働いていたころの健康診断で、成人病のいろいろな指標が指摘されたことを受けて、午前中は水だけで過ごし、昼食はてんこ盛りの野菜サラダ、夕食は普通の食事というものを、ひと夏続けたところ、秋の検診では成人病(いまは生活習慣病)の兆しはどこにも見られなくなっていました。ただし、血液中の脂質の値が、健康だとされる範囲を下回っていたので、このままだと近畿でもっとも厳しい冬となる、この地信楽で生きてゆけないと考え、このような食事体系を緩めることにしました。

 このころのエピソードに次のようなものがあります。
 歯の治療をしていたとき、歯医者さんが聞きました。
 「こんなふうに歯が欠けるなんて、いったい何を食べたのですか」
 「パンです」
と私は答えたのですが、このあと何も聞かれなくて、私がジョークでも言ったのか、それとも私の頭がおかしいと判断されたのかもしれないと、ちょっと悩んだことがありました。
 しかし、これは本当のことだったのです。
 その当時私は、天然酵母を干しブドウから採取してパンを焼くということに夢中になっていたのです。うまく焼けたとき、中はふわふわで、外は適度に固くなります。しばらくすると、外の皮は水分を失ってゆき、かちんかちんになってしまいます。
 「アルプスの少女ハイジ」に、ハイジがパンをスカートのポケットに入れて出かけた、という描写がありました。今ならポリエチレンかビニールの袋に入れるはずです。当時ならハンカチにくるむとか。しかし、ハイジのパンは、現在売られているような、いつまでたっても皮が柔らかいパンではなかったのです。自分で作ってみて分かったわけです。ときがたつと、まるで石ころのようになってしまう、添加剤なしの自然なパンだったわけです。
 そいつを私も、うっかり食べて、歯を欠けさせてしまった。
 とてもシンプルな物語なのですが、現代的な添加剤入りの、いつまでたっても皮がやわらかいパンしか食べてこなかった歯医者さんには、パンを食べて歯が欠けるという事実が、まるで虚言かジョークとしか思えなかったのです。

 このようなエピソードをきっかけに、そのころ私が強力粉をたくさん使って、パンを焼いて食べていたことが思い浮かびました。
 この生涯で最高レベルの、激しい躁状態になって、さまざまな出来事を起こした、少し前に私は、通常のレベルをはるかに超える量で、パンを食べていたのです。
 初めて激しい躁状態になってしまった教師のころ、朝は朝練に間にあうようにと、移動の車の中でパンをかじっていましたし、昼食はときどきご飯のときもありましたが、それは特別で、いつもはパンでした。さすがに夜までパンということではありませんでしたが、こんな生活を7年も続けていたのです。あとから思えば、グルテン中毒になっていたのは明らかです。
 かくして、躁状態の二つ目の要素として、パン食生活があげられます。もっと具体的に言うと、パンの成分である小麦粉に含まれるグルテンが、このときの重要な要素です。
 考えみれば、グルテンはパンの中にだけ含まれているわけではありません。うどん、スパゲティ、ピザ、お好み焼き、たこ焼き、たい焼き、クッキー、ビスケット、小麦粉を使っているあらゆるお菓子、などなど、私たちの周囲の食品の、ありとあらゆるところに含まれています。
 そういえば、東京から信楽へ戻ったあと、外の世界で食べてきた、このようなグルテン入りの食事の作り方を、母に教えるつもりで、せっせと作って食べていました。
 東京のうどんのまずさについて語れるのは、関西や四国のうどんを食べてきたからです。
 お好み焼きも、家ではうまく作れません。皮がパリパリに焼けるまで待てないのです。
 たこ焼きのうまさにも、奥深い秘伝がいろいろあるようです。
 このようなわけで、躁鬱病にふりまわされていたころの私は、グルテン食品の試食を繰り返していたと言えるほど、あらゆる小麦粉食品を試食し、習慣的に摂取していたのです。

 2018年の前半はうつ病だった

 私がグルテンフリーとして、小麦粉製品を食べなくなったのは、3年前の入院生活のあとのことで、玄米食を再開することによって喘息をぴたりと止めてしまったころと、ほぼ一致します。
 グルテンの害について述べられた本がたくさん出てきましたし、腸内細菌の状態が免疫などに大きく影響していることが分かりだしたのも、このころのことです。
 それらの本を読んで私は、入院生活のころ、私の腸に関する体調が信じられないくらい悪化したことや、いわれのない理由で責められたためのストレスで、精神的にも不健康な状態になったことの原因が、カロリーのことだけしか考えていない病院食の食事体系や、マッチ・ポンプの治療体系(病気そのものを生み出していながら、何食わぬ顔で、それを治そうとすること)、そして、一部の医師や看護師の(さらに事務職員の)かたよった考えた方と行動にあったということを知りました。
 今でも、大病院の医師は、現在分かってきた、これらの新しい知識を学ぼうとしていないようです。
 すこしもどります。
 グルテンの害と腸内細菌の役割について、本の内容と実体験をもとに理解することで、これまでコントロールできずに振り回されてきた躁病もしくは躁状態を、自分自身の意志と判断で、食生活や生活態度を調整することにより、意図的にコントロールできるようになりました。
 今は、もし何らかの敵のような存在が現れ、自分自身に脅威となる力を及ぼそうとしてきたときには、自分でコントロールできる状態で、躁状態へと変わることができます。
 しかし、これまでの体験や身に着いた知恵により、多くの脅威は、別の方法で回避できると判断できるようになったため、特に目立った躁状態には至っていません。
 躁病は克服できたようです。
 これについてひとことつけ加えておきます。これまで私は精神科のある病院へ入院したことはないし、精神科の医師のもとで、薬物療法を受けたこともありません。
 躁病を克服するために、さいしょに行うべきことは、食事内容を見直すということだったのです。
 そうすれば、自然と、そう状態にともなう症状は消えてゆきます。

 ところが、すでに躁病についてはコントロール状態になっていたはずの、2017年の12月から2018年の5月ごろまで、私は、典型的なうつ病になってしまいました。
 このことから、これまで躁うつ病としてひとまとめにされていた病気は、躁病とうつ病の二つの病気のセットだったということが分かりました。
 それらがなぜセットとしてまとめられてきたのか。
 どちらも、ある種の栄養障害に原因していたからです。
 同時に起らないのは、当然のことだと考えられて、笑い飛ばされてしまうかもしませんが、そうではありません。躁病がある種の物質の過剰摂取であり、うつ病がある別の物質の異常な欠損だったからです。

 2019年の前半はうつ病になっていない

 2019年の前半の、いちばんさいしょのところで、私はおおきなショックを受けました。
 これまでにないくらいの、とても大きなショックです。
 これまでの体験に照らし合えば、このあとただちにうつ病へと転落して当然のものでした。
 しかし、私はうつ病にはなっていません。
 なぜかということは、次の本を読むことで理解できました。

 うつ・パニックは「鉄」不足が原因だった [1]

 この後の説明は長くなりそうですので、次のページへと送ります。
  (Written by TANAKA Takeshi, April 24, 2019)

 参照資料

[1] うつ・パニックは「鉄」不足が原因だった
   藤川徳美・著 光文社新書893

 

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