c15 胆のうガンとの闘い (1) 2019年1月初め〜2月前半

田中 毅(TANAKA Takeshi @ 9621 ANALYSIS)

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 はじめに

 このページでは、私がガンと闘うために、どのようなことをしてきているのかを、3年前の入院時から毎日こまめにつけている、メモ形式の日記をもとに、まとめようと思います。
 つまり、間違うこともある長期の記憶によるのではなく、日記に記した短期の記憶による、まさに事実としての情報をベースとしようということです。

 2019年の1月前半

 1月1日(火) この日は2018年の12月31日の大みそかの夜からずうっと、ゴブリンアートのgoat502.exe の改良。年明けは徹夜で始まった。明け方までには「フルーツ解析」を、夜には「ライス解析」を改良。
 1月2日(水) 朝食として餅3ヶ入りの雑煮。午後1時ごろから玄米を炊く。雑煮に豚肉と人参を加えて食べる。夕方から、次の日の4時まで、ゴブリンアートの色加味解析を直す。
 1月3日(木) 11時まで眠る。あとは平凡なこと。実家へ行き母とテレビを見た。
 1月4日(金) 近くの小さな神社の町の総代として歳旦祭(旦の字は正しくない 日と下線の間に縦の線が入る)に参加。残ってあった年末の新嘗祭のお酒をいただく。ガブガブ飲むのは私だけ。残った一升瓶半分を持ち帰ることとなる。
 1月5日(土) 10時起床。スパイス解析の中にsin(igray)を使ったコントラスト画像を組み込む。これは見やすい!
 1月6日(日) 10時起床。次の日の3時まで、ゴブリンアートの改良。
 1月7日(月) ゴブリンアートの改良。食材の買物。夜の9時、ゆで卵をつくりながら玄米を炒って圧力釜で炊く。やっぱりこれが一番おいしい。
 1月8日(火) ゆうべからずうっと朝8時まで解析。9時ごろ眠り13時に起床。夜も解析。
 1月9日(水) 「お地蔵さんのお菓子のお供えカラスが食べます」の注意書きを作って貼る。これは区長の仕事。椿の湯(入浴施設)へゆく。大晦日の日に「風呂」の記述があるが、そこから9日目。このころのペースは、こんなもの。
 1月10日(木) 11時起床昆布茶を飲む。午後2時ごろから歩いて病院へ行きCTスキャン。歩いて帰り車でJAへ行き玄米などを買う。米粉のたい焼きを買う(もちろん食べた)その他の時間は解析。
 1月11日(金) JAで米粉たい焼きを10ヶ買う。
 1月12日から1月15日までも、これらとよく似たパターン。

 まだガンと宣告される前の私は、ひそかにお腹の中で増殖している胆のうガンに味方するように、ゴブリンアートの解析をやり続け、日をまたぐ深夜まで、あるいは徹夜すらしています。風呂に入るのも1週間に1度くらいのペースで、おそらく基礎体温は、年末に町の内科医で測った35度前後だったことでしょう。今では決して食べない、(小麦粉ではなく)米粉ではあるものの、砂糖がたっぷり入ったあんこ 入りのたい焼きをパクパク食べています。
 このころ私は、ゴブリンアートの改良により、血液などにいるソマチットの中心部分に、まるで虫のような特異なパターンがあることを発見していたのです。私以外の人々は、ソマチットを小さな粒子としてしか見ていません。私はそれのさらに詳しい構造が見えるようにしたのです。しかし、この研究は壁にぶち当たってしまいました。なぜかというと、私の血液の中には、ほとんどソマチットが見つからなかったからです。うすうすは気づいていました。ガンだからかもしれないと。

 2019年のガン宣告からの1月後半

 1月16日(水) 11時から病院へゆき、CTスキャンと血液検査から診断の結果胆のうガンらしい。かなりひどいことになっている。手術は無理。抗がん剤を使っても進行を遅らせるだけという。午後、実家近くの兄のところに行き、一週間後の23日(水)病院に来てもらえるように頼む。
 1月17日(木) ゴミステーションの修理。区長と町代とその町の会計(副町代)で直す。
 1月18日(金) 借りていた駐車場の契約を終える。ゴミステーションの修理のための書類をまとめて提出する(区長の仕事)。
 1月19日(土) この日あたりから、ニンジン、リンゴ、レモンの記述が始まる。ゴブリンアートの改良点の図入りメモもある。
 1月20日(日) 生活のための雑用とゴブリンアートの解析の組み合わせ。
 1月21日(月) 瀬田のフォレオで友人会。胆のうガンだと告げるが、あまりインパクトはなかった。次の日帰り旅行の日が2月18日と決まる。この日に、ケーズデンキでミキサーを買っている。家でスムージーをつくる。
 1月22日(火) 夜から翌日の2時フリーゾーン256をほとんど仕上げる。これで自由に対象をとらえられる。科学分析力としてすごくよいもの。
 1月23日(水) ゆうべ少しゼンソクかと思っていたが、今朝少し痰がでる。カゼぎみか。きっとエネルギー不足で抵抗力が落ちたのかも。胆のうガンのやつのいやがらせか。…… 自転車を押して病院へ(この日は兄を交えての診断)。2月13日までに今後の治療方針を相談してくること。椿の湯へ。スムージーをつくる。玄米おにぎり1ヶ(夕食)。
 1月24日(木) 太陽光発電のおすすめ電話→ことわる。リブデザイン(保険の見直し)→ことわる。「保険に入れる状態ではないので」 関西電力ナントカカントカの代理店、電気代の削減のすすめ→ことわる。夜 腹の中に痛み。エネルギー不足で胆のうが苦しんでいるのかも。夜の8時頃からベッドへ。途中目覚めて、コンピューターを操作しようとしたら、体が思うように動かせない。ベッドの外へ転がり落ちても、うまく立てない。なんとか立ってコンピューターをダウンさせる。眠る。
 1月25日(金) スムージーを作ってカップ2杯飲む。あとは容器に入れて冷蔵庫へ。リンゴはもうない。レモンは1個だけ。(3時半から4時)昼食は(具だくさんの)味噌汁と玄米おにぎり×1。その後の記録はなし。
 1月26日(土) スムージーの制作内容が詳しく記録されている。14時16分ごろ熊本県和水町で震度5弱の地震(これはこのあと詳しく調べた)。
 1月27日(日) 表の道路の雪かき(ゆうべ積雪したらしい)。1日に2リットルのスムージーは飲みにくい。寒い冬だとなおさら。とても1時間以内には食べられない。
 1月28日(月) 今朝の3時〜5時か、ようやく眠って、目覚めたと思ったら、寝汗をかいていたので、シャツを着替えて、また眠った。朝食 ワカメとモヤシと大豆の味噌汁、ぴわ茶、エビオス。昼、玄米を炊く、ニンジン1本、レモン、アボガド、リンゴ1ヶを切って食べる。夕食 玄米ご飯を(レトルトの)ハッシュドビーフで食べる。伊予柑大1ヶ。AM 2019-1-26 熊本地震のデータ解析。PM 知人が訪ねてきて、ご先祖様の仏壇で読経。この中で彼は仏壇に向かって「田中家のご先祖様……(あとは分からない)」と言ったが、この仏壇に鎮座ましますご先祖様はすべて「田中」ではなく母の旧姓「門坂」である。田中の位牌は一つもない。あとで皮肉を込めながらやんわりと説明した。いっしょに「ゆらら」(天然温泉)へゆく。(一度も食べたことがないと聞いていたので)おみやげに玄米おにぎり4ヶを持ってかえってもらう。
 1月29日(火) 私の町のゴミステーションに新たな張り紙。その最後に「区長」とあるが、私は知らない。勝手に書かれたのだ。「一年間区長をやって来たのに、この仕打ち。区長って名前だけあればよいのですか」と激しく抗議する。
 1月30日(水) 台所のシンクにハツカネズミがいた。冷凍しておいたカレーを溶かしていたので、その匂いにひかれてシンクへ飛び込んだようだ。昨年一度野洲川の向こう岸に捨てたやつが戻って来ていたのだろうか。愛着はあってもネズミとは共存できない。捕まえて捨てに行った。
 1月31日(木) ゴミステーションに鍵をかけに行くが、持って行かれていないゴミ袋が2つあった。中に空き缶が見えている。名前は書いていないが、名前を書かないことで、どこからのものかわかったので、引き取ってもらう。夕方風呂へ行く。体重78キログラムぐらい。

 ガンと闘う方法としては、スムージーを作って飲むこと、具だくさんの味噌汁を使って、それをいただくこと、あと、玄米を(乾煎りしてから)圧力釜で炊いて、小さな味噌汁椀1杯ずつとりわけラップにくるんで保存しておき、1ヶずつ食べること、これくらいだと思います。1月の前半に比べると、ゴブリンアートの解析などを深夜まで続けるということがなくなってきました。温泉にはあまり行っていません。散歩はとくにエピソードとして記されていませんが、1日に1〜2時間くらいだと思います。近所の知人は、朝夕2回、各2時間の散歩をされていることで有名ですが、それでも糖尿病はよくなっていません。
 ガンと闘うためのさらに詳しい情報は次の2月の前半あたりに記されています。

 2019年2月1日〜13日(病院での診察)

 2月1日(金) docomoまで歩いてゆき携帯電話の手続き。午後は4時半までサイトのページ作り。夕方ツタヤまで歩いてゆく。他は、食事の内容のメモ。
 2月2日(土) 正月のしめ縄を紙袋に入れて水口神社にもってゆく。節分のどんどで燃やしてもらうため。1月15日のどんどにもってゆのを忘れたから。天気が良い。晴れ。暖かい。
 2月3日(日) 節分 YouTubeで宗像久男の講演などを見る。ポンカン、節分の恵方巻、大豆、卵、豆乳、ニンジンを買って、信楽の実家へ。テレビを4時半まで見る。母と一緒に東北東を見て、恵方巻を1本ずつ食べる(白米を食べたのは、これが最後)。 水口に戻り、シイタケとネギをガスで焼いて食べる。スムージーも作って飲む。
 LR41を買ってきて、2000年までに川崎市で買ってあった体温計の電池を交換する。それでも動かない。説明書を探して読み、スイッチが入っていないだけと分かる。この日から体温の記録がたくさんある。この日の基礎体温の最高値は36.9℃。
 2月4日(月) 図書館で安保徹の本を半分読む(残りは借りて帰って読んだ)。歩いているうちに汗をかく。上着を脱いで歩く。帰ってからシャツを着替え、セーターも脱ぐ。36.2℃ 汗で冷やしたようだ。夕方、椿の湯へゆく。出るときの体重は77.90kg 風呂後の体温は36.9℃。(のちには38℃台へとなってゆく)
 2月5日(火) 夜、2度寝汗をかいて目覚めシャツを着替える。朝、ハチミツ、ショウガ入りびわ茶を飲んでのち37.1℃となる。11時頃 36.2℃(下がった)。JAへニンジン、レモンなどを買いに行った後、35.5℃。汗をかいたためだろう。炒飯の夕食後36.9℃ 上がっている。不思議。基礎体温は確実に上がっている。
 この日、書店で「がんが自然に治る生き方」[2]、「がんに勝つレシピ」[11]、「がんの嫌がる食事」[12]を買う。
 2月6日(水) 体温の記録が続く。午前中36.7℃くらい。日中は歩いて買い物などをして汗をかき、35.4℃。5時半に台所でゆったり座って37.0℃(出た!) 高くなっている。なんとかなってゆくかも。希望がもてる。夕食は玄米1ヶ、野菜スープ、カツオの三和土(たたき、1/2)、アマニ油など。
 2月7日(木) 午後一番の散歩のとき、老人が荷物を積み込みすぎた自転車にうまく乗れずに転倒しているのを見つけ、助ける。一緒に助けた若い女の人が車でその人を送るというので、私は自転車に乗ってゆくことに。ハンドルの前の籠にドリンクなどの水物がたくさん入れられてあり、ハンドルが切りにくく、後ろの荷台と合わせ「こんなに乗りにくい自転車には初めて乗った」とぼやく。このあと、汗をかいて冷えたため、35.5℃。
 夜、区長の会合で市民センターへ。この日は市の部長級を前にしての議論。カーブミラーの件での担当部長の回答が「交差点では車を停めて目視で確認してほしい」と、カーブミラーの存在意義を打ち消してしまい、問題の本質をそらしてしまうものだったので、ただちに相手の発言をさえぎって反論した。会合を終え、家に戻ってから37.5℃。
 2月8日(金) 朝食のとき、「がんが自然に治る生き方」[2]の寺山心一翁のストーリーを読む。
 カーブミラーの現地調査。問題点が見つかり、区長のまとめ役に相談しようと思ったが、連絡先が分からない。中継機関があることに気づき連絡してもらう。夕方連絡がつくが冷たい対応だった。
 老人会が年間6回なんらかの活動すべきところ2回しか行えていないことの、報告のための資料を老人会の会長に依頼する。嘘の報告を4回分作って報告書をつくるわけにもいかない。申請書と報告書は区長が出すのだが、実行は、いくら言っても、老人会の会長の権限で1月まで1回しかしてこなかった。この問題は1年間大きなストレスとなっていたが、ここで私は腹をくくっている。
 風呂後の体重は76.8kg。20時12分の37.0℃がマックス。
 2月9日(土) 午前中は、防災リーダー講習の3回目(年4回行われるはずだったが、これで最後)のため、城山中と東部コミュニティセンターへ。1回目の講習では100名ほどいたはずだが、この日は10人程度。(のちの会議で問題として取り上げる) 活動後の体温は36.0℃。低いが35度台ではない。この日の体温の最大値は18時10分の36.8℃。
 2月10日(日) カーブミラーの撮影に行き、あらためて写真入りでカーブミラーのレポートを仕上げ届ける。(これに対する応答は5月になってもない)
 久しぶりに、ゴブリンアートの改良についての詳しいメモがある。
 最高体温は17時30分、蕎麦(温)を食べた後での、36.7℃。
 2月11日(月) 解析、買物、DVDの視聴。最高体温は13時40分の36.6℃。
 2月12日(火) 午後 信楽の実家へ行き、テレビのアンテナを直す。東山の山頂にある中継タワーとは、まったく違う方向をいていた。これでNHKを始め、ほとんどのチャンネルが見られるようになった。それまで母は、1つか2つのチャンネルしか見ていなかった。
 夕方 椿の湯へゆく。散髪し、体重は、入浴前79.7kgで入浴後が78.7kg。
 最高体温は36.9℃(18時18分)
 2月13日(水) 13時00分〜13時30分 歩いて病院へゆく。3月27日に血液検査をと要望し決める。
 最高体温は37.0℃(10時50分)、診察前が36.7℃で、診察後が36.9℃。

 このころ、まだ基礎体温は1度くらいしか上がっていません。
 免疫細胞によるがん細胞への攻撃は、まだほとんど始まっていないようです。
 2月の後半について、まだ詳しく調べていないので、このあと何かが始まっていたかどうかは、よく分かりません。
 それが確実に始まったのは、記録によれば3月に入ってからのようです。
  (Written by TANAKA Takeshi, May 6, 2019)

 参照資料

[1] 「がん」では死なない「ガン患者」、東口高志・著、光文社新書818, 2016-5-20初版
[2] 「がんが自然に治る生き方」、ケリー・ターナー・著、長田美穂・訳、プレジデント社・刊、2014-11-23初版
[3] 「免疫革命」、(元新潟大学大学院 医学部教授)安保徹・著、講談社インターナショナル・刊、2003-7-11初版
[4] 糖類の分子構造
[5] 「炭水化物が人類を滅ぼす」糖質制限からみた生命の科学、夏井睦(なついまこと)・著、光文社新書663、2013-10-20初版
[6] ブドウ糖とビタミンCの科学構造は極めて似ている
[7] 「ケトン体が人類を救う」糖質制限でなぜ健康になるのか、宗田哲男(むろたてつお)・著、光文社新書786、2015-11-20初版
[8] ダイエッター必読!ケトン体で体内エネルギーの大改革を起こせ
[9] 60mまでの(ほぼ全力)ダッシュの反復など、4本×(4〜6)セット
[10] 100mから300mまでの距離の、全速走に近いペースでの反復、本数やセット数は多くない
[11] 免疫栄養ケトン食で がんに勝つレシピ、管理栄養士 麻生れいみ・著、医学博士 古川健司・監修、光文社・刊、2017-8-20初版
[12] 「がんの嫌がる食事」、丁宗鐵(ていむねてつ)・著、三省堂書店・刊、2013-12-25初版

 

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