c17 胆のうガンとの闘い (3) 2019年3月

田中 毅(TANAKA Takeshi @ 9621 ANALYSIS)

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 はじめに

 私がガンと闘うためにどのようなことをしてきているのかを、メモ形式の日記をもとにまとめます。
 このページでまとめる2019年の3月には、いよいよ私の体の中でガン細胞に対する免疫細胞の闘いが始まったようです。いろいろなことが起こります。
 3月27日が2回目の血液検査日です。
 その前に「ダントツ長野県の謎」を調べるため長野県へ車で調査に向かっています。
 安保徹の「ガンを治す究極の四カ条」[3] についても、このあたりから真剣に取り組み、生き方そのものを大きく変えることになりました。
 内容が多岐にわたるので、これまでより簡潔にまとめるつもりです。(その結果が、これ!)
 (このページはとてもドラマチックです。何度読み返しても、読み返したくなります。そのように思えないのは、おそらく私の筆力が不足しているためなのでしょう。もっとも、ここでの表現は、あくまでメモ形式の日誌の編集というスタイルなので、あしからず)

 2019年3月1日〜15日(3月前半)

 3月1日(金) 午前4時 寝汗をかいて目覚める。胃は空っぽになっている。左あごの下のリンパ(節)が、まだ少し腫れている。(のちに、ガン細胞の転移をリンパ節でくい止めているのだと気づく)
 3月2日(土) 夕食後のメモ 左あご下のリンパ節の痛みが消えてきた。
 3月3日(日) 区としての配布物を各町代へ。老人会のまとめの資料を老人会会長に催促するが「まだだ」という。「2月中に出したかったのに」と文句を言っておく。夜 DVDを2本見てリラックスした後、(23時05分)37.3度。脚が熱い、(基礎体温が)上がって来た、とのメモあり。
 3月4日(月) 夕方 椿の湯へ。体重は79.0キログラム。夜DVDを見る。
 3月5日(火) 社協へ助成金に関する書類を提出した。あらかじめ問い合わせに行ったところ、「老人会の資料はいらない」が「助成金を返却すると記した書類」の提出を求められたので、さっさとそのようにした。老人会の開催が(年間6回のところ)2回では要件を満たしていないので、補助金は返せという。いかにも役所系人間の判断である。これでひとつ、この役所が存在する理由が消えた。私たちから年会費や募金をたっぷり集めておいて、その一部を支給するから、我々の計画どおりの事をしろという構造があることを明らかにして、これでは「マッチ・ポンプ」ではないかと、その部署の責任者を問い詰めた。こんな組織は住民の役に立っていない。彼らの存在意義を支えるために、私たちは利用されているだけなのだ。
 夕方 外部依頼のホームページ(CCHP)の更新作業。夜 DVD「裏窓」(ヒッチ・コック監督作の古典)
 3月6日(水) あらかじめ区長も来るようにとの依頼文が届いていたので「高齢者交通教室」へゆく(やって来ていた区長は私だけだった)。この講演の中で「JAFの信号機がない横断歩道で停まる車の調査」について知り、最後に質問した。「ダントツ長野県の理由が分かっているのですか」と警察官に問う。「分かっていません」という。「それならなぜ知ろうとしないのですか」と問い詰めた。
 午後 2つの図書館へ行く。CCHPの更新作業。
 3月7日(木) 午後 信楽の実家へ行き、母とDVD「ザ・グレーテスト・ショーマン」を見る。この日は、朝食後37.0度、DVDを見た後37.3度、夜の10時30分に37.1度と、37度台が何度も出た。基礎体温は確実に2度上がっている。
 3月8日(金) 朝の体温は測っていない。午前 区の引継ぎ用資料のまとめ。午後 散歩と買物 36.1度〜36.3度。16時半から椿の湯へ。風呂を出てから37.9度。夕食後 37.6度(普通の計測の新記録!) 就寝前 36.2度。このまま寝る。
 3月9日(土) 区長の仕事で歩き回る。36.6度。
 3月10日(日) 区長の仕事をいろいろ。その最後に、老人会の会長をつかまえて話し合ったところ、区から老人会への、いつもの支給額を全額要求された。社協からの補助金をもらえないようにしておきながら、この要求。この人間は論理的な判断ができないと思い、そのまま受け入れた。どうせ私の懐は何も痛まない。区の財政が危うくなったら、区民から、さらに区費を払うように要求すればよいだけである。この老人会は、やがて、自然消滅するだろう。会長以外の成員は、ほとんど、そう思っている。
 夕食後 37.4度(興奮状態のためだろう)
 3月11日(月) 昨日の夜から胃が重い。断食すべきか。紅茶やスープで胃を休めた方がよいのかも。昼は玄米おにぎり1個と漬物(食べられらるようになっている)。夕方 椿の湯へ。風呂後の体重は77.5キログラム。やや軽い。
 3月12日(火) 胃の中は空っぽ。グーという音さえする。しかし、少し重い感じがする。朝食は摂っている。この日は、区長としての仕事に3つ取り組んでいる。その3つ目が「JAF調査ダントツ長野県の謎」についての、警察署交通課の人との会談。友好的なものとなった。
 3月13日(水) 夕方 映画館で「翔んで埼玉」を見る。私は関東圏に10年いて仕事をしていたので、とても笑えた。このコメディ映画は、関東圏ではバカ受け間違いなし。ここ滋賀県では、私以外誰も笑っていなかった。最後に立って拍手でもしたかったのだが、ぐっとこらえた。この映画のおかげで、とてもリラックスできた。
 夜 黒沢明監督の「八月の狂詩曲」をDVDで見た後、2月21日(木)にBook Offで買った4冊の古本の1冊、「はじめてチャクラの本(CDつき)」[13]のCDを流して、第7チャクラから順に第1チャクラまで、これらについての瞑想トレーニングを行った。第6チャクラ 額の真ん中で何かを感じたことは、これまでにもあったが、他はまったく何も感じなかった。これまでは、下の第1チャクラからイメージしてゆくかと思っていたが、CDでは頭頂の第7チャクラからだった。下から3つ目の第3チャクラのあたりに、問題の胆のうガンがある。太陽神経叢とも呼ばれているチャクラだ。
 このように思いついたのは、「がんが自然に治る生き方」[2] で詳しく説明されていた、日本人のシン(日本名 寺山心一翁)の物語([2] 第2章 治療法は自分で決める)を読んでいたから。ここでは、シンが朝、瞑想を続けることで、7つのチャクラで何かが回転していることを感じ取り、やがて、第1チャクラから第7チャクラへ向かっての、クンダリニーが起こったという。やがて末期的なガンは消え去り、再発なしに25年生きているという。
 ここまで完璧なことは出来なくても、少しは役に立つかもしれないと思ったのだ。どうやら私は、(前世あたりでは)落ちこぼれの修行者だったに違いない。チャクラの回転なぞ、まったく感じることは出来なかった。
 7つのチャクラについての瞑想を反復しながら、いつの間にか眠った。
 3月14日(木) (午前)2時20分 (いつもの)小用のため目覚めた。36.3度だった。腹の膨らみを感じない。ベッドに戻り、布団の中で上向きに寝て、右手で腹の鳩尾(みぞおち)部分をなぞった。やはり膨らみを感じない。何度も確認した。胃の辺りの重みは、まだ少しある。だが、膨らみは消えた!
 中庭の小用トイレまで歩くとき、腹腔にやや痛みがあることが分かった。少し眠った。
 4時00分に目覚めた。腹腔の痛みはほとんど感じられなくなった。2時20分のころ、ひょっとすると、胆のうが破れて、胆汁が腹腔に出たが、それもリンパなどへ吸収されたのかもしれない。しかし、これはよく分からない。とにかく痛みは、ほとんどなくなっていた。36.8度。
 4時半〜7時00分 DVD「MASH」を見た。これも素晴らしい映画だった。37.3度。いつもより1度高い。足は冷たいのに。胆汁が腸のほう(その外側)へ移動しており、白血球などが活動しやすくするため、高くなっているのかも。
 本日のプラン (1) 3月17日(区の新旧役員引継ぎ会)の資料を片付ける。→ いつでもできる(やらなかった)。(2) 朝から風呂にゆく(やらなかった)。(3) 午後 どこかで映画を見る。(4) 食事は軽く、ナッツ、甘夏、チーズとか。あるいは軽いスープ。
 8時10分 36.9度。けっきょく、午前中から移動し(車の運転は痛みなくできる)、草津のイオンシネマへ行き、「グリーンブック」を見る。映画の後、歩くと腹の中(下のほう)が少し痛む。やはり、温泉と昼寝のプランのほうが良かったかも。37.8度。
 夕食(1) ココナツミルクの豆乳わり×1。ベッドで夕寝。1時間〜2時間くらい。腹の痛みがかなり消えた。夕食(2) 出汁をとって、具はひかえめで、味噌汁(小×2)。20時25分 37.5度。この後は眠ったと思う。
 3月15日(金) 7時40分 36.6度(目覚め時の体温としては)いつもより少し高い。腹の中の痛みは、ほとんど消えている。上向きでベッドに寝て鳩尾(みぞおち)を触れると、膨らみはほとんどないが、押さえると、やや痛みを感じる。胆のうはどうなっているのだろうか。
 9時半からドライブ。岐阜県の養老天命反転地へ行く。午後3時40分 帰ろうとして駐車場に戻ったとき、着信があることに気づき、電話すると、警察からで、まったく知らない警察官から「何か交通事故か違反でもしたのですか」と疑われる。「交通課からの連絡があるはず」と説明して、担当者の名前も指定して、とりつないでもらう。滋賀県警から長野県警へ問い合わせた回答のことらしい。ぼんやりしていた。儀礼的な応答にも思えたが、これはこちらの説明不足だったと思い直し、あらためて説明に行くことに。
 水口に戻り、椿の湯へ。風呂前の基礎体温が38.1度だった。(新記録) 風呂後は38.2度、ほとんど変わりない。体重は77.65キロから76.55キロへ。夕食 リンゴと伊予柑を切って食べる。37.9度(半袖短パンなのに。これもある意味新記録) 9時55分 37.6度 これが普通とは!

 2019年3月16日〜3月31日(区長の役目が終わるまで)

 3月16日(土) 配布物の準備に始まり、夕方近くまで区長の仕事を5つほどこなし疲れたとある。16時30分〜19時頃まで、映画館で「キャプテン・マーベル」を見る。めちゃくちゃなストーリー。スーパーウーマンがなぜ大きな力を持つようになり、空まで飛べるようになるのか、まったく不可解。夜 明日の書類の整理とプリントアウト。9時10分 37.3度。
 3月17日(日) 区の新旧役員引継ぎ会。いつものメモ日誌のページ(原則として1日1ページ)として6ページの記録が残されているが、ここでは割愛する。
 この日は基礎体温が37.0度までしか上がらなかった。夜 DVDで「アベンジャーズ」(やはり、めちゃくちゃなストーリー)と黒沢明監督の「天国と地獄」(こちらは落ち着く)を見る。夜の10時20分 36.6度。
 3月18日(月) 朝の6時30分〜9時00分 DVD「生きる」(黒沢明監督)を見る。36.7度。
 公園でブランコに乗ったまま亡くなった、市民課の課長のお葬式の場面が、とても長い。斬新な構成だと思った。この課長もその家族も、医師からガン宣告を受けていない。この当時、ガンは本人には知らせず、かわりに家族に知らせるというのが通例だったはず。また、公園で亡くなる前の課長は、ガン細胞によってエネルギーを奪われてやせ細り衰弱する様子が見られない。ガン患者はガンでは死なないものなのだ[1]。ときどき腹部に痛みがあるというシーンが入っていたが、これだけではガンと判断できない。もちろん、そのころ、CTスキャンは無かった。そのデータ解析のアルゴリズムは、私と同世代の研究者が開発したものだ。トモグラフィ―と呼ばれている。私はそれが適用できないケースのアルゴリズムを開発していた。血液検査での腫瘍マーカーの技術も、おそらくなかったはずである。決め手はレントゲン(X線)写真くらいだったことだろう。私はこの映画の中で課長はガンではなく、雪が降る中、ブランコにのったまま凍死したのではないかと気づいた。そのようなストーリーが隠されていたとしたら。脚本も書いていた黒沢明監督のすごさが浮かび上がってくる。
 ゆうべ、胆のうがまた膨らんでいた。第3チャクラ(鳩尾のあたり)を意識して、呼吸して眠った。朝、あまり大きく膨らんでいない気がする。圧迫感はあり、やや痛むので、正常な状態ではないだろう。
 11時ごろから水口を出て、東近江市の御園交差点を右折して、永源寺 → いなべ市 → 岐阜県へ入り → 国道21号経由で、岐阜市から東海北陸道(高速)で高山へ → 長野県へ。
 夕食は長野市にある食品スーパーのデリシャスで買い求め、イートインコーナーで摂る。36.9度。
 深夜にやや仮眠。
 3月19日(火) 0時30分に目覚めて、横断歩道の黄色い旗を探した。この内容については、ここでは割愛する。
 14時50分 (水口の家に戻って)35.8度。椿の湯へ。風呂から家に戻った後、台所で夕食を作っていたら、突然鼻血が出てきたので、一滴プレパラートに垂らしてカバーグラスをかけ、顕微鏡で観察して撮影し、コンピューターに保存。のちに解析したところ、花粉らしき大きな粒子を白血球が覆っていた。花粉が飛ぶときには、私も吸い込んでいるようだが、これでは花粉症になりようがない。免疫細胞があふれている。20時52分 35.9度。低いが、そのまま眠った。
 3月20(水) 18日と19日にかけて、ほぼ28時間も車に乗り続け、もう車にはしばらく乗りたくないと思った。この日から、表の店だったところのシャッターを開けたままにしておけるようにと、その内部の小屋のような仕切りを直し始める。この日の基礎体温は36.9度。
 3月21日(木) 午前 資料づくり。区長として取り組んでおくべき問題点A〜Dについて。
 午後 実家へゆき、母とDVD「祝宴!シェフ」(台湾映画、チェン・ユーシュン監督、キミ・シア主演)を見る。17時45分 37.3度。
 夜 新旧区長引継ぎ会。一人低人格の区長がいて、ひどい会合だった。司会としての区長も、何も対処しない。あきれた。後半の宴会では、多くの新区長とも打ち解けた。
 3月22日(金) 5時30分起床 朝食後、4つほど用事を片付け、11時〜18時まで、もと店のツバメ小屋を改修した。作業を続けているとき、深く呼吸すると、胆のう部分が軽く痛む。椿の湯へ。風呂後76.75キログラム。
 3月23日(土) 7時25分起床 36.2度。9時〜18時 ツバメ小屋の改修。入口の壁と扉を仕上げた。9時間ほど仕事を続けたが、昨日のようには、腹の中央(胆のうあたり)が痛くはならなかった。胆のうは膨れていないようだ。19時19分 36.9度。夜 DVD「ザルドス」を見る。この映画は、19歳のころ、京都で公開されていたが、見ていなかったようだ。36.8度。
 3月24日(日) 6時30分起床。朝食と洗濯のち36.9度。8時〜17時 ツバメ小屋へ、中庭の道具棚をばらして運ぶ。全部分解しないと、中庭と土間の台所の間の扉のところが通過できなかった。ほかにもいろいろ作業した。
 3月25日(月) 2時〜4時ごろ、DVD「笑う故郷」を見る。さらに眠って5時40分起床。36.2度。
 8時〜15時30分 ツバメ小屋の改修。バラの壁も直す。作業中、胆のうが苦しくなるということはなかった。
 16時から椿の湯へ。電気風呂(強)で腹部を刺激する。腕立て伏せや腹筋、片足ハーフスクワットなどの筋トレも行う。風呂後、胆のう部分はあまり膨らんでいない。
 3月26日(火) 午前1時ごろ、眠れなくて、レモン多めのスムージーをカップ1杯食べたが、これは胃に重かった。
 午前2時ごろベッドで目覚めて気がついてみると、胆のう部分がぺしゃんとなっている。また破れたのかもしれない。深呼吸すると、胆のうの周囲に軽い痛みを感じる。昨日の風呂で、電気風呂の刺激を鳩尾(みぞおち)あたりに加えたのがきっかけになったのかもしれない。
 午前4時40分 37.6度。高い! 6時00分 37.7度。高い! やはり胆のうが破れて、腹腔で炎症がおこっており、白血球が激しく活動しているらしい。
 DVD「80日間世界一周」を少しずつ見る。
 8時15分 37.5度。
 今日は朝食を少しスープで摂ったが、断食モードでよいだろう。(これがおそらく、翌日の2回目の血液検査で「やや貧血」と出たことの原因だろう)
 この日はとても暖かい。気温15度ほど。12時40分 37.0度。
 午後 買物、散髪のあと、椿の湯へ。1時間45分ほど入浴し、出てから、畳の間で昼寝(およそ1時間)。腹腔の痛みがかなりなくなった。歩ける。18時50分 37.7度。炎症はまだ続いているようだ。20時に眠る。
 3月27日(水) 午前2時に目覚める。1時間ほどDVD「80日間世界一周」を見る。3時30分 37.0度。いつもより高い。眠る。5時45分 36.9度。6時〜7時 朝食準備→朝食。7時20分 37.0度。コンスタント。
 西友へ買物にゆく。ガソリンを入れる。家に戻って洗車。9時10分 38.2度。ベスト! 10時ごろツバメ小屋の外壁に版画作品を貼りつける。12時35分 35.7度。日中活動中の体温か?
 14時35分 病院での血液採取後、待っているとき、36.7度。血圧 155/101(118拍)。
 2回目の血液検査についての診断(割愛)。その後の、外での、看護師さんとのやりとり(割愛)。
 この日は車で行って、車で帰った。歩くと腹腔下部が痛むので、とても30分も歩けなかったから。
 3月28日(木) 午前 甲賀警察署へ行き、交通課の人(もちろん警察官)に、長野県の調査結果について説明する。「まったく思いもかけなかった、新たな視点について教えてもらった」と感謝される。
 午後 信楽の実家へ。母の希望で信楽の墓参り。DVD「終わった人」を見る。19時00分 36.3度。低い! (腹腔の炎症が収まったらしい)
 3月29日(金) 午前 @屋根上ベランダの土を片付け、中庭のリンゴの木の間に移す。A黒い枠板をツバメ小屋のスダレ戸の下にはめ込む。
 午後 バローでチーズ、コメリでバラの肥料を買う。15時ごろ 36.2度。椿の湯へ。2時間も入ったので、76.00キロから74.35キロまで減った。26日の断食が影響しているようだ。17時から18時は畳の間で、桂米朝の全集(文庫)の「たちぎれ線香」を読む。小糸と若旦那との悲恋に、思わず涙した。がん治療のひとつとして笑うため、DVDでコメディ映画を見るほかに、落語の本をゆっくり読んで笑うことにしていたが、この作品では、笑うだけでなく、それ以上に、泣いてしまった。
 夕食後 19時20分 37.4度。ようやく、リラックスモードの基礎体温となる。
 3月30日(土) 午前2時〜4時 DVD「バッド・ジーニアス」(タイ映画)を見る。4時〜6時 眠る。
 6時 起床。〜13時 区長の引継ぎのための資料づくり。USBファイルの準備。
 午後は買物や図書館へゆく。16時30分 37.4度。17時ごろからベッドにもぐりこむ。
 腹腔が少し痛む。胆のうがまた閉じて膨らんできているのかも。
 3月31日(日) 午前2時半 チーズを食べきる。DVD「アパートの鍵貸します」を見る。今はお婆さんになって演技しているシャーリー・マクレーンが、とても魅力的。眠る。
 6時起床。朝食。36.4度。ゆうべ少し腹腔や胆のうあたりに痛みがあったが、この日の朝は痛みを感じない。基礎体温もやや低め。がん細胞と免疫細胞の闘いは沈静化しているのかもしれない。しかし、まだ血液検査の27日から3日間しか経過していない。
 7時〜15時 @ツバメ小屋に新たな棚をつくる。A新区長への引継ぎ。B町代に最後の配布物。C木材を買いにゆく。
 18時〜20時 散歩。いろいろ行ったが何も買わなかった。その後家に戻り、夕食。36.4度。いつもより1度低い。がん細胞への攻撃中ではなかったか。それなら1度以上高いはず。

 まとめ

 基礎体温は2度ほど高まっています。
 安保徹の四カ条にしたがい、がんを恐れないことに加え、がんに味方するストレスを取り除くため、区長の仕事などでため込んでいた、それらのストレスの源となる問題を、一つずつ取り上げて、解決するための取り組みを行おうとしています。区長の会議などでも、(すぐに死ぬとは思っていませんが)死ぬ気なんだから何でも言えると、筋の通った発言を繰り返し、一部の区長たちからは煙たがられましたが、多くの区長から好意的な支持を得ています。老人会の無責任会長とも対決し、マッチ・ポンプの社協にも立ち向かおうとしています。「ダントツ長野県の謎」に取り組み、多くの人々の支持を取りつけるようになりました。これは思った以上に重要な仕事となりそうです。
 生活態度として、より安定した、明るく前向きな心を培うため、笑うことにも取り組みました。ガン宣告以前の2年間、私はまったく笑うことなく過ごしていたのです。意図的でもよいから、演技でもよいから、笑っているふりをするだけで、免疫力を高める効果があると学び、ラジオを聞いて笑える瞬間があれば、「あはは」と声を出し、DVDでコメディ映画をできるだけ借りて見るようにし、桂米朝の落語全集をすべて(図書館で)借りて、少しずつ読みました。
 瞑想トレーニングや電気風呂の効果も得て、免疫細胞が胆のうガンを攻撃して、その胆のうを破るという現象を体験しました。この月では2回ですが、これはまだ続きます。
 3月の初めの頃、ガン細胞の転移が始まっていたようですが、これは、免疫細胞の活躍を信じて、その活動が高まるように心がけました。
 風呂にもよく行きました。リラックスできるし、体温も上がります。
 ストレスのもととなる、コンピューターに向かっての、ゴブリンアートなどのプログラム修正、ホームページなどの編集などもほとんど休止することにし、よりリラックスして取り組める、ツバメ小屋の改修と、本棚と本の整理により、生活空間をより快適なものへと変えるようにしました。
 以前から残っていた不要なものを、整理して捨てました。捨ててしまうと、そんなものがあったことも忘れてしまいます。
 表にある、バラの植木を中心とした、小さな庭園を整理し、この間に温かくなりはじめ、バラたちも今年の葉を広げ始めました。
 長野県へ突然車で行きましたが、高速道路を走るのはストレスになるものの、下の道を通常の速度で走るのは、逆にリラックスできるようです。
 ガンの胆のうや腹腔など、直接見ることができない部分においても、痛みなどの感覚により、そこで起こっていることをイメージすることができるようになってきました。
 ここでは取り上げませんでしたが、1回目と2回目の血液検査の結果を分析したものは、これらの状況とうまく整合しています。
 ガンとの闘いは、まだまだ続いてゆきますが、いろいろなことが起こってゆくので、かえって、そのことが楽しみになってきました。
 私は、私自身がどうやって死んでゆくのかを知る権利だけでなく、どのように生きてゆくのかを知る権利も、ともにもっているのです。
  (Written by TANAKA Takeshi, May 8, 2019)

 参照資料

[1] 「がん」では死なない「ガン患者」、東口高志・著、光文社新書818, 2016-5-20初版
[2] 「がんが自然に治る生き方」、ケリー・ターナー・著、長田美穂・訳、プレジデント社・刊、2014-11-23初版
[3] 「免疫革命」、(元新潟大学大学院 医学部教授)安保徹・著、講談社インターナショナル・刊、2003-7-11初版
[4] 糖類の分子構造
[5] 「炭水化物が人類を滅ぼす」糖質制限からみた生命の科学、夏井睦(なついまこと)・著、光文社新書663、2013-10-20初版
[6] ブドウ糖とビタミンCの科学構造は極めて似ている
[7] 「ケトン体が人類を救う」糖質制限でなぜ健康になるのか、宗田哲男(むろたてつお)・著、光文社新書786、2015-11-20初版
[8] ダイエッター必読!ケトン体で体内エネルギーの大改革を起こせ
[9] 60mまでの(ほぼ全力)ダッシュの反復など、4本×(4〜6)セット
[10] 100mから300mまでの距離の、全速走に近いペースでの反復、本数やセット数は多くない
[11] 免疫栄養ケトン食で がんに勝つレシピ、管理栄養士 麻生れいみ・著、医学博士 古川健司・監修、光文社・刊、2017-8-20初版
[12] 「がんの嫌がる食事」、丁宗鐵(ていむねてつ)・著、三省堂書店・刊、2013-12-25初版
[13] 「はじめてチャクラの本(CDつき)」、矢尾こと葉・著、永岡書店・刊、2016-7-10初版

 

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