c23 胆のうガンとの闘い (9) 2019年5月19日〜5月23日

田中 毅(TANAKA Takeshi @ 9621 ANALYSIS)

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 はじめに

 私がガンと闘うためにどのようなことをしてきているのかを、まとめます。
 5月23日は3回目の血液検査とその診断日です。詳しい診断結果は、別のページで解析して示しますが、ここでは、それまでの過ごし方について述べてゆきます。

 2019年5月19日〜22日

 5月19日(日) 4時30分 起床 36.7度(安定)。
 朝食(ラカントSとヨーグルトで味をつけたヨーグルト)。
 5時〜5時30分 DVD「エイリアンフロムメテオー侵略―」を少し見る。
 〜8時30分 眠る。
 バラの世話(紐で支持する)。
 9時 36.3度。〜10時10分 DVD「エイリアンフロムメテオー侵略―」を見る。これもB級SF映画。とくに感動はしない。安価な費用で作られた作品の中にも、たまには優れたものが見つかるのだが。10時20分 36.2度。
 市会議員へ電話し、私が話したことのすべてについて、今後の議員活動で使わないようにと申し入れる。
 11時〜13時 知人の家へ。彼は教頭先生をしていたが、正規の退職の1年前に辞めたということを、共通の教え子から聞いていたので行ってみた。私の仮説は当たっていた。彼はガンで(1年だけ)早期退職したという。現在も放射線治療を続けているという。その副作用がきついのだとも。基礎体温を聞いたが
 「低いでしょね」
と言うだけで、測ったことがない様子。さらに
 「そのため、免疫力が低いのでしょう」
と、まるで他人事。私は
 「基礎体温を上げて、免疫力を高めようとはしていないのか」
と、高飛車に言及。教師時代の先輩と後輩の関係が、ここでも消えてはいない。
 ガンの治療は、まったく医者まかせで、自分で治そうと意図したことはないのだそうだ。
 「もう脊髄に転移している」
とも。
 「転移なんか、免疫力をあげてゆけば、なんとかなる」
と私。
 このあと、私のガン治療のことを話した。
 私の免疫力は脳への転移を防いできたし、すでに1/3も変化していた肝臓への転移も、血液検査のデータによれば、ほぼ回復している(はず)。
 車を彼の庭から出して帰る時、彼は
 「これからも友人としてつきあってゆかなきゃならないでしょうね」
 「共通の話題(ガンのこと)もできたしな」
と私。
 とくに喧嘩別れしたわけでもないが、私が教職をやめた30歳台前半のころから、自然と住む世界が変わってしまい、数年前(互いに離れて30年後くらい)に近くのコンビニで出会ったときがあったが、そのとき彼は教頭先生で、私は派遣社員として、一週間で昼夜を入れ替える仕事をこなしていた。話すことなぞ何もなかった。かんたんに挨拶して別れた。
 午後 ゆらら(温泉)へ。13時50分 入浴前の血圧 122/77(116拍)。入浴前 36.8度 73.5キログラム 入浴後 38.1度(普通) 72.6キログラム(やや異常)。入浴後の血圧 113/76(124拍) 今日はこんなに低い。体重の低下。食事を摂っていない。摂れる状態ではなかった。昨日の土曜日の台腹筋で、腹部の胆のうを帯状の腹筋で包んで引っ張ってしまい、その強い圧力で大量の胆汁を十二指腸へと送ってしまった。これで昨日は、ほとんど動けなかった。今日は、動けるものの、胆のうの近くにある胃袋は、食物を受けいれて膨れようとすることができない。胆のうが痛むから。
 温泉を出てからも、畳の間で長時間休む。
 バローで食材を買って帰り、夕食(魚の造り、大根のけん、トマト、豆乳、リンゴ、メカブ、白菜漬け1/2)。
 19時20分 37.3度(ようやく上がって来た)。
 5月20日(月) 2時〜4時30分 DVD「The Death of Starlin(スターリンの葬送狂騒曲)」を見る。主人公はフルシチョフ役のスティーヴ・ブシェミのようだが、これは最後にならないと分からない。最近のTVシリーズのスタートレックで艦長をやっていたジェイソン・アイザックスが、軍の最高司令官だという。勲章をたっぷりつけて、クーデターを指揮していた。似合っている。コメディドラマという評価だし、その要素はふんだんにちりばめられていたものの、一度も笑えなかった。スターリンの粛清という背景があまりに重い。
 4時30分 37.1度(やや高くなる)。笑っていないものの、リラックスはできたようだ。
 朝食(1)(リンゴ、トマト)。
 c99 乳酸には発ガン作用があるらしい を直す。これは競泳の池江璃花子選手へのメッセージ(公開しただけで、送ってはいない)、あるいは、無思慮にガンとの闘いについて応援しようという人々やマスコミへの警句。私はもっと難易度の高いガンだが、医者でもガン患者でもない人に、「お大事に」とか言われたくない。自分の命があとどこまで続くのか分からない、そんな状況になったことのない人に、いったい何が分かる! ガンになって初めて、これまでの生き方がどう間違っていたのかに気づいた。こうして生きている、生きていられる時間が、どんなに貴重なものかということが、心の底から感じ取れる。ガンになってはじめて、これまで私は眠りながら生きてきたということに気づいた。昔、バグワン・シュリ・ラジーニーシという聖者が(数多くの)本に記していた言葉の意味を、深く静かに感じ取ることができるようになってきた。
 5時00分 37.1度(変わらない)。スズメが餌台に来ている。
 胆のうのあたりはまだ痛む。大量の胆汁はすでに腸内で吸収され(のこりは便として)、すでに体外に出してしまっているようなので、腸はどこも痛まない。ベッドで目覚めたとき、胆のうの痛みは消えたと思ったが、活動すると少し痛む。眠る(5時10分〜8時10分)。
 8時10分 起床(2) 36.5度(正常)。
 8時30分ごろ、市役所の課長から電話があり、(うつ病かもしれないと心配していた)前課長が出勤してきているので、11時から会談することとなる。
 朝食(2)(擂りおろし人参×1/2本、モズクとワカメと納豆の和え物、トマト、リンゴ少々、豆乳)
 9時20分 35.8度
 ネッツトヨタへ行き、オイルを1リットル追加してもらう。
 11時〜 市役所で前課長と現課長と私とで鼎談。行者講が区長を利用しようとした件について。前課長は風邪で休んでいたらしい。今日もマスクをつけている。私なら、風邪のウィルスなぞ、ここまで免疫力が高まっているのだから関係が無い。マスクの配慮は不要、と言いたかったが、止めた。この一件の問題点について詳しく説明する。どうやら理解してもらえたようで、現課長が対処すると言ってくれた。この件についての説明の中で、いろいろなエピソードを語り、いつのまにか、チベットの聖者ミラレパの話になった。ミラレパの生涯は、抽象的には、私とよく似ている。ミラレパは聖者になったが、私は何ものでもない。でも、なんと言われようが、私には私のやり方で、現代の世界においてやるべきことがある。そして、今、それをやろうとしている。ここでちょっと感情が揺れた。
 教え子の課長がいる窓口へ行くと、何も言わないのに、職員が彼女を呼び出してくれる。昨日の日曜日、彼女が心配していた、かつてのクラブの指導者も、ガンであったと話す。一度行くようにと彼女が勧めてくれたことにお礼を言う。おかげで、私と彼とは30年ぶりに、また友人になれた。話は短く切り上げて、彼女を解放した。
 もうひとつ行くべき課があって、その前に行くと、課長たちは遅番の昼食に行っているのでと、戻ってくる時間を告げられた。さらに、私に理科を習ったとも。十種競技をやっていた私のことも話し出した。
 しばらく中央通路の窓際で、市庁舎前の道路にある、信号のない横断歩道を眺めていた。歩行者妨害をして通りすぎてゆく車が、いくらでもある。
 午後 建設管理課の窓口に行くが、身なりの整った女性が窓口の椅子に座って、昨年の課長(今年は少し偉くなって肩書が変わったらしい。課長Aとしておこう)と話している。通路にある近くの椅子に座ると、断片的に話されている単語が聞こえてくる。
 課長Aと窓口で話し出す。私は
 「さっきの人、横断歩道のことで何か言っていましたね」
 「市会議員で、友人が前の道路で、歩行者妨害で捕まって、(交通違反の切符として)2点とられ、(罰金)9000円とられたと」
 「文句を言ってた?」
 「いいえ、ただの愚痴話でした。そんなことは初めてだと」
 「何年、車を乗ってんだ。こんな違反があると知らずに運転していたなんて、アホ丸出しやろ」
 「市庁舎の前でしたし……」
 「それって、私が取り締まれ、って、警察にハッパかけたんですよ」
 「へえ〜 ほんとうですか」
 「ほんとうです!」
 簡単に、横断旗についての物語を説明した。課長Aは、ダントツ長野県の謎を解くため、突然車で長野県へと言って、道路にある黄色い横断旗を調べたことについて
 「すごい行動力ですね」
と言う。私は
 「すごい行動力って、あたりまえのことをしただけでしょ。分からないことがあるので、現地に調べに行った。研究者や学者なら、みんなそうします」
 ここで私が課長Aから聞きたかったことは、横断歩道を新たに設置してほしいというときに何課へゆけばよいのか。標識を立ててもらうときは? 横断歩道の左右の歩道などに、旗のようなものを置くというケースでは? さらに、そのようなことを具体的に進める主体(自治振興会など)へ連絡を取ろうというときの窓口は?
 このあと、公安委員会への窓口を受け持つ課へゆき、かんたんな事情を説明して、課長と課長補佐にあいさつをしておく。
 16時40分から、別件で、近所の中学校へと向かう。この件については、ここでは省略しておこう。
 バローで食材を買物する。顔なじみのレジの人が
 「足をどうかされたのですか」
 「どうもしていません」
 「腰を痛めているとか」
 「腰も痛めていません」
 いつもは「買物袋はお持ちですか」と聞くはずの彼女が、そのように聞いてくれたのは、私がいやいや歩いていたからである。まるでロボットかゾンビのように、動かない体を、倒れてはいけないとコントロールするように歩いていたのだ。私はいつものように、ポケットから買物袋を出して
 「袋は持っています」
 レジのカウントが終わって、私が財布を開けてお金を探していると、清算済みの赤い籠を品物ごと、窓ぎわの台へと運ぼうとしたので
 「運ばないでください」
 「えっ?」
 「運んでもらうと、私が老人みたいに見えるでしょ」
 「そんなつもりでは…」
 「もっとも、老人に見えるように、白いひげを生やしているんですが」
 「そんなことありません。お若く 見えますよ」
 「でも、正真正銘、先日、老人枠に入ったところなのです。病院の支払いも2割になったし…」
 今日は、胆のうに痛みがあるのに、朝から(11時から)夕方まで、(無償だけれど)働きすぎた。
記録はないが、このあと夕食。
 ベッドにもぐりこんだが、眠れなかったので、コンピューターに入れてあるカーペンターズのCD2枚分をエンドレスで流した。〜22時30分とあるので、およそ4時間聞いていた。
 24時10分 36.5度。この後眠った。
 腹の膨らみはない。胆のう部分の痛みもなくなってきた。熱もとくにない。カーペンターズを聞いているうちに、リラックスして治ってきたようだ。(永い一日だった。ほんとうに時間の密度を濃く感じる)
 5月21日(火) 2時〜3時 DVD「セルジオ&セルゲイ」の初めのところを見る。3時〜5時 眠る。
 5時 起床 35.7度(低い)。寝汗をかいて体を冷やしたらしい。
 朝食(1)(チーズ4ピース、豆乳)。
 腹は平ら。痛みはほとんどない。歩くのが苦痛ではなくなった。脚の太腿がかなり細い。深い歩行などで、弱い負荷をたくさんかけて、太くすべきだと思う。
 〜5時35分 DVD「セルジオ&セルゲイ」を見る。
 5時40分 36.6度。
 8時35分 朝食(2)(チーズ、日本茶)。36.6度(これで安定か?)
 9時30分〜10時 建設管理課へ行き、課長Bと課長Aに、カーブミラーを磨く技術として、羊の皮を使うことができるかもしれないと説明。その技術でグラスファイバーの面をピカピカに光らせている(かつて私が働いていた)工場の名前と場所を教える。
 10時〜11時ごろ ナンバー2(本人は3か4だと)と会談。
 11時〜11時30分 生活環境課へ行き、横断旗の件について、図や写真を見せて補足しておく。昨日は言葉だけの説明だったので。
 信楽の実家へ行き、母が昼食の弁当を食べる間、テレビを見て過ごす。13時から水口の門坂家へ移動し、表のバラや改良したツバメ小屋、奥の離れの間の中を広くしたことなどを母に見てもらう。
 昼食(トマト1個)。映画館へと移動し、「コンフィデンションマンJP」(長澤まさみ×東出昌大×小日向文世)を見る。これでもかこれでもかというくらいの、どんでん返し。娯楽に徹した映画。引き込まれながらも、けっこう笑えた。最初のころにワンシーン出ていた、涙する前田敦子が伏線として、どのように生かされるのかと気にしていたので、まだ終わらないなと思っていた。画面の端っこにジャッキー・チェンの顔が見えたが、その後のストーリーには現れず、エンドロールで「ジャッキーちゃん」を見つけて、そっくりさんだと分かった。遊んでるなあ。
 母をバローへ連れてゆき、買物。母を信楽へ送り届けて、水口に戻る。
 18時40分 夕食(レバーとキャベツとワカメなどを入れたスープ、青紫蘇ラッキョウ、浅漬け、納豆、豆乳)。
 腹の中の胆のう部分は痛まず。歩くのも苦痛ではない。
 19時04分 37.7度(やや高くなった)。温かいスープの影響かも。
 夜 DVD「I, TONYA(アイ トーニャ)」を少し見る。眠る。
 5月22日(水) 2時起床。朝食(1)(バナナ1本とトマト1個をレンジで加熱、うすめた豆乳)。
 2時30分〜3時50分 c21 胆のうガンとの闘い (7) 2019年5月6日〜5月12日 の書き込みとウェブオン。
 4時〜 DVD「I, TONYA(アイ トーニャ)」を見る。これは実話であり、ドキュメンタリータッチの構成。マーゴット・ロビーという女優がトーニャ役を演じていると、最後のエンドロールで少し流された本物の映像で知って、あっと驚いた。3回転半のジャンプは誰がやっていたのだろう。すごい映画だ。
 5時35分 37.0度(舌下だが、この値でとまらなかった)。少し眠る。
 6時35分 起床。〜7時40分 朝食(2)(コーヒー、トウガラシ添加の豆腐・レバー・キャベツ・ワカメスープ×2杯)
 7時41分 37.2度(これくらいでよいだろう)。
 8時45分 市民活動推進課の課長Dから電話。行者講へ市から抗議の電話を入れたということ。相手がどのように考えて行動するかまでは、私は問うていない。この問題はクリアーしたかも。ガン治療のためには朗報。
 この後のことは、たくさんあるので、番号をつけておく。
 (1) 銀行からtreeman9621.com のプロバイダーへ送金。
 (2) 建設管理課の課長Bへ、近所のカーブミラーが意図的に高く設定し直された過程について説明し、調査して、修正してほしいと述べる。引き続き、カーブミラーを磨く技術についてのミニ会議。タンカーが放棄した油で汚れている日本近海で、台風などにより吸い上げられた油分が、雨として降ったための汚れではないか。そうだとすると、シンナーが効くかもしれない。
 (3) 近所の中学校へゆき、生徒活動担当の先生にメモをとどけてもらう。
 (4) 100円ショップで、京大型カードを探すが、なかった。無地のカードなどを買う。
 (5) 近くのより専門的な文具店で京大型カードについて聞くが、ネットで検索している。ここには無かった。ちなみに野帳(工事現場などで使うフィールドメモノート)はあった。
 (6) メールフォームでプロバイダーに送金したことを送る。
 (7) ケイヨーD2ヘ行き、鉄の土瓶を買う。
 (8) 100円ショップで木の小箱を買う。これは表に作った区の掲示板の横に、押しピンを入れた瓶を置いておくためのもの。
 (9) 湖南市の市会議員に連絡するが、本人はいない。家の方に連絡先を伝える。
 (10) 近くの中学校の校長から電話。私が指定しておいたメンバー構成(校長、生徒指導の教師、生徒会の会長ほか)で話す前に、校長と一対一で話してほしいというもの。それではこれから行くと言ったが、今日はもう五時半なので明日にしてほしいと。残業しない理由を聞くと、家人が病気で世話をしに帰りたいとのこと。会談の予定は25日(金)の10時から。
 18時00分 36.6度(安定か)。
 19時00分 椿の湯へ。入浴前 36.2度 73.35キログラム 入浴後 37.8度 72.65キログラム(教師時代の体重に近づいてきて、見かけはよいかもしれないが、筋肉の質が違うので、これでは筋肉量が不足)。
 食材を買って夕食(メバチマグロの造り、スルメイカのイカそうめん、キャベツの卵豆腐あえ、豆乳、トマトとバナナのレンジによる蒸し物)。
 20時57分 36.8度(高くはない)。炎症はしていないのだろう。眠る。

 2019年5月23日

 5月23日(木) 4時起床 35.9度(低い)。先週の土曜日に台腹筋で痛めた胆のうまわりの炎症は収まってきた様子。
 4時〜6時30分 c22 胆のうガンとの闘い (8) 2019年5月13日〜5月18日 の書き込み。
 朝食(1)(レンジによる蒸バナナ、お茶、チョコレート3片)。
 6時45分〜7時30分 c22をウェブオン。36.2度。
 車で信楽へ向かい、実家のある長野を通り過ぎ、朝宮へ。この町で(おそらく全国でも)有名なお茶のお店に立ち寄る。紅茶についてのいろいろな品種や、コーヒー豆の違いなどを話した。マテ茶やハーブティのことも。これらのお茶については、さんざん飲んできたものの、今入れているお葬式の返礼でもらう日本茶がおいしくない。ほうじ茶や玄米茶なら味わえるものの、本家の緑茶の味が分からないので、ここに来ましたと、長い挨拶をする。
 さっそく店主が新茶をいれてくれる。飲んでみたが、苦みが勝ちすぎる。もっとまろやかなものをと、べつのものを求めたところ、あさみやと言う名のお茶が出てきた。苦みが少なく、まろやかで、かすかにうまみも感じられる。玉露なぞもちろん買えないし、うまみだけを味わいたければ昆布茶を飲めばいい。
 これにしようと思い、近くだけれど、隣町から来たのだし、見栄をはって2袋求めた。
 このまま水口に帰るのでは、まだ本日の血液検査(午後3時半)には早すぎる。
 朝宮から下朝宮で折れて、大津市大石を通り、田上をぐるりと回って、新しく瀬田川にかけられた橋はまだ通行できなかったので右に折れ、そのまま瀬田の唐橋へ。左折して渡り、そのまま直進して石山の街中を通り、このあたりの横断歩道と横断旗を観察した。写真にはとらないで、ただ眺めて通り過ぎただけである。あまり生きていない。このまま大津市の名神の山側、富士見台などを通過して、県庁裏の通りは、横断歩道だけがあるだけ。通行人の一人が、私の車のすぐ後ろを走って渡る。危険な行為だった。歩行者側の道路交通法違反。こんなのは初めて。県庁裏から大津駅へ。私も一部手伝った石の彫刻作品を見て、昔の駅前通りを下って浜大津へ。三井寺への道をかすめて皇子山の旧街道を通って、以前の161号線(今はバイパスに譲って、単なる県道となっている)へ出て、坂本を通り過ぎ、堅田へ。大津市は、このあたりのほうが近代的な都市の様子。琵琶湖大橋を通って左折し、ピエリ守山へ立ち寄る。トイレがずうっと奥にある。これでは、人気(ひとけ)がないとき、入口の横で立ちションしてしまいそうだ。トイレを不浄なものとするような施設に人は集まらない。かつての銭湯、現代のスーパーなども、入口の近くにトイレを設けている。ピエリ守山のフードコートを覗いてみた。あらゆるお店の商品が、糖尿病やガン患者にとっては有毒なものばかり。これは、いままさに病人の私だけに言えることではない。この社会の愚かな人間たちは、このような潜在的な有毒食品で、糖尿病やガンの潜在患者を育てている。このままでは、いつかきっと、気候変動や環境の激変とはかかわりなく、人類は滅んでゆくのかもしれない。湖岸道路を北へと進み、近江八幡市の白鳥川に沿って東に向かい、国道8号線を渡ると竜王町。この町は水口町と隣接している。大津や守山あたりから水口へ戻るより、ずうっとスムーズなコースだった。もう少し後にやってくる甲賀病院の横を通る。広い駐車場は車がいっぱい。もし止められたとしても、車から玄関まで200メートルはありそうだ。
 12時45分 37.0度(快適なドライブでリラックス)。気温も高くなってきた。
 さっそくあさみやという名の緑茶を入れる。鉄の土瓶で井戸水を沸騰させたあと、マグカップなどに取り分けて冷まし、手でぬくもりを感じて、適度な温度になったら、お茶の葉を入れた容器にそそぐ。しばらくして、色づいてきたら、飲む。まろやかなので、刺激が少ない。何回か抽出してゆくと、バランスがとれてきたようだ。あとは、私自身の味覚能力がマヒしているかもしれない。亜鉛不足のために。
 自転車で甲賀病院へ向かった。ほんの数分だったので、1時間前に着いた。玄関前のベンチに座って「炭水化物が人類を滅ぼす 【最終解答編】 植物VS.ヒトの全人類史」[15] を読み切る。
 3時10分〜3時20分 採血。予定時刻は3時半からだったが、教師時代の生徒指導の先輩教師からの指導で、最低10分前には着いて待つという習慣があるので、早めに受付を済ませたら、引き続いて血液検査へ行けと言われた。血液を調べる人たちも時間的な余裕があるほうがいいだろう。
 あいかわらず、注射針をチクリと刺し込まれるのは嫌いだ。今日の血液は、少しドロッとしているように見える。最近野菜のスムージーづくりをさぼっているし、気温が高くなっても、基礎体温が高いので暑いとも思わず、[15]に書かれてあったが、炭水化物をほとんど摂らないため、汗もかかないので、水分が少ないためかもしれない。
 診断前 血圧 151/101(113拍) おや? こんなに静かにしているのに高め。血液の中に脂質などがたくさん溶け込んでいるのかもしれない。
 3時25分 37.3度(もう採血も終わったので、リラックスしているらしい)
 診断の予定は4時半からだったが、血液検査の結果が早く回ってきたらしく、10分以上も前に呼ばれた。
 診断といっても、医師が言うことは、とくに注目すべきものではなかった。
 私はとにかく、今回の血液検査の数値データを知りたかった。医師の説明については、ほとんど記憶するべきものではなかったので、耳から入った情報は、もう一方の耳から、風のように流した。
 これらの数値の分析については、あらためて、別のタイトルをつけて分析しようと思う。
 かんたんにまとめておくと、糖尿病は治せたが、胆のうガンはまだ治療中。こちらは、これまでの日誌の内容にあるとおり、私にはよく分かっている。糖尿病については検査値だけの問題であるが、これではっきりした。
 次の血液検査の日取りを決め、次回からは、ケトン体の値(これは尿検査で知るものらしい)と、白血球の中の、リンパ球と顆粒球の数を知りたいと申し出た。白血球の成分比を知りたいという解釈で医師は了解したが、ケトン体については、その意味が分からなかったようだ。
 本日の支払いは驚くほど少なかった。ああそうか。私は老人枠に入ったので、3割負担ではなく2割なのだった。次回は、コレステロール値など、今の病状から無関係で、かつ、異常なしの項目については省略すると、医師が言う提案を受け入れたので、もっと安価な支払いとなるだろう。
 通用口から外に出た私は、かつて入院していた頃、時間をつぶすため、あるいは本を読むため、黒月樹人闘病記の下原稿を書き上げるためなどに訪れていた、リハビリ公園の東屋へ行って、ベンチに座った。他のところにあるベンチは汚れていて座る気にならなかったが、屋根の下のベンチは座れた。ここで、ガンを体の中にもつという年配者とおしゃべりしたことを思い出す。今はその立場が入れ替わったが、他に話す人はいない。この公園で私は太陽を見つめ、エネルギーを受け取りながら、たとえガンだとしても、きっと生き残ってやるぞと思ったことがある。ガンの疑いのある胆のうと、転移の疑いのある肝臓の半分を摘出する、命をかけた大手術について、一方的に予告されたころのことだ。
 このリハビリ公園はあいかわらず殺風景で、私がそのころ提案した、小鳥がやってくる林や、メダカや金魚が泳ぐ浅い池(を作ってほしいと願い出たのだったが…)どころか、こんなところにいるより、私の家の表のバラの木々、中庭の池と、笹や野ばらを集めて組み合わせた小庭園の近くにいるほうが、ずうっといい。ここの病院は、このような、患者の心がどのようにいやされ、それが治療効果を高めるかということについて、まったく分かっていない。それは、管理母体の甲賀市と湖南市についてもいえる。もう帰ろう。こんなところにいたら、治るべきものも治らなくなってしまう。
 17時20分〜40 夕食(トウモロコシ、具沢山レバー入り味噌汁×2、キャベツのコールスロー×1/2、ヨーグルト×1/4カップ、お茶)。
 ツタヤで本を2冊買う。
 18時54分 37.2度。
 カーペンターズなどを聞きながら、早めに眠る。
  (Written by TANAKA Takeshi, May 26, 2019)

 参照資料

[1] 「がん」では死なない「ガン患者」、東口高志・著、光文社新書818, 2016-5-20初版
[2] 「がんが自然に治る生き方」、ケリー・ターナー・著、長田美穂・訳、プレジデント社・刊、2014-11-23初版
[3] 「免疫革命」、(元新潟大学大学院 医学部教授)安保徹・著、講談社インターナショナル・刊、2003-7-11初版
[4] 糖類の分子構造
[5] 「炭水化物が人類を滅ぼす」糖質制限からみた生命の科学、夏井睦(なついまこと)・著、光文社新書663、2013-10-20初版
[6] ブドウ糖とビタミンCの科学構造は極めて似ている
[7] 「ケトン体が人類を救う」糖質制限でなぜ健康になるのか、宗田哲男(むろたてつお)・著、光文社新書786、2015-11-20初版
[8] ダイエッター必読!ケトン体で体内エネルギーの大改革を起こせ
[9] 60mまでの(ほぼ全力)ダッシュの反復など、4本×(4〜6)セット
[10] 100mから300mまでの距離の、全速走に近いペースでの反復、本数やセット数は多くない
[11] 免疫栄養ケトン食で がんに勝つレシピ、管理栄養士 麻生れいみ・著、医学博士 古川健司・監修、光文社・刊、2017-8-20初版
[12] 「がんの嫌がる食事」、丁宗鐵(ていむねてつ)・著、三省堂書店・刊、2013-12-25初版
[13] 「はじめてチャクラの本(CDつき)」、矢尾こと葉・著、永岡書店・刊、2016-7-10初版
[14] 「ケトン食ががんを消す」古川健司・著、光文社新書847、2016-10-20初版
[15] 「炭水化物が人類を滅ぼす 【最終解答編】 植物VS.ヒトの全人類史」 夏井睦・著、光文社新書911、2017-10-20初版
[16] 「免疫力を自分で上げる本」、主婦の友社・編、株式会社主婦の友社・刊、2018-12-20発行

 

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