c24 糖尿病を自力で治しました

田中 毅(TANAKA Takeshi @ 9621 ANALYSIS)

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 はじめに

 c15からc23までかけて、途中にc99という変なコードのページも入れてしまいましたが、2019年の1月1日から、3回目の血液検査の5月23日までの、日誌を中心とした、ドキュメンタリータッチのページを構成してきました。が、ほぼ現実へ追いついてしまいました。
 厳密なことを言うと、5月23日については、テーマを限定して、さらに詳しく説明しておくべきことが2つあります。
 その1つは、もっとも中心的な、胆のうガンとの闘いについてです。これは簡単には終わらせてもらえないようなので、少し時間をとって、5月24日以降の記録も、しかるべくまとめてゆく必要があります。これで良かったのか悪かったのか、とても複雑な状況です。
 これに対して、2つ目のテーマは糖尿病に関することがらです。その結論は、今回のページのタイトルとして述べました。しかし、このことは、単に私の糖尿病が治りました。それは良かったね。おめでとう。そのようにすませてしまうことはできないことだと思います。
 糖尿病は、日本人にとって、大きな問題です。私が引き継いだ門坂家の伯父さん(母の兄)は、糖尿病で亡くなりました。今現在、私が住んでいる町や区には、何人かの糖尿病患者がおられます。友人にもいますし、肉親にもいます。
 私は医師ではないので、それらの人に、医師のような指示をすることは出来ません。
 でも、私がどのようにして、私の糖尿病を自力で治したか、ということは、きっと参考になるだろうと思われます。
 ガン治療の重要な指針の一つに、ガンは患者が自分で治そうと意図することによって、いくつもの変化を生み出す、というものがあります。
 糖尿病も同じだと思います。

 糖尿病になる?

 40歳台の後半、私は東京でリストラされ、故郷の陶器会社で働いていました。その会社の健康診断が春と秋に年2回ありました。
 東京で働いていたのは、リストラ後の1年を加えると、10年です。東京での暮らしというものは、通勤時間の長さや、外食産業があふれていることなども影響して、さらに私は独り者でしたので、外で食べて帰るという生活ばかりでした。よく知られている、帰りは飲み屋で憂さ晴らしといった習慣はありませんでした。しかし、スーパーなどで食材を買って、自分で調理して食べるという習慣は、ほとんどありませんでした。お昼は弁当、というのは、私の場合、地方などの現場へ出かけたときだけのことで、中目黒やのちに会社が移転した門前仲町での私の昼食は、中華料理店やカレー店あるいはトンカツ定食店やハンバーグ定食店でとるといったものでした。ある冬の現場で、原子力発電所の敷地内の海の地下での地質調査に行ったとき、近所の仕出し店が作った弁当が、あまりに貧しく思えたので、東京にいるときは、温かい料理を食べようと思ったのです。
 このような生活を続けていたので、田舎にもどって健康診断をうけてみると、成人病(今は子供や若者でもなるので生活習慣病)の兆候のオンパレードでした。その中に糖尿病の尿検査によるプラスの記号もありました。
 検診のときに聴診器をあてて診断する医者は、糖尿病になってしまったら……と、何か説明しだしましたが、ちんぷんかんぷんで、よくわかりません。当時の私の周囲には、糖尿病の人がほとんどいませんでした。
 やがて、あまりに医者がうるさいので、本屋で半日断食を勧める医者の本を買ってきて読み、午前中は水だけを飲んで仕事をこなし、昼食は野菜サラダという生活をひと夏続けたら、秋の検診では、成人病も糖尿病も、どこかへ消えてしまい、健康体の見本のような人間になっていました。
 そのころの仕事は、けっこう肉体労働で、汗だくで働いてもいましたから、ほんの少し食事に気を使うだけで、かんたんに健康な生活習慣へと進めたのです。
 時は流れ、仕事も変えることとなり、50歳台の後半になると、もうあとは派遣会社にたよるしかないというところまで落ちぶれてしまい、一週間で日勤と夜勤を換えるという、あとから考えると、病気になるための生活を続けることになってしまいました。そのころの健康診断で採血された血が、試験管の外から見るだけで、どろどろだった覚えがあります。
 63歳のとき、実家の信楽から、今の水口の門坂家(家だけを引き継ぐ)に住み始めました。少し働きましたが、やがて、少し減額されても国民年金をもらってしまい、すでにもらえることになっていた共済年金と企業年金を合わせれば、なんとかギリギリ生活できるという判断がつきました。
 ここから私は、外食をいっさいやめ、自分でスーパーへ行って食材を求め、近所のJAで特別栽培米の玄米を買って、完全自炊の生活を始めました。
 もし、このとき、食生活について、現在の私が理解している知識を持っていたら、ほとんど何も問題は起こらなかったことでしょうが、この間に、世の中では、これまでの食生活の考え方が間違っていたということが、どんどん分かってきたのです。
 それらが間違っていたということを学ぶきっかけは、食中毒から始まる入院生活や、それからじわりじわりと進んでゆく、ガンや糖尿病が表に現れてきたことでした。
 2018年の冬の12月に、その年の健康診断を、近所の小さな内科医で受けたとき、尿検査でプラスプラスがでて、はっきりと糖尿病だと診断されました。
 ガンの宣告は、もう少し後の、大きな病院でCTスキャンを受けてからのことです。

 糖尿病になったらどうなるの?

 「糖尿病になったら、どうなんね?」
 おとぼけ友人会の集まりで、私は聞きました。
 「目が見えんようになるらしいで」
と一人。
 「ひょっとしたら、さいきん左目の視力が落ちたのは、そのせいかなぁ」
 「両方にくるやろ」
 「そういえば、糖尿病のおじさんは、指が腐って、何本かなかったらしい」
 「見てへんのか」
 「母が見てたけど、私は気がつかへんかった」
 「透析ってあるやろ」
 「草津にでかい透析病院ってあったな」
 「あれも糖尿病やで」
 「そしたら、おまえは、どのレベルや?」
 「毎月薬もろうて飲んでるだけや」
 「歩いたりしてへんの」
 「ぼちぼちな」
 「それでかまへんのか」
 「気にしてへん」
 「目が見えなくなって、透析いかんならんようになったり、指が腐ってなくなってもええんか」
 「そんなん、まだまだ先のはなしや」
 「先のはなしって、そのまま、まってるだけか」
 「そやさけ、薬飲んでるやんか」
 それまで私は、糖尿病がひどくなったら、指が腐ってきて、切り落とさなければならないということしか知りませんでした。
 こんなおしゃべりをして、ようやく私は気がつきました。
 私が住んでいるところの近所には、糖尿病の患者がたくさんいると。
 冬の夕方、もう暗くなっているのに、反射材のついたベルトを何本かつけて、女の人が男の人の手を引いて歩いています。何度も出会うので、挨拶もかわすようになりましたが、なぜ、そんなことをしているのか分かりませんでした。やがて、その人たちが、近所のお店の人だと分かりました。町の市販のゴミ袋を買いに行ったら、その人たちが店にいました。ご夫婦で商売しているはずが、旦那さんはもう目が見えないらしく、石油ストーブのそばにいて、暖を取っているだけ。その店は、夕方早くにシャッターを閉め、二人の行(治療行為)が始まるのです。
 目が見えないわけではないけど、暗くなってから、反射材のベルトをかけて、ご夫婦で歩いているひとがたくさんいます。ああそうか。この人たちも、糖尿病か、その予備軍なんだ。
 近所に有名な糖尿病患者の男の人がいます。その人は、午前と午後の2回、ほぼ2時間ずつ散歩するのです。昼前とか夕方とか、帰りに近くのお店で立ち話。私は一度、その散歩コースをいっしょに歩かせてもらいました。私が肝臓の疾患で入院していたとき、検査入院だということで、一晩だけ入院し、夜はみんなとサッカーの試合を見て、いろいろと選手に注文をつけていました。昨年の暑い夏の日のこと、借りているという畑に行ってきたらしく、手に収穫した野菜の袋を持って、私の家の前のアスファルト道路で突然前のめりになって倒れました。私をはじめとして、何人かが駆け寄り、助け起こしたものの、1人で歩けません。車で家まで送るというのは、近所の人がさっさとやったので、目の前にある私の車の出番はありませんでした。今年の3月、区長の引継ぎのための書類として、区の組織票に借りていた名前を引き続いて使わせてもらってよいか聞きに行ったとき、家の中でお話され、もう外には出られない状態だから、かんべんしてほしいとのこと。隣人の前区長に相談したところ、自分の名前を書いておいてくれと。毎日毎日、午前と午後の2回、2時間ずつ歩き続けていても、糖尿病は治らないのだ。しかも、大きな病院で治療を受け続けていたのに。
 もう一人。毎日奥さんが車で送り迎えして、旦那さんの透析治療をしておられる家があります。

 私は病院の治療を拒否しました

 2018年の12月に受けた、近所の内科医の健康診断で、すでにプラスプラス判定されていましたが、これよりも重要な、肝臓の異質なまだらパターンと肥大化した胆のうのことについての、さらに大きい病院でのCTスキャンによる検査へと、話が進んでゆき、糖尿病のことなぞ、ささいなことのように扱われてしまいました。
 12月の別の日、大きな病院での初診のとき、担当医は、この糖尿病のことに触れましたが、CTスキャンの結果を見てから判断しようと、このときも先送り。
 2019年の1月16日、CTスキャンの画像を示してガン宣告したあと、担当医は糖尿病について、思い出すかのように、この病院の糖尿病専門の課へゆくことを勧めようとしてきましたが、私はそれを断りました。おそらく、突然のガン宣告で、頭の中が空っぽになってしまい、糖尿病どころではないと、私のことを推測したのかもしれません。その話はそこでストップしました。
 3月27日 2回目の血液検査の結果、12月末の血液検査で8.8であったヘモグロビンA1cの値が7.7となっていたことに気づいた担当医は、驚くべき値に跳ね上がっている腫瘍マーカーのCA19-9についてのコメントをすっかり忘れ、糖尿病についての変化にだけ注目しました。
 このとき私は
 「薬はいりません。私が治します」
と言い切りました。
 担当医は、私がいったいどのような治療法を行ったのかということについては、ほとんど、なぞなぞの掛け合い程度にしか情報を引き出すことができなかったはずです。
 「食事を制限したのですか」
 「制限していません。好きなだけ食べています」
 「……」
 「食べるものを変えただけです」
 担当医は、これについてさらに何も聞かない。
 5月23日の3回目の血液検査の結果についても、ヘモグロビンA1cの値が6.7となったことに対して
 「このまま田中さんの方法ですすめてください」
と言うばかり。
 謙虚に聞けばよいのに…
 そうすれば、もっと多くの人を助けるためのヒントがえられたはず。
 そうしないことの理由は何?
 自分たちの医師としてのプライドだろうか。そんなものは捨てたほうがいいに決まっている。
 私が
 「6.4を切れなかった」
と悔しがっているのに
 「6.7でじゅうぶんですよ。これでもう糖尿病は治ったと思ってかまいません」
 高飛車な態度…
 「あなたが治したわけではないでしょう?」
と言いたかったが
 「治ったと考えていいのですね」
と確認した。

 私の治療方法は糖尿病のためのものではなかった

 担当医は何故か聞こうとしなかったが、このページを読んでおられる人は、糖尿病を治すために、私がどのようなことをしたのか、きっと知りたいことでしょう。
 私はカロリー制限も行っていなけば、長時間の散歩もやっていません。ただ単に、食べるものの内容を変えただけなのです。
 糖尿病を治すために特別な何かをしたのではなく、私は、もっと難敵の胆のうガンと闘うために、特別なことを、可能なかぎり行ったのです。
 かんたんに言うと、ガン細胞がエネルギー源としているブドウ糖を供給しないため、ブドウ糖のお菓子はもちろん、ブドウ糖と果糖が結びついたショ糖(砂糖)が入った食品、さらには、ブドウ糖がいくつもつながっているでんぷんの食品、白米、パン、うどん、スパゲッテイ、小麦粉を使った食品やお菓子、米粉を使った食品、餅から作ったおかきなど、これらを徹底的に食べないようにしたのです。
 炭水化物とまとめてしまうと、ここに含まれる食物繊維が悪者になってしまいますが、これは腸内細菌の餌として必要なので排除できません。
 糖尿病についてのサイトを開くと、すい臓のインシュリン生産が狂って……とか、むつかしいことが書かれています。こんなものは、糖尿病の本質を煙(けむ)にまくためのものでしかありません。
 かんたんなことです。私たちが消化できない食物繊維をのぞく、すべての炭水化物をたくさんとれば、その過剰分がブドウ糖として血液にあふれ、ガン細胞のエネルギー源となり、肝臓はインシュリンを過剰生産させなければならなくなって、やがて故障してしまう。余ったブドウ糖は、尿として出すしかない。
 私にとって、糖尿病の治療は、ガンの治療の付録にしかすぎないものでした。
 でも、このことにより、ガンの治療も、ある程度進められてきたと確信できます。
 友人にあてたメールでは
 「胆のうガン(げんみつには胆管がん)のほうは、まだ交戦中ですが、着実に押し戻しているようです。すでにノルマンディーへは上陸した後だと考えられます」
と表現しました。
 これは、最近見たDVD「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」の影響です。

 糖尿病を治す方法は見つかっている

 ブドウ糖のお菓子、砂糖菓子、甘い飲み物、白米、パン、うどん、スパゲッテイ、小麦粉を使った食品やお菓子、米粉を使った食品、餅から作ったおかきなど、世の中にあふれている、これらの食品は、古代には無かったものであり、糖尿病患者とガン患者だけでなく、潜在的な糖尿病患者やガン患者である、現在健康であると盲信しているすべての人にとって、とても有毒なものなのです。
 ブドウ糖を体内に取り込まなかったら生きてゆけない と、これまでは信じ込まれてきました。
 しかし、このような誤解について、新たな知識を明らかにすることにより、糖尿病やガンを治療する手段があると主張されている医師たちの著書が、今、次々と出版されています。

 「炭水化物が人類を滅ぼす」糖質制限からみた生命の科学 [5]
 「ケトン体が人類を救う」糖質制限でなぜ健康になるのか [7]
 「免疫栄養ケトン食で がんに勝つレシピ」 [11]
 「ケトン食ががんを消す」 [14]
 「炭水化物が人類を滅ぼす 【最終解答編】 植物VS.ヒトの全人類史」 [15]
 「糖質過剰」症候群 あらゆる病に共通する原因 [19]

 これらは とても重要な知識なのに、病院の医師たちは無視している(謙虚に学ぼうとはしない)という、悲しい現実があります。

 さっさと殺してくれ!

 今でも、糖尿病患者たちは、糖尿病とはこのあと死ぬまで、一生つきあってゆくしかない、などと信じ込まされています。
 私の伯父さん(母の兄)は、糖尿病で入院していたとき、小さな声で
 「さっさと殺してくれ!」
とつぶやきました。
 そのとき私は、なぜそんなことを言うのか、よく分かりませんでした。
 最近 私は、胆のうガンが激しい痛みを生み出し、寝返りさえうてない状態だったことがあります。
 このとき私は、なんとか眠ることができたら、目覚めたときには、もっと楽になっているはずだ と信じていました。
 ところが、この痛みや苦しみが、けっして消えることなく、これからもっとひどくなるのだとしたら…
 私も、こうつぶやいたことでしょう。
 「もう死んでしまいたい」
と。
  (Written by TANAKA Takeshi, June 13, 2019)

 参照資料

[1] 「がん」では死なない「ガン患者」、東口高志・著、光文社新書818, 2016-5-20初版
[2] 「がんが自然に治る生き方」、ケリー・ターナー・著、長田美穂・訳、プレジデント社・刊、2014-11-23初版
[3] 「免疫革命」、(元新潟大学大学院 医学部教授)安保徹・著、講談社インターナショナル・刊、2003-7-11初版
[4] 糖類の分子構造
[5] 「炭水化物が人類を滅ぼす」糖質制限からみた生命の科学、夏井睦(なついまこと)・著、光文社新書663、2013-10-20初版
[6] ブドウ糖とビタミンCの科学構造は極めて似ている
[7] 「ケトン体が人類を救う」糖質制限でなぜ健康になるのか、宗田哲男(むろたてつお)・著、光文社新書786、2015-11-20初版
[8] ダイエッター必読!ケトン体で体内エネルギーの大改革を起こせ
[9] 60mまでの(ほぼ全力)ダッシュの反復など、4本×(4〜6)セット
[10] 100mから300mまでの距離の、全速走に近いペースでの反復、本数やセット数は多くない
[11] 免疫栄養ケトン食で がんに勝つレシピ、管理栄養士 麻生れいみ・著、医学博士 古川健司・監修、光文社・刊、2017-8-20初版
[12] 「がんの嫌がる食事」、丁宗鐵(ていむねてつ)・著、三省堂書店・刊、2013-12-25初版
[13] 「はじめてチャクラの本(CDつき)」、矢尾こと葉・著、永岡書店・刊、2016-7-10初版
[14] 「ケトン食ががんを消す」古川健司・著、光文社新書847、2016-10-20初版
[15] 「炭水化物が人類を滅ぼす 【最終解答編】 植物VS.ヒトの全人類史」 夏井睦・著、光文社新書911、2017-10-20初版
[16] 「免疫力を自分で上げる本」、主婦の友社・編、株式会社主婦の友社・刊、2018-12-20発行
[18] 「薬剤師は抗がん剤を使わない」、宇多川久美子・著、廣済堂出版・刊、2017-1-25初版
[19] 「糖質過剰」症候群 あらゆる病に共通する原因、清水奉行・著、光文社新書1007、2019-5-30初版


 

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