c34 登校拒否には打つ手がある【改訂2版】

田中 毅(TANAKA Takeshi @ 9621 ANALYSIS)

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 登校拒否はお手上げでした

 中学校の教師を務めて7年目、3度目の1年生を受け持つことになりました。
 もう慣れてきて、クラスの生徒たちは、授業にも積極的で、帰りの学活のとき、その日の困った出来事などを生徒同士で議論しあうことで、問題があっても、その日のうちに解決してしまっていました。
 ささやかな問題児は何人かいましたが、やがて、みんな仲良くやれるようになってきました。
 田舎の中学校でもあり、ずうっと昔のことですから、深刻ないじめ問題のような芽は、まったくありません。
 しかし、小学校からずうっと登校拒否を続けている生徒が一人いました。
 学年で一人だけです。これまでに、そのような登校拒否の生徒は、ほとんどいませんでした。
 市の職員の方だったか、正式な所属は憶えていませんが、教師ではない男性が一人、その生徒に関して、いろいろと取り組んでおられました。
 その人からの話では、登校拒否の生徒の家は、父親に対して母親がかなり若く、このことが何らかの原因になっていそうだと知らされました。
 家庭訪問をして、本人や母親とも会い、その母親から話を聞きましたが、母親もお手上げ状態らしく、子供をきびしくしかることができません。
 力づくでは無理だと理解し、保健室に登校できるようにしたと思いますが、何回か、そのようなことがあっても、教室には来られません。
 わけが分かりませんでした。
 クラブ指導で休日にしている木曜日の放課後、家に行って生徒を誘い出し、ドライブに行きました。鈴鹿スカイラインを越えて、三重県に降り、1号線で帰ってくるというルートでした。何を話したか覚えていません。説教じみたことは言わなかったと思います。外に出ることは出来るんだ、と思っただけでした。
 体育会のときのバックデコレーションのための大きな絵の下書きを持って行き、それに色を塗るという作業もしました。喜んでやっていましたが、学校には現れませんでした。

 隣の学年(二年)の生徒が危険な状態になりました

 職員室の私の机の、背中向こうは、二年生の教師たちが並んでいました。
 そのころ私は青年部のリーダーだったので、後ろ隣の若い女性教師の相談をよく受けていました。
 彼女のクラスには、1人、情緒不安と判断できそうな女子生徒がいて、職員室にも来ていましたが、とても不安そうな目をしていました。
 若い女性教師に聞いても、彼女に何があったのか分からないと言います。

 冬に入ったころの日曜日、私は陸上競技部のトレーニングを終え、ボーとしていましたが、突然、彼女が助けを求めていると感じました。
 このころ私はテレパシーの能力が現れていて、教師仲間で、いろいろなエピソードがありました。だから私は、このまま無視できないと思いました。
 その日曜日は、前日から、二年の教師たちがそろって、自分たちの慰安旅行に出かけていました。(携帯なぞ無かった時代なので)担任の教師に連絡する手段もありません。
 私は中学校の職員室に入り、生徒指導用の顔写真や電話番号がまとめてある冊子を調べ、その二年生の女子生徒の家に電話をかけました。
 母親がでられ、学校側の対応には危惧を抱いていると語ります。
 私は、まるでテレビドラマの熱血教師のように、母親を説得して、とにかく私が行くということを了承してもらいました。
 家の近くの道まで行くと、かつて理科を教えたことがある、彼女の兄が待っていました。
 家に行って彼女の様子を聞くと、朝からずうっと布団の中で、泣きながら
 「だれか助けて」
と、繰り返しつぶやいていたのだそうです。
 お兄さんに彼女をつれてきてもらい、母親、お兄さん、私、彼女と4人が居間の炬燵に入りって座りました。
 「トランプをしよう」
と私は提案し、そのころクラスではやっていたゲームを4人ですることにしました。
 彼女は、慣れていないことと、不安な精神状態のため、何度もミスしました。
 やがて、1時間ほど続けたとき、彼女が
 「もういい。話します」
と言い、彼女に何があったのかを、みんなに語りだしました。
 その内容をかんたんにまとめると、彼女が友人の家に行ったとき、ふと、彼女に聞かれていないと思っていた友人が、母親に
 「あんな子、友達でもなんでもない」
と言ったのだそうです。
 彼女はそれまで、その友人のことを信頼し、信じ切っていました。
 しかし、突然、その友人のふるまいがすべて嘘だったということを知ったのです。
 このショックが、彼女の心を、深い暗闇の洞窟へと落としてしまったのです。

 なぐさめになったのかどうか分かりませんが、人は嘘をつくものであり、大人なんか、先生でも、言っていることと心で思っていることが違うということは、いっぱいあるということを話しました。
 その後、二年生の担任である女性教師を連れてゆきましたが、その担任は何も発言しませんでした。
 帰るとき
 「なぜ何も言わなかったのか」
 「田中先生とあの子がずうっと話していたから」
 「割り込んでこいよ」
と、先輩として注意しました。

 さらにしばらくたち(冬休みだったので、彼女は自然な状態で家にいた)、二年の学年副主任が、彼女に会いに行き、いろいろ聞いて、次のように考えました。
 「あの子がおかしくなったのは、田中先生がいろんなことを言ったから」
 これは明らかに、時系列的に間違っています。
 あの子がおかしくなってから、私が行ったのです。
 そのことは担任も分かっているし、母親とお兄さんも分かっています。
 学校が始まったある日、職員室で、二年の学年主任が席をたち、私のそばまでやってきて、私に
 「もう他の学年の問題について、かかわらないでほしい」
と言いました。

 この瞬間からあとの私は、ほとんど切れた状態で
 「そんなことを言う前に、あの子の母親に会って、私が何をしたのか、聞いてこい」
と言いました。完全なケンカ状態でした。
 反論できない学年主任を無視して、職員室の前に座っている教頭先生のところにゆき
 「これから有給休暇をとります。今日はこれで帰ります」
と言って、この学校を後にして家に帰りました。

 このあとの一週間、私は休みつづけ、その間に、一年の先生がかわるがわるやって来て、私を説得しようとしました。
 しかし、説得すべきは、二年の学年主任と副主任です。
 私は主張を曲げませんでした。
 私はこの仕事を続けてゆく意味がないと感じ、これで辞めると言いましたが、一年の学年主任が
 「ここで辞めたら、理科を教えている生徒たちへの責任はどうするのか」
と言ってきました。
 「分かりました。3月いっぱいまで理科を教えます」
と私は言って、次の日から、何事もなかったかのように演技し、3月末まで教師を続けました。
 4月1日の離任式には出ませんでした。
 この日から私は、深いうつ病の闇に沈みました。

 登校拒否の生徒はどうなったのか

 登校拒否の生徒が、その後どうなったのかは、まったく知りません。
 それどころではありませんでした。
 私自身が社会全般を拒否して、生きる意味を失っていたからです。
 その後の物語は、ずうっと省略します。
 31歳に教師を辞めたから、今65歳の私には、34年の物語があります。
 とても語りつくせません。

 2019年1月16日に末期の胆のうガンだと宣告されて

 2019年1月16日に末期の胆のうガンだと宣告されて、これまでのことを振り返り、何が悪くてガンを育ててしまったのかを考え続けました。

 基礎体温が低いままだった。
 そのことが免疫力を低下させ、ガン細胞を活気づけるということを知らなかった。
 白米ではなく玄米を食べ続けたが、おかずが単純すぎた。レトルトのカレーだけですませていた。
 カップラーメンは食べなかったが、袋詰めの豚骨ラーメンやチキンラーメンもよく食べていた。
 お菓子なども食べていたが、その中に、ブドウ糖を固めたお菓子も含まれていた。
 米粉でできたタイ焼きがつくられていたので、たくさん買って、ぱくぱく食べた。
 たこ焼きも食べ歩いた。
 玄米を食べていれば健康面は大丈夫と信じ込み、糖質過剰の食生活で、ブドウ糖過多となって、重度の糖尿病になった。
 ブドウ糖だけがエネルギー源のガン細胞に、増殖するための餌を、どんどん取り込んでいた。
 コンピューターソフトのゴブリンアイズの開発に力を注ぎすぎ、何度も徹夜を繰り返すなど、生活のリズムを狂わせた。
 陸上競技のトレーニングを封印してしまい、運動をほとんどやらない生活をつづけた。
 笑うことを忘れてしまった。


 ガンだけではなく、糖尿病も抱えていました。
 ヘモグロビンA1cの値が8.8だったのですが、その意味を知りませんでした。
 1月の後半と2月は、とにかく基礎体温を上げることで、免疫能力を強化することに専念しました。
 ガンや糖尿病についての、ここ最近の、新しい治療法について、とことん調べて、本を集め、読み込みました。
 これらの本のリストは、このページにもある参照資料としてまとめてあります。

 うつ・パニックは「鉄」不足が原因だった [20]

 この本 [20] を読んで、私の目から鱗(うろこ)が落ちました。
 私は何度かうつ病になったのですが、6ケ月で自然治癒していました。その理由がようやく分かりました。
 一人での都会生活で、外食産業の中にいて、定食や弁当を食べることしか行わず、知らず知らず鉄分が不足してゆき、ある閾値を下回って、突然うつ病になったようです。
 東京での仕事は、会社の都合でリストラされ、ハローワークで仕事を探したものの、まったく決まらず
 「もうこれ以上都会で仕事を探して生きてゆく理由が無い」
と電話で泣きついて、一度自分から飛び出した故郷へ帰らせてもらうことにしました。
 いろいろ居場所を探しましたが、けっきょくは実家に戻り、母親と暮らしながら仕事を探して働きました。
 その間に、母親が作ってくれた食事を摂って、鉄分が補充されてゆき、うつ病は、ほぼ6ヶ月で治ったようです。
 なぜなら、母は、私が買ってきた中華鍋が便利だと言って、いろいろな料理に使っていましたし、ずうっと昔から使っている、台所の包丁は、鉄の菜切り包丁でした。
 また、実家は魚屋でしたので、店で魚をさばくときの包丁は、出刃包丁から刺身包丁まで、全て鋳物の包丁でした。
 これらの鉄の調理器具を使っていれば、それだけで鉄分が溶けだし、食事の中に鉄分が含まれることになります。
 このようなメカニズムも、この本 [20] を読んで知りました。

 ここ最近、この国では、うつ病がどんどん増えています。
 これと同じように、最近では、鉄の調理器具が消えてゆき、ホウロウ製品が大躍進しています。
 調理器具から自然に鉄分をとりこむということが、どれだけ重要なことかということは、まったく知られていません。

 【症例】 不登校、ひきこもりを長年繰り返した看護大学生

 この本 [20] の 「第4章 エネルギー代謝と鉄」のところに、【症例】 不登校、ひきこもりを長年繰り返した看護大学生も、鉄剤投与で元気に という節があります。
 ここから、関連するところを引用します。

 小学校1年のときには、教室に入れなくなり、保健室登校が続きました。([20] p157)
 高校の特別進学クラスに入学するも、その年の6月から登校できなくなりました。([20] p157)
 高校は中退し、通信制高校に編入… 推薦入学で看護大学へ進学… ([20] p157)

 このあと、本 [20] の著者の病院を受診して
 「明らかな鉄・タンパク質不足」([20] p158)
と診断され、治療がすすんでゆきます。

 看護大学入学前の3月に、著者の病院に初めて訪れたときの血液検査での、フェリチン値は4未満でした。
 母親が下宿先に同居しながらサポートを続け、看護大学の授業には頑張って出ました。時々過呼吸になったり、泣いたりして休んでしまうこともありました。 ([20] p158)
 6月にフェリチン値が36になりました。
 立ちくらみ、めまいがなくなり、体力もついて街をあるけるようになった… ([20] p158)
 10月にはフェリチン値は58まで上昇しました。
 授業も休まなくてよくなり、母親は実家に戻りました。「精神的に強くなった」と言ってくれました。 ([20] p158)
 
 ほかにも、他の投薬や食事に関する処置のことが記されていますが、ここでは整理して、割愛しました。
 中心的な治療の軸は鉄分の補充だということが、他の症例の説明などを見ても、はっきりと分かります。

 登校拒否には打つ手がある

 かつて、なすすべが分からず、登校拒否の生徒を、はじめと同じ状態で1年を終わらせ、別の理由で教師を辞めてしまいました。
 今私は教師ではありませんし、もしやろうとしても、65歳を超えており、教職免許の更新なぞする必要もなかったため、登校拒否の生徒をあずかるということはありません。
 しかし、もし、そのような状況になったとしたら、次のような手順で、この問題に取り組んでゆくことでしょう。

 (1) 登校拒否の生徒について、病院でフェリチン値(鉄分の指標)を測ってもらう。
 (2) フェリチン値が低いことを確認し、次は、母親がどのような料理を作って来たのかを聞き取る。
 (3) また、母親が使っている調理器具について調べ、ホウロウ製品と鉄製品の使用頻度を確認する。
 (4) もし、この本 [20] の著者の病院を受診できるのなら、それをすすめる。無理なら、上記のメカニズムを説明し、母親に食事の内容を工夫するように言う。
 (5) 時期を見て、登校拒否の生徒について、病院でフェリチン値(鉄分の指標)を測ってもらい、食事の効果が表れているか、フィードバックする。
 (6) 同時に、登校拒否の生徒の、言動やふるまいに変化があるか、観察してもらう。


 およそ、このような手順で、やれることがあるはずです。
 何もしなければ、このままの状態が続くだけです。
 私は専門の医者ではありませんから、効果があるかどうかは保証できませんが、やってみる価値はあると思います。
 (Written by TANAKA Takeshi, July 1, 2019)

 参照資料(関係分)

[1] 「がん」では死なない「ガン患者」、東口高志・著、光文社新書818, 2016-5-20初版
[2] 「がんが自然に治る生き方」、ケリー・ターナー・著、長田美穂・訳、プレジデント社・刊、2014-11-23初版
[3] 「免疫革命」、(元新潟大学大学院 医学部教授)安保徹・著、講談社インターナショナル・刊、2003-7-11初版
[5] 「炭水化物が人類を滅ぼす」糖質制限からみた生命の科学、夏井睦(なついまこと)・著、光文社新書663、2013-10-20初版
[7] 「ケトン体が人類を救う」糖質制限でなぜ健康になるのか、宗田哲男(むろたてつお)・著、光文社新書786、2015-11-20初版
[11] 免疫栄養ケトン食で がんに勝つレシピ、管理栄養士 麻生れいみ・著、医学博士 古川健司・監修、光文社・刊、2017-8-20初版
[12] 「がんの嫌がる食事」、丁宗鐵(ていむねてつ)・著、三省堂書店・刊、2013-12-25初版
[14] 「ケトン食ががんを消す」古川健司・著、光文社新書847、2016-10-20初版
[15] 「炭水化物が人類を滅ぼす 【最終解答編】 植物VS.ヒトの全人類史」 夏井睦・著、光文社新書911、2017-10-20初版
[16] 「免疫力を自分で上げる本」、主婦の友社・編、株式会社主婦の友社・刊、2018-12-20発行
[17] 「薬を捨てる 糖尿病を治す」、栗原 毅・著、廣済堂出版・刊、2018-11-12初版
[18] 「薬剤師は抗がん剤を使わない」、宇多川久美子・著、廣済堂出版・刊、2017-1-25初版
[19] 「糖質過剰」症候群 あらゆる病に共通する原因、清水奉行・著、光文社新書1007、2019-5-30初版
[20] うつ・パニックは「鉄」不足が原因だった、藤川徳美・著、光文社新書893、2017-7-20初版
[21] BLUE BACKS 「お茶の科学」、大森正司・著、講談社・刊、2017-5-20初版

 

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