ミームは繰り越し可能
天国にいちばん近い町(6)

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito)

「天国にいちばん近い町のリスト」へ戻る

 加工研修センターでの見学が終わったら、次は、南のほうの山の斜面で新たに発掘された、花崗岩のレリーフ状の、壁画の見学へとゆく。北の山は大理石だが、南の山は花崗岩なのだ。おそらく、こちらの花崗岩のほうのもととなったマグマが貫入して、石灰岩を大理石にと変えたのだろう。珍しいことに、ぼくらは、この現象の境界のところに立っているのだ。

 ここは発掘されたものの、ここのあたりでは、大理石のことで頭がいっぱいで、簡単な解説板が立てられているだけで、ほとんど管理されていない。この遺跡の案内はドロテツに頼んである。キメラやラースト・オブ・モヒカーンは、バスに残っていた。こんな露頭の壁画なんか、どこにでもある、わざわざ見に行くこともないということだろう。それはそれでかまわない。ぼくは旅行のパンフレットをつくるとき、見学のコースを記すところで、「自由行動可」という単語を入れておいた。みんなでバス旅行しますが、見たくないシナモンは、見たいところを調べて計画して自由行動してください。行程を遅らせなければ、それでかまいません、というわけだ。このパターンを忠実に実行したのが、ラースト・オブ・モヒカーンである。ラーストは、タヌキドキアの街の見学でも、一度もすれ違った覚えがないし、夜の自由行動では、ブラックボックスと赤水を飲みに出かけたし、翌日のミステリーストーンサークル庭園の見学でも、一匹だけ入場せずに、集合時間を確認して、カンブリアヘイヤの原野へと歩き出していた。もちろん、集合時間にはバスに戻ってきて、ケララヤーマにやってきて、そうか、研修センターだけは見たのだ。仕事上何か参考になる機器や技術が見られるかもしれない。ラーストの目的は、これだけで満たされたのかもしれない。とにかく、ラーストとキメラは不参加。

 解説板の前で、ドロテツが語り始めている。

 「みなさん、こんにちは、わたくしが、解説ボランティアのドロテツです」

と言って、深々とお辞儀をしている。こんどは、解説ボランティアに化けようとしている。まったく、身変わりの早さといったら、カブキ役者なみだ。

 あらかた解説がおわったとき、ドロテツがとつぜん、

「それでは、ここを登って、もっと近くで見ましょう」

と言った。オパールが

「ここ、登っていいの?」

と聞いている。見学のための歩くルートが設けられているわけでもない。花崗岩の露頭そのままだ。あちこちに壁画がある。それを踏みつけてゆこうというのだ。ドロテツはニヤニヤとして、何の問題もないといわんばかりに

「わたくしが、このあたりに住んでいたときは、何度も登りました」

の一言で、決まり。ぼくとドロテツとで先頭をきって登りだした。実は、下見のときにも登っている。ヒイロカキアカもブラックボックスもスッポニアもついてくる。オパールも途中まで登ったが、突然降りてゆく。何があったのかと見ると、他のメスシナモンが解説板のところから向きを変えて、次の目的地である、鉄道の駅前へと向かったのだ。他のメスシナモンがはいていた靴では、このようなところへは登れないのだということに気がついた。オパールはスニーカーだったから、いっしょに登ればよかったのに。いっしょに登れるシナモンはメスではないなんて、誰も考えてないし、言わないのに。

 花崗岩の壁画の遺跡は、斜めになった斜面に彫られていた。このことは非常にめずらしい。彫りやすいことは彫りやすいが、そもそも、花崗岩に仏像などが彫られるのは、それを他のシナモンに見せて、説法を語ってみせたり、拝んでもらうためだから、見せやすくなければならないのだ。だから、いかに彫りにくくても、鉛直になった面をつかう。できれば、見上げるほど高いところにあるほうがよい。こんなところにどうして、と、作成に関する謎がのこせれば、それだけで、作品の良し悪しとは関係なく、箔がつく。それなのに、ここでは、イチゴの栽培でもしようかというような、南の斜面なのである。これは間違えた。南の斜面ではイチゴの栽培はやらない。それは南の斜面ではなく、南向きの斜面のことだった。ここは北向きの斜面ということになる。

 壁画は幾つかあった。いろいろなタイプの壁画がある。昨日岩窟博物館で見たものは、このパセリ惑星における、古代文明の遺跡だった。それぞれの遺跡で、色や岩が異なり、作風のタイプが異なり、ダダダやアリスやエデンの作風は、それぞれ違っていたものの、それらの中では、ある作風で統一されていたように思う。それなのに、ここには、なんでもあり、なのだ。ただ、岩盤としてのベースが共通しているというだけである。

 作風としては、昨日見た「キメラ大王の凱旋」に似ているだろうか。「踊るアリス」のスタイルにも似ている。この、今、足もとにある壁画は、どこかで見たようなポーズである。「サムライ騎士」のところで見た、前頭葉がへこんだ小さなシナモンの顔に似ていた。背脚(手のように進化しているらしい)が何本もあって、それぞれが、何かを握りしめたり、振りかざしたりしている。旗や刀や、密教で用いるダンベルのような道具や、鈴や提灯や、木槌やのこぎりまである。こいつは戦士なのか大工なのか、どっちかに決めてくれといいたい。ああ、頭丁にも手がある、と思ったら、一本だけの触覚らしい。先端が広がっている。

 こいつの鎧を見ると、鎧だと思っていたのは、メスのシナモンが胴体にしがみついている姿だった。そいつは、長い首をのばして、戦士だか大工だとかの、首もとを、これも、噛もうとしているのか、なめようとしているのか、よくわからないのだが、そっちのほうへと、開いた口を向けている。こいつらは、レスリングか何かで争っている途中なのだろうか。よくわからない。

 「コリアンダーさん、こっちこっち」

とドロテツがもっと上のほうから呼ぶ。ええっ? あそこまで登るのかよ。ぼくは、途中にある、オウムガイヘッドとサソリファイターの格闘シーンのような壁画を足がかりにして、ドロテツのところまで行く。息がきれる。背後を振り返ると、ケララヤーマの街の全貌がよく見える。加工研修センターだけではなく、出荷のために山積みされた巨大な大理石が、角砂糖のように小さく見える。

 「コリアンダーさん、これ見てくださいよ」

とドロテツが示した先には、等身大くらいの像があった。何の型のシナモンかはわからなかったが、脚を前後に開き、右手には斧を持っている。左手には皮袋のようなものを持っていて、そこから、勾玉(まがたま)のようなものが出ていた。何だろう。勾玉のようだが、穴は開いていない。種を蒔くしぐさにも似ているが、こんな形状の(そして、こんな大きな)種はない。

 「何かをまいているのだろうか」

と、ぼくがドロテツにも聞こえるようにつぶやくと、

「水ですよ」

と、簡単明瞭にドロテツは答え、さらに説明を続けて

「これは、水をまきながら、大地を踏みしめつつ、踊っているところですよ」

と言う。

 「なるほど、そう言われればそうだ」

 「雨乞いの踊りですよ」

 「そうか」

 「このポーズの原型は、あちこちの文明にありますよ。知らなかったのですか?」

 「知らなかった」

 「そんなポーズのことではないんです。わたくしがコリアンダーさんを呼んだのは、このシナモンの顔がコリアンダーさんに似ているからです。そう思いませんか」

「あまり、自分の顔は見ないからね」

「本人には分からなくても、わたくしには分かりますよ。そっくりですよ」

「だから?」

「だからって、不思議だなあって思ったんですよ。これって謎でしょう?」

ぼくは、その絵の右下に、手のしるしが彫られていることに気づく。

「ここにある手のしるしは何だろう」

と、ぼくはドロテツに聞いてみる。

「作者のサインかもしれませんね」

「サイン?」

「こういうの、よくあるんですよ。だって、そのときに持っている名前なんて、死んだら何の意味もないじゃないですか。歴史書に残るような、よっぽどよいことや、よっぽど悪いことをしないかぎり、名前なんて、いずれ忘れ去られてゆくんですよ。だから、大王とか大統領とかが、石像や壁画に、その姿を記させて、名前やなんかも、そのときの言語記号で刻ませるんでしょ」

「石に姿や名前を刻むと、ひょっとしたら、天国に近づけると思っているのだろうか」

「かもしれませんね」

「死んだら、何も残らないんだろ?」

「何もって?」

「ユーラとか財産とか」

「それらは残るでしょうが、死ぬのだから、もう使えませんんね」

「せめて、栄光だけでも残しておこうというのだろうか」

「ひょっとすると、死んでも持ってゆけるものがあるかもしれませんよ」

「死んだら、ホトケは、ガラムマサラ体だけだろう。これも何がなんだかわからないもので、ちっともつかめないし、見えないし」

「ガラムマサラ体が、見えなくても、仮にあったとして、裸のガラムマサラ体が、死体から離れて、どこかへ言ったとしても、ミームはもってゆけますよ」

「ミーム?」

「情報や文化の領域での遺伝子です」

「どんなミームを?」

「つまり、才能のことです。うまく木登りしたり、こんなふうに石に姿を彫りつけたりするときの、能力のエッセンス」

「ああ、分かる。でも」

「でも、何ですか?」

「それは、生まれ変われるとしたときの話だろ?」

「そうですね。まあ、仮定上の話ですが、死んだとき、ユーラや財産は繰り越せないけれど、才能は繰り越し可能だということになります」

「決まった。それ、今日一番のヒット。あるいはホームラン」

「ジョークじゃないんですけれどね」

ぼくらは、そう言って笑いあった。

ドロテツはキャメル・ブラックボックスに呼ばれて、そっちのほうに行った。何か気になるものをブラックボックスが見つけたから、時代の鑑定をたのみたいのだそうだ。

サインだってドロテツは言ってたなぁ。この手のマークのこと。こんな子供みたいな手で彫ったのというのだろうか。この手の指は、人差し指と中指と薬指の長さが、ほぼ同じだ。指の先端をトレースしたとき、中指が少し長く見えるが、それは、指の付け根のところが、すでにもっているカーブのせいだ。緩やかなカーブのピークのところから中指が伸びているから、中指が少し長く見えているだけなのだ。成熟したシナモンの手として、今まで、このような形の手を、よそで見たことは無いと思う。こんな指の手は、めったにない。たぶん、ぼくの手を除けば。

ほくは、右手をそっと、その手跡に合わせてみた。思ったとおりだ。予想したとおりだ。考えたとおりだ。ぴったり、合った。これはどういうことなのだろうか。

 急に、ぼくのタラゴン体が震えだした。そう、感じた。声をあげて泣きたくなってきた。そのことを避けようとして、タラゴン体が抵抗しているのだ。ずうっと分かれていた肉親に合ったときのような、その肉親を抱きしめたくなるときのような、言いようのない震えだった。だが、この石には肉がない。ただの、石の彫り跡だ。ぼくは、右手を、そおっと離した。

震えの止まらないタラゴン体が落ちつくのをまって、立ち上がり、その場を離れた。

またくるよ。今度は花でも持って。そんなの無意味か。もう、きっと、別のところで生まれ変わっているはずだから。ひょっとしたら、ぼくかもしれないし、ぼくによく似た手を持っているやつかもしれない。ああ、ドロテツは、ジョークを言っていたんじゃなかったんだ。

 死んでも才能は繰り越し可能だったんだ。

何も恐れることはない。

何にもしがみつく必要はない。

ただ、ありのままに生きればよいだけだったのだ。

 

 バス旅行はつづき、支局長は帰り道で漁港に寄ってオサカーナを買おうと言い出す。カラスピーマン海で採れるコバルトキャビアも買って帰りたいという。

支局長はケータイで色々と手配して、けっきょく、オサカーナがすでに売り切れていることを確認する。

「オサカーナって、夜明け前に採ってきて、明けがたから売るものじゃあないですか。でないと、腐ってしまうじゃありませんか」

と、ぼくが後ろからつぶやく。

「それに、コバルトキャビアだったら、缶詰で売っているのを取り寄せればいいじゃありませんか」

 また、帰る行程をのばし、急きょその夜に食事の席をもうけ、再度、赤水のうたげ(宴)をもつことを支局長は提案する。

「いちど、うまいものを食べたいから」

と支局長は理由を吐き出す。なんと失礼な。昨日、好きなだけコオロギ料理をつまみにして,地元の赤水を飲んでいたくせに。そのようなことはすっかり忘れているのだ。ブラックボックスは、

「どっちでもかまいません」

という。すると、サンストーンが、

「早く帰って食事のしたくをしたいので」

と反論する。

ぼくが考えていたことは次のようなことであったが、否決されるような流れだったので何も言わなかった。つまり、そのようなことをしても、赤い水は飲めないということである。バスで帰省後、車に乗って帰らなければならないのだから。

だから、一泊二日の旅行をしたのでしょう? 

こんなかんたんなことも分からないの?

 

 車中でのあいさつ。

「みなさん明日からも仲良く仕事をしましょう」

と、ぼくがまとめたあと、支局長が何かあいさつしたが、何も記憶にのこっていない。ぼくは、到着後工場入口の鎖をはずす準備のため、運転席の横に座って、前方のことに注意を向けていた。

 

 バスは支局の工場前に到着する。

 車中での色煙戦争で敗北したはずのキャメル・ブラックボックスは、これまで、このような団体旅行に一度も参加したことがなかったのだったが、バスを降りてすぐに

「コリアンダーさん、ありがとう」

と言った。気難しい(と、これまで感じていた)ブラックボックスから、「コリアンダーさん」と「さん」づけで呼ばれるのは、これがはじめてだったので、ぼくは、とても驚いた。

また、つづいてバスから降りてきたスッポニアも、

「コリアンダーさん、ありがとう」

と言う。これは刷り込まれたミナライ行動かもしれない。あまり深い意味もなく、ブラックボックスのようすを見て、このようなときは、そのように言うものだと、ここで学習しただけという可能性もある。

だが、スッポニアは、次の日も、また、その次の日も、ぼくと会うごとに、同じ言葉を繰り返したのだ。ぼくは、

「いいかげんにしないかスッポニア! そんなことは、いちど聞けばじゅうぶんだ」

と言って、叱り飛ばさなければならなかったのだった。

でも、ぼくは言いようのない至福感につつまれる。

ミジンコがハイになるときの浮揚感ではない。ブラックタフのように、正規の処方箋で手に入れたクスリを飲むのでもない。ただの、自然な、そして、何ものかにやさしく見まもられているかとも思えるような、ごくごくシンプルな、至福感である。

この旅では数多くの問題があらわれ

そして、それらが、いつのまにか、何の問題もなく消えていったからだ。

そう、ぼくは思う。

「こうして、ぼくたちは、また、少し、天国に近づいてゆくのかな」

と、ぼくはつぶやく。

「でも、そんなものは、どこにもないのかもしれないけれど、たくさんの問題が、いつのまにかなくなってしまったのだから、どうでもいいじゃないか」

つづく
「天国にいちばん近い町のリスト」へ戻る