創造性のスイッチが入れっぱなしになっている
天国にいちばん近い町(8)

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito)

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 ゾンビ石

ゾンビ石は、岩石を細かく砕いたり、川砂をふるったりしたものを、特殊な接着剤で練りこんで、自然乾燥で固め、あたかも自然の石であるかのように再構成するもの。

そうして、とてもここへ動かすことが出来ないと思えるような場所へ、どうやったら、こんな大きな石を持ち上げたのか、とも思えるような巨石をつくりあげる。

ゾンビ石であることを知られては効果がなくなってしまうので、秘密裏に(現場で)制作される。

 

 宝石磨き

にせものの宝石の原石を磨いて、本物の宝石のように見せて出荷できるのは、ドロシーが確立した技術によるところが大きい。他の宝石磨きのメスシナモンたちは、ほとんどが本物の宝石の原石を磨いている。

しかし、にせものの宝石の原石から、本物の宝石として出荷できるほうが、利益率がよいので、ドロシーは高ユーラ取りである。

本物の宝石の原石を磨いて、わずかなユーラしかもらっていないメスシナモンたちは、みんな、

「あたしも腕を磨いて、ドロシーのような魔法をかけられるようにしなくちゃ」

と願いながら、せっせと手を動かしている。

 

 カントール集合

まず、長さ1の線分を考える。次に、それを3等分して、中間の1/3の部分を取り除く。残っている線分について、おのおの、それらを3等分して、中間の1/9の部分を取り除く。こうして、残っている短い線分を3等分したときの、中央部分だけを取り除く操作を無限に続けたときの、孤立した無限個の点(ほんとうは、無限小の線分)の集合のこと。

神(と呼ばれている存在)が、おのれを分割してゆき、この世界をつくられたときの、やりかたに、とてもよく似ている。シナモン一匹ずつのなかにも、神がいる、と語られることの、わけ(理由)でもある。

 

 フラクタル次元

ぼくが若かったころ、次元はどうして、1次元、2次元、3次元、4次元と、一つずつ増えていかなければならないのかと、疑問に思っていたことがある。やがて、大学で数学の講師と親しくなり、その疑問を話したことがあるが、その講師は、自然数での次元ではなく、そのような、実数での次元をどのようにして定義するのか、と反論してきた。ぼくは、そこで沈黙してしまう。しかし、そのとき、この話題をまじめにとらえ、なんとかして、そのような次元を工夫できないかと考えていれば、離散集合や、微小な凹凸をもつ集合の次元(フラクタル次元)を、この世界で初めて定義することができたかもしれないのに。そうすれば、その講師も、さっさと教授になれただろうし、羽が生えて、世界中を飛び回ることができたに違いない。

 フラクタル次元が定義されるとき、フラクタルな構造をもつものが、普通のものとは、少し違うぞということに、気づく必要があったのである。そのことを、この世界でさいしょに気づいたのは、ベンワー・B・マンデンブロだった。彼の名を世界的に有名にした(今でもぼくの本棚にある)著書「フラクタル幾何学」の日本語版を、手に入れたとき、ぼくは、しまった、やられた、と思った。ぼくが、純粋な数学から離れてゆく、きっかけになった本だった。

 

  ミーム

 この作品で述べられているミームは、ミームを、この世界で最初に定義した、リチャード・ドーキンスによる、生物学的な定義「ミームは、文化の、伝達や複製の、基本単位である」というものから、すでに離れていて、リチャード・ブロディによる、ミーム学の定義「ミームとは、心の中の情報の単位であり(以下略)」のほうで用いられている。現在、ミームの観点からみた、この世界の分析がどんどんすすんでおり、マインド・ミームというものが、どのように世界を変えてゆくのかということが分かり始めてきた。この作品では、さらに新たな視点として、「死んでも、ミームは繰り越し可能だ」と主張している。この考えを逆立ちさせてみよう。すると、このようなことに気づく。

まさに、存在し続けようとしているのは、タラゴン体でもガラムマサラ体でもなくて、それらを媒体として利用する、繰り越されたミームだったのだ。われわれは、そのミームに操られている、(脳という)コンピュータつきのロボットにすぎない。

 

  ユーラ

 この作品における定義では、使役交換単位として、A地区で通用するユーロと言う意味だが、続けてユーラともいう、となっている。A地区では、かなりインフレが進んでいる。スッポニアの背中が膨れているのは、大量のユーラ紙幣を、そこに収めているからであろう。

このユーラにも、何らかのミームがくっついているのは明らかである。ブロディによるミームの3分類、識別ミーム、戦略ミーム、関連づけミームの、どれにかかわっているかというと、おそらく、最後のものであろう。

この関連づけミームの定義「ミーム同士を関連づけるミーム」によると、せっせと手を動かして宝石の原石を磨くと何かよいことがあるに違いないというミームと、温泉につかってゆっくり休むと心までが温かくなるというミームとを、関連づけるために、中間で、いわば科学反応における触媒のような役割を担っている、使役交換単位として、パラノイア症の患者が描いたとしか思えないような模様で汚された紙切れや、かつての丸い石の形状だけを引き継いでいるが、あまりに軽すぎる丸い金属板が意味をもつという、信じられないほど、この世界に広まったミームが、このユーラの正体だったのである。

 

  カラカイ病

 ミジンコが典型的なカラカイ病であり、その症状例については、本文に詳しく書いておいた。一方、ブラックタフは典型的なユーウツ病である。これらの症状は、まったく逆の様相をもっている。

 ところで、これらのカラカイ病とユーウツ病を、時系列的に、ふらふらと変化する病もある。ユーウツ病になったり、カラカイ病になったりするのである。同時にはならないらしい。ユーウツカラカイ病とか、カラカイユーウツ病と呼ばれることもあるが、これらの名称の一部を組み合わせて、多くはユーカラ病と呼ばれる。

初期の発病においては、どちらが先にきても、かなり激しいものになる恐れがある。だが、それらの危機を何度か乗り越えてゆくと、ユーウツ病といっても、周囲のシナモンと、ほとんど同じような活動をこなしているし、何も問題があるようには見えない。

ところが、何かのスイッチが入って、カラカイ病のほうに変わってしまうと、世界に対する見方が変わってしまうらしく、恋人がいようがいまいが、恋をしたときのような、生きて活動することのすべてに喜びを感ずるという、うらやましい気分になるそうで、基礎的な諸能力が発達しているという条件のもとで、何か創造的な遊びを始めたくなって、何かしら、これまではありえなかったようなものを生み出すことがあるという。そういえば、これまでのシナモン社会を発展させてきた、何匹かのシナモンの行動パターンに着目すると、このユーカラ病であった可能性が高いことが分かる。

 このように考えてみると、何度かユーカラ病を繰り返して、ユーカラ病における、かるいカラカイ期にある患者こそが、数は少ないものの、シナモンの文化を暗にささえているのではないかとも思える。シナモンの文化に潜んでいるミームの観点からすると、それらは、よく進化した媒体であり、ユーカラ病における、ユーウツ期の患者や、それとほぼ同じ症状の、大部分のシナモンというものは、ミームの進化にとって、何も役立っていない、ただの余剰生産をつかさどるシナモンということになる。アリの世界の、ハタラキアリと同じようなものである。ユーカラ病における、ユーウツ期の患者は、この時期を耐えれば、また、本当の生に目覚めることが出来るということを知っている。しかし、一度もユーカラ病になったことのないシナモンは、この目覚めのことを、まったく知らないのであるから、ミームの観点から言えば、ただのムユウシナモンなのである。

 

  キメラ行動

 キメラ行動とは、2種以上の異なるミームからコントロールされた、相反するような行動のこと。異なるミームは2種とは限らなくて、3種以上のときもあるのだが、まずは、分かりやすい2種の場合から説明しよう。

 たとえば、エピローグ4において、支局長(キメラサウルス・ユーラキョウ)は、ブラックタフのことを「オマエはよけいなことを言うから嫌いだ」と、嫌悪のミームの支配下にあるが、何匹かに誘いをかけたものの、どの一匹からもよい返事をもらえなくて、一匹で昼食をとらなくなってしまったとき、ブラックタフに(それしか話題がないのだからしかたがないが)仕事の件でケータイをかけているのは、「オマエしか話し相手がいないからトモダチになってくれ」と暗に言っているようなもので、明らかに好意のミームに支配されている。このように、通常では相反するミームを、時系列的にラグがあるとはいうものの、共存させて、それらの支配のもとでの行動を、何の疑問もなく受け入れている。

 3種以上のミームによるキメラ行動の例は、ジタン・プランクネットの行動に見られる。本文で紹介した例において、ジタンの行動パターンは、キメラサウルス・ユーラキョウに対するときに支配されるミームと、コリアンダーに対するときに支配されるミームと、スッポニアやミジンコに対するときに支配されるミームとで、驚くばかりの異なる様相を見せている。これらの具体例については、(読者の)研究課題としよう。

 

  行動経済学体制

 「行動経済学」という用語は本物である。ただ、これに「体制」がついたものが、本当なのか嘘なのか、まだ、はっきりしない。なにしろ、これは、遠い遠い未来の物語なのだから。

 

  物理経済学体制

 「物理経済学」という用語は無い。あるのは「経済物理学」である。最近急に発展してきた。まず数学の分野で、それまでより自由に、かつ広く応用できる、解析的手法が発展し、それが、まず物理学に適用され、この学門に対する視点を変えてしまい、このときに発展した手法が、経済学という幻のようなミームの調査にも適用できるということが気づかれたのだ。それまでの経済学は、数学で線形方程式しか取り扱わなかった時代のように、理想状態の考察で理解できることだけを理解しようとしていたのである。ところが、このような枠組みをとりはらってみれば、物理学も、経済学も、まだまだ未知のミームを隠して培養していたということが分かりだしたということなのだ。このあたりの状況は、微生物学の進歩のパターンと似ている。昔は古細菌なぞいないと思われていたし、生化学上の常識を超えるような細菌なぞ、どこにもいないと思われていたのに、何らかのミームが変化して、はっと気がついて探してみれば、細菌もミームも、うじゃうじゃと現れだしたのである。それらは、ほんとうに現れたのだろうか。違う。われわれシナモンたちの、能力が不足していたために、単に見なかった(見えなかった)だけのことである。

 

コロニー

 同一のミームに支配されたシナモンらが形成する集団。繁殖のための群れ。シナモン群体および、それらの巣穴群。

 この同一のミームとは、

「シナモンが狭い領域に集まったほうが、触覚やヒレ(鰭)やシッポ(尻尾)による接触が多くなり、多様な意味で、より激しく刺激しあい、交流も増し、変化も激しくなり、余剰ユーラも再生産しやすく、このため、シナモンどうし(また、ミームどうし)の交配の確率と多様性も増し、ひいては、シナモンの進化のスピードが高まる」

というものである。

このようにシナモンの心を支配したミームは、確かに、より多くのシナモンへと感染することができたが、その大部分は、ムユウシナモンであるし、ナカカラヤミシンドロームの予備軍である。いずれ、生きてきたことに何の意味も感じないまま、墓とその土地と回忌の数のことだけを考えようとするシナモンたちである。

この(コロニーを形成する)ミームは確かに広く伝染されるだろうが、だからといって、ミームの(また、シナモン)の、何を高めることができたというのだろうか。

 

  危険な周波数の電磁波

 危険な周波数の電磁波が生み出されていることが明らかにされてこなかった装置が多くある。それらの電磁波による損失と、装置が生み出す余剰ユーラの利得とが、天秤にかけられ、損失の見積もりが常に低く評価され、余剰ユーラの利得の見積もりが常に高く評価される傾向があったため、これらの装置は、幸せを呼び込むものとして、常に歓迎されてきたのである。このような傾向があるということは、行動経済学で明らかにされてきたばかりのことである。だが、これからも、この傾向は続くかもしれない。しょせんシナモンはバチルス・サチルスの一種なのであるから。

 

  タラゴンマインド

 タラゴンマインドには諸説ある。精神科の医者と、精霊と交わる呪術者とでは、ブラックタフとミジンコほども、定義が異なる。これらに関しては、見えるものが異なり、知ることが異なっているのだから、しかたがないことである。また、もっと身近な例で言うと、キメラサウルスとプランクネットの間でも、同一のもの(たとえば、コリアンダーやブラックタフ)を見ていても、まったく異なるものと認識しているのであるから、これもしかたがないことである。共通しているのは、評価ユーラに対するミームだけといってもよい。このようなわけで、タラゴンマインドを体系的に説明するのは、不可能に近い。

 

  思考言語

 思考言語という用語は、このパセリ惑星での、現在の文明では、あまり確かなものとはなっていない。すでにミームの視点が見出されているにもかかわらず、思考言語の視点は、あいかわらず忘れ去られたままである。

 思考言語の研究のため、ひとつは、障害をもつシナモンの中に、そこで通用している線形言語を使うことのできないにもかかわらず、多様な対応の反応を、身振りや手振りや、突発的な短い音の組み合わせで表現することから、何らかの思考が、そのシナモンの中で構成されているとみなせ、それを、原始的な思考言語と考える流れがある。

 もう一つの流れは、異なるシナモン間での、線形言語を利用しないコミュニケーションにおいて、それぞれのシナモンの中に、思考の塑像モデルのようなものが存在しているということが明らかであり、それらも、原始的な思考言語と考えられようとしている。

 ところが、そのような考察を行っている、線形言語もペラペラのシナモンたちですら、原始的と呼ばれている思考言語を根源に持っているのだということには、気づかれていない。ここでも、シナモンが、単なるバチルスであるということが、大きく影響している。シナモンたちは、相変わらず、自分たちがいかに大きな存在であるか、指導的な立場にいるかという、誤解の渦の中で、タツマキで飛ばされている状態に陥っているのだ。思考言語は、すでに、シナモンたちの文化の中で、まがうことのない、ミームの根を下ろしているのに、それに気がつかないというのは、古細菌のことを何億年も知らなかったのと、ほとんど同じ現象である。

 

  ホトケ

ホトケは樹木に宿るのであろうか。あるいは、樹木に化身するのだろうか。あるいは、青銅やブロンズや鉄や金や真鍮に化身するのだろうか。一つ忘れている。ホトケは石や岩にも化身するのだろうか。

いまや十一面観音の化身像は、強固な監獄のような建物の中に閉じ込められている。おそらくは、そのような境界なぞ、やすやすと通り抜けてしまわれる、本来のホトケが、そのようなところを住処としているはずがない。明らかに抜け殻のような樹木殻を見るため、ユーラと時間をもてあましたシナモンが、あちらこちらの領域のコロニーなどからやってくる。

立木に彫られた観音は、秘仏扱いされ、周囲を覆われ、シナモンから目のとどかないところに、安置されているという。もし、その木が生きていたら、そんな彫り跡は、樹液を固めて、単なるかさぶた状のこぶに変えてしまっているはずだ。そのようなものを見せては、ありがたみがなくなるというのだろうか。

ある資料館に、観音菩薩の応現身(おうげしん)のことが説明されてあった。その化身の種類は33通りあって、それは、天、空、地界に各11神あって、合計して三界33神なのだそうだ。このあたりの数字の組み立て方の根拠が分からない。化学における元素の周期表の数字のほうが、はるかに説得力が高い。さて、この、観音菩薩の33身の内容であるが、仏身から始まって、執金剛身までのリストの中には、帝釈身、長者身、婆羅門(ばらもん)身、比丘尼(びくに)身、童男身、童女身、龍身、夜叉身、阿修羅(あしゅら)身、などなど、まあ、なんでもあり状態だが、これだけ変身してもらえば、キャラクターには困らない。すでに使い古されて死語になっているものもある。ここにはあげなかったもので、なかなか言葉の響きがよいものとして、迦楼羅(かるら)身というものがある。これは、龍(蛇)を喰らう金翅鳥なのだそうで、鳥頭人身の姿で描かれるという。これはカッコイ。そう思うのは、ぼくだけではないらしく、すでに、タイ王国やインドネシア共和国の国章として用いられている。

観音菩薩は、ヒト型シナモンに化身するだけでなく、ほとんど怪獣のような存在にまで変身するらしい。だが、樹木や石や、その他の金属類などには、どうやら化身したがらないようである。そんなものに、手をあわせて、(いまのぼくなら、まさにそうなのだが)汗水たらして稼いだユーラを投げ捨てるなんて、これはきっと、タラゴンマインドの病の一種にちがいない。シナモンのみなさん、少し狂ってきているのではありませんか。

 

両性具有

 コリアンダーが「ホトケは両性具有のガラムマサラ体」だと、どこかに書いてあったといっているが、この原書が何か分からないのでしかたがないが、これは間違っていそうである。

そもそも、ガラムマサラ体になっているのに、どうして、シナモン体に固有の性器を、それもメス型性器とオス型性器の、両方をもつ必要があるのだろうか。ガラムマサラ体が、どのように、子孫を増やすのかということは、まだ、よく分からないが、卵生や胎生のような、厳しい環境に対応したものであるはずがない。どちらかというと、ヒドラやプラナリアの出芽や、ゾウリムシなどの分裂のような様式のほうが、よっぽど、ありそうである。あるいは、突然、空間に、スタートレックでの転送のような方法で、子孫が出現するという、全身コピーのようなシステムかもしれない。

 このようなわけであるから、コリアンダーがもうすこし本を読んでいて、厳密にものごとを考えられ、それに基づいて発言するシナモンであるとしたら、このように言うのがよいだろう。

 「ホトケは両性超越のガラムマサラ体」

であると。

 

ガラムマサラ体

 この小説では、見えない体のことを、これまでとは異なる用語で語っている。見えている体である肉体のことを、実は、シナモン体と名づけることにしてある。シナモンとは、読んでいて、おおよその概念がつかめてきているだろうが、おおよそ、SF小説などの用語での、ヒューマノイドや、レプリカントや、エイリアンなどを、すべて言い表す言葉である。手や脚の数には、こだわっていない。尻尾のあるなし、とか、モヒカンベルトを持っているとか、触角やチョンマゲのあるなしも、すべて、問題なし。

 シナモン体を肉体に対応させたのは、シナモンの漢語訳が「肉桂」であったからかな。まあ、これもジョークの一種なのである。シナモンの響きが「死ぬべきもの」という言葉に近かったこともある。死ぬことを、忘れていても、いずれは、考えなければならない存在として、この名前は、まさに、ふさわしいものと考えたのだ。

 このあとにつづく、高次元複体とも統一してよばれる、各種の見えない体については、伝統的な呼び名があった。しかし、ある集団が、みずからの存在を誇示するために、法を犯し、シナモンたちの命を奪ったとき、これらの伝統的な呼び名に、汚れた(イメージや)意味をつけてしまった。こうして、これらの伝統的な呼び名は、死語と化したのである。

 だが、見えない体は、けっして死んではいない。それらは、注意深く生きながら観察してゆけば、たしかに、ある、ということが分かってくる。これらのことを説明しようとしたり、小説のなかで取り上げたりするには、それらをきちんと区別する用語が必要になってくる。そこで、せんえつではあるものの、これらの小説で新たに定義して使ってゆこうと考えたのである。

 これらの見えない体のことを、この星の、この文明では、どのように調べられてきたかということを、文献で調べたが、それらの体のことを感じていないシナモンが書いているものは、いっこうに前に進んでゆかない。「生気」の一言だけで、すませている。

 まだ、あまり汚されていない言葉で、これらの、見えない体のことを、体系的にまとめているのが、ルドルフ・シュタイナーである。シュタイナーの「神秘学概論」によると、肉体を「@物質体」と呼んで、このあとにつづく、見えない体が6種類あって、つごう7種類の体から、「人間」は成っているそうである。順次高次になってゆく、これらの7種類の体の名前を、次に書き出し、ぼくが小説の中で言い換える言葉を、それらの下に、カタカナ(と漢字の、体)で添えておこう。

 @物質体(シナモン体)、A生命体あるいはエーテル体(パプリカ体)、Bアストラル体(タラゴン体)、C自我(ガラムマサラ体)、D霊我(ローリエ体)、E生命霊(ガーリック体)、F霊人(オールスパイス体)

 霊我からの3体については、あまり、ぴんとこない。このような体が意識できるような現象に、まだ、お目にかかっていないからだろう。チベットで伝わってきた知識にくわしい、ソギャル・リンポチェの本の中には、肉体より高次の体として、「法身」「報身」「化身」の用語が見られるが、これらが、シュタイナーの体系の、何に対応しているのかは、まだ、よく分からない。これらは、「死の瞬間」にかかわるときの、ふしぎな現象を説明するための用語らしい。ぼくが分かったとしても、はたして、それを伝えられるかどうか。いちおう努力はしてみるつもりだが、そのまえにやらなければならないことが、まだまだ、いっぱいある。まずは、次の用語の解説をしなくては。

 

  形状不明

 この用語は、「『天国にいちばん近い町』に登場するシナモン」の、「ムーンストーン」と「サンストーン」の説明文のところに書かれている。なぜかというと、ムーンストーンとサンストーンの存在は、自由意志をもったコンピュータチップの中にあるからである。もちろん、ヒト型シナモンの形状で活動しているし、旅行にも参加しているが、それは仮の姿。別のボディに意識をダウンロードすれば、何にでもなれる。ただし、それには時間がかかるということと、別のボディを複数個用意できるほどのユーラを蓄えられるようにはしてもらっていない、と、いつもぼやいているから、やや旧式のボディを、こっそり修理しながら使っているようだ。二体と呼ぶと嫌がられる。並列処理が可能なコンピュータではあるが、みんなと同じように二匹と呼んでもらいたいらしい。ジョークが理解でき、それに応じて笑う機能が巧みに(プログラムされて)強化されており、コリアンダーにとっては、新しいジョークのテスト相手でもある。まあ、ジョークのレベルを問うとしたら、かなりハードルは低いのかもしれない。それでも、嫌なことがあったとき、そいつを何かのジョークに変換して、ムーンストーンとサンストーンとコリアンダーとで笑い飛ばしてしまうと、何もなかったかのような気分になって、その日の仕事を終えることができる。

 

  スノーボール・パセリ・キ

 この用語は「スノーボール・アース」からのパロディ。小説の中では、「アース」のことを「パセリ実験星」「パセリ惑星」「パセリ星」などと呼んでいる。「スノーボール・パセリ・キ」を翻訳してから漢字で書くと、「全地球凍結期」となろう。小説の中で用いるときは、パセリのところにあてはめる漢字が分からないので、「全パセリ凍結期」と言うことになるが、これでは、冬の寒い朝、畑に植えてあるパセリの周囲が霜だらけで、パセリも凍ったように白くなっているようなイメージになってしまう。ちょっと、まずい。

 

 魔法の言葉「ポー」

 「ポー(po)」は、アンド(and)やオアー(or)と同じような文法で用いることのできる単語として、水平思考で有名な、エドワード・デボノが導入しようとした用語であるが、どうやら、定着しなかったようだ。POは郵便局や郵便為替の略語になっている。ロングマンの英英辞書でも同じ。ランダムハウス英和辞典では、イタリア北部のポー川、ポロニウムの科学記号、オーストラリアでの英語では、「おまる」「尿瓶(しびん)」となっており、本家イギリスでは、幼児語あつかいである。これでは、使われないだろう。デボノの負け。もっと、うまい用語をデザインしなきゃ。

 

  カースト

 パセリ実験星の、赤色をシンボルカラーとしてもつ、A領域の、中央部分に近い、とある地方で、伝統的に残っている制度。しかし、時が経ち、カーストが成立した時期以降に、新たに生まれた職業が増えてきたため、しだいに、影響力がなくなりつつある。

 同じA領域の、東端の、とある地方では、カーストとほぼ同じ制度として、ヒニン(非人)というものがある。言葉はしだいに使われなくなってきているが、職業や住処を失い、青い擬似布を雨よけにして暮らしているシナモンは、実質上、ヒニン扱いである。

 ヒニンに対して、おのれはヒニンではないという意識をもって、ヒニンから、みずからを浮揚させようとするシナモンは、ヒヒニン(非非人)と呼ばれる。

 これらの言葉も、しだいに使われなくなってきており、「ヒニン」と「ヒヒニン」の意味は、「ブカ(豚禍)」と「ジョウシ(恕牛)」に移りつつある。

 

  タヌキドキア

 パセリ星A領域の、西端にある火山台地に発達した、文化コロニー。緑色凝灰岩(グリーンタフ)に掘られた岩窟博物館を中心にして、商店やホテルが増え、観光シナモンであふれかえるコロニー。カップルのデートスポットでもある。

 

  カンブリアヘイヤ

 パセリ星(A領域西端に隣接している)E領域の、カンブリア地方に発達した平坦な原野。周囲にストーンヘンジを配し、中央部分の麦畑でミステリーサークルが出現するところが見られる、ミステリーストーンサークル庭園がある。年中無休。解説ボランティア在り。

 

  ケララヤーマ

 パセリ星(E領域より、さらに西にある)D領域の、赤道付近にある、山岳コロニー。良質の大理石の産地。石灰岩を大理石に変成させた、花崗岩質マグマが地下で冷えたものの露頭があり、そこに新たに壁画群が発掘されたが、このコロニーのシナモンは、ユーラに結びつく大理石のことで頭がいっぱいで、この、黒雲母花崗岩の壁画の保護や観光化に関しては、ほとんど手がつけられていない。

 

 

  無限集合の離散被覆

 無限集合の、分かりやすい例としては「自然数」とか「素数」がある。どこまでも、数えられて、終わりがない。このときの、「素数」に対して、「自然数」は、離散被覆ということになる。

数学の解説は、このように、シンプルなものが、よいとされる。何らかの記号を導入して、もっと短く、形式的にすれば、何も文句がつかない。つまらない、枝葉をのばしておくと、そこから、つつかれる。どのような学会にも、このようなキツツキ型シナモンが生息していて、どこかに、つつけるアナ(穴)はないかと、目を光らせている。要注意。

 

  キメラ大王

キメラ大王ことキメラサウルス大王は、古代ラー王朝の、(短足)イヌ型シナモン。領土を拡大し、そこに畑をつくり、奴隷としたシナモンを、そこで働かせて、富を増すことを喜びとしている。キメラ大王のピラミッドは泥レンガで作られており、永い間に周囲が崩れてしまい、中央部の砂岩のところだけがのこって、メスシナモンの胸部突起によく似た形になっている。

 

  オーロラ(色)

 オーロラには極光の意味もあるが、ほんらいは、E領域のシンデン地方の、曙のメス神オーロラの名に由来する「夜明け」を意味する。色名のオーロラは、その空の色。D領域では、ドーンピンク(dawn pink)ともいう。A領域の中部では、チークワンホンと呼ばれている。(他の色についての解説は略す)

 

  オパル縞状流紋岩

 赤色透明の「火蛋白石(fire opal)」を流理空洞に含む、無斑晶の流紋岩。D領域中央部で産出される。

 

  ターメリック(星)

 恒星の一つで、典型的な主系列星で、スペクトル型はG2V(黄色)である。パセリ惑星からターメリック星までの平均距離を1天文単位(AU)と定義している。

 

  フレア

 フレアとは、ターメリック星の大気中での爆発現象であり、黒点付近で発生することが多く、多くの高エネルギー荷電粒子を、惑星間空間に放出する。この高エネルギー荷電粒子がパセリ惑星に到達すると、オーロラ発生の要因となる。

 

  霞石閃長岩(ネフェリン・シーナイト)

 白い岩石が多く、化学成分としては、長石に近いが、ナトリウムが比較的多く含まれる。このため、このナトリウムが媒熔成分となって、長石よりは低い温度で熔け始める。(他の岩石についての解説は略す)

 

  シシカバブタキリン(料理)

 A領域西端で好まれる料理。各種の擬似肉を、つくね状にして、焼いて、焦がして、すすを払って、切り取って、食べる。焦がし方に、シェフの技が光る、名品極旨。

 

 パミス(料理)

 A領域の全域で好まれる、ミミズ料理。スープはイグアナの鰭(ひれ)でとるものがベースになっている。各種の油やスパイスで変化がつけられている。

 

  アノマロカリス

 カンブリア爆発を代表する、カンブリア紀最大の生物。14対のヒレを使って泳ぐ。牙のような触手が一対あり、これで獲物をとって、触手の根元あたりにある、放射状に配列した歯にかこまれた、円形の口へと運ぶ。アノマロカリスの直訳は「奇妙なエビ」となるが、エビの節足動物群とも異なっている、バージェス動物群の一種。

 

  アルビノ

 メラニン生合成遺伝情報欠損疾患、ならびに、その症状の個体。

 

  雨乞い(呪術)

 まずは「呪術」の説明から。この言葉の定義は必要ですか。やめておきましょう。この言葉を定義すると、何をどれだけ知っているのかが明らかになってしまうから。

 「呪術」は「魔術」もしくは「魔法」と混同される。それもしかたがないことである。なかみ(原理のようなもの)はほとんど同じなのだろうから。おそらく、言葉の違いは、手段の違いに由来するものと考えられる。以後、「呪術」の用語について説明を展開してゆく。

 「呪術」の原則は、目に見えない力を利用するということにある。目に見えない力というものが、いったいどのようなもので、どこまで(科学的に)解明されているということについては、まだ資料がそろっていないし、呪術を使えるシナモンが、このような研究に協力してくれるかどうかということも、すこし考えてみると、分かってくる。つまり、呪術が科学的に解明されてしまうと、かなり、やばいことになるので、法体系からは分かれているものとして、利用できるシナモンは利用したいのである。

 ミジンコ・ザビエルの説明のところで、あらゆる方向に「呪いの雲」を撒き散らしていると記述したが、このようなものが実際に見えるわけではない。しかし、パプリカ体やタラゴン体が見えるというシナモンもいるらしいが、それなら、おそらく、このようなものが存在していることを見ているだろうと思う。このような「呪いの雲」が存在していて、まるで色煙のように、それにつつまれたシナモンの(おそらく、タラゴン体やガラムマサラ体の)健康や行動が狂わされてしまうことがあることは、「呪術」のほうの分野ではなく、「魔術」に分類されるほうの資料から学んだ。ダイアン・フォーチュンは、有名な「神秘のカバラー」だけでなく、「魔術」の世界でのノウハウ本のようなものを書いている。それによると、ミジンコなどが吐いた「呪いの雲」は、まるでそれが、一匹のミームであるかのように、とりつくシナモンを探して、あちこちと飛び回り、あたかも、それが、自由な意志をもっている存在であるかのように、これだと見つけたシナモンにくっついて、そのシナモンの思考の中に潜入し、おのれのミーム遺伝子を増殖するのである。そうして、そのシナモンの思考を汚してしまう。

 ミジンコが吐く「呪いの雲」で、有名なのが「池に落っこちて死んでしまえ」というものがある。唯一の友達であるオキアミが、何らかの理由で約束をすっぽかしてしまったときに、ケータイのメールなども利用して、ミジンコはオキアミを攻撃しようとするのである。しかし、オキアミには、このような「呪いの雲」に対して免疫のようなものがあるようで、いっこうに平気である。いつのまにか、二匹は友情をとりもどし、以前と同じように、ぴょんぴょん跳ね回っている。行き場のない「呪いの雲」のほうは、とりつくシナモンを求めて、あちこちとさまよい、免疫のようなものを持っていない、ほとんど無防備の、外の世界からさまよってきた観光シナモンの思考に潜入して、増殖して、そして何が起こったかと言うと、そのようなことが、ありえないほどの浅い水深の川で、そのシナモンが命を落としていたのだ。そのことが知れわたったとき、ぼくは、数日前から、ミジンコが、その「呪いの雲」を吐き続けていたことを知っていた。だから、どうしろというのか。このようなことは科学的に解明されていない。ミジンコが罪にとわれることはないし、それを証明することもできない。

 では、このような「呪いの雲」が、あちこちを飛び回っているというとき、もちろん、それは見えないのだが、そいつが狙いをつけることを防ぐにはどのようにすればよいのか。ダイアン・フォーチュンの教えによれば、恐れの心を持たず、毅然とした態度で、注意深く行動していればよいのだそうだ。そうすると、何かが違うというということを、その「呪いの雲」のほうが感じとって、みずからにふさわしいシナモンを探すということらしい。このとき、ときどき、この「呪いの雲」は、匂いのようなものが似ている、自分自身を生み出した存在のところに戻って、そいつにとりついて、その思考を強化し、みずからの命のようなものを全うすることがあるという。ダイアン・フォーチュンは、この現象を「反射」と呼んでいたように思う。

 ともあれ、そのようなことが起こると、泳げないチョンマゲミジンコが、川か池に飛び込んでしまいかねない。ぼくは、柔らかい表現で、ミジンコに、そんなことを言ったり考えたりするのはやめろ、そうしないと、おれがおまえを池に放り込んでやるぞ、と言って釘をさしておくことにしている。これは、ぼくの愛情から生まれた行動である。けっして、そのような「呪いの雲」を生みだそうとしているわけではないことを、理解しておいてほしい。

 次に「雨乞い」の説明。こちらの言葉の定義も必要ないでしょう。

 雨乞いの「呪術」もしくは「儀式」もしくは「操作」は、シナモンの世界中で、古くから行われ続けている。雨乞いの呪術者は、尊敬される仕事をやっているという自覚があったことだろう。現在の仕事でたとえると、医者(歯医者も含む)や教師や、看護師や消防士などである。消防士は物理的に水を降らせるが、雨乞いの呪術師は、謎の力によって雨を降らせる。医者は科学的な(と思われる)手順で、患者の命を救うが、雨乞いの呪術者は、非科学的な手法によって、飢饉で苦しんでいるシナモンの命を救う。

 かつての文明では、この雨乞いの呪術力を補うため、多くの命が、そして、心臓が、ささげられてきた。このとき、これらの命や心臓を提供したシナモンたちは、こうすることによって、多くのシナモンが救われ、みずからも、より高い世界へと移れると、信じていたようだ。このようなミームが、その文明で増殖していたという記録が、確かに残っている。では、そのミームは、現在どのようにしているのか。狂犬病ウィルスのように滅亡したのか、それとも、風邪のウィルスのように、変化しつづけて、まったく異なるものになってしまっているのか。

 どうやら、これらのことをテーマにして、あらたに幾つか小説のようなものが書けそうである。小説の形式となるかどうかは、まだ分からない。

 

  ブラウン運動

 花粉などの微粒子が、水の分子の衝突により、不規則運動する現象。ロバート・ブラウンが発見した(1827年もしくは1828年、この数字は文献によって異なることがあるが、どっちでも、たいして変わらない)。たしか、アインシュタインは、この現象の理論的な根拠を示したことにより、ノーベル物理学賞を受賞したのではなかったか。他の研究については、それを理解できる選考委員が、まったく選定されていなかったと思われる。また、他の研究が、正しいという根拠を示す現象も、ほとんど観測されていなかったためでもあろう。ぼくが、このようにアインシュタインの肩をもつからといって、アインシュタインの研究を全て信じ込むのは危険である。なかなかうまくヒッカケテいると思えるような、ジョークの一種のような論理展開の理論もあって、アインシュタイン自身が、おのれの生み出した理論にだまされているのではないかとも、思えてしまうものがある。かつて、ぼくは某学会で、地震波における表面波の理論が、ただの仮想であって、S波(横波)が、傾斜地層によって、光がレンズで集められるように、エネルギーを集めさえすれば、このような、振幅が異常に大きな波が簡単に生まれるということを発表したが、そのとき反論された方々の根拠は、表面波の理論を生み出した科学者の名前が偉大であるから間違っているはずがないというようなものであり、ぼくは腹のそこで笑いながら、ですから、ここの仮定で、鉛直下方に波の振幅が減衰するという条件を導入する根拠が何も示されていなくて、単なる仮定の下で生み出された理論なのですよ、と説明したのだけれど、科学者の名前の威光を、単に信じているだけの人間は、すでに論理的に議論するという能力が失われているということが、(ぼくには)分かっただけであった。表面波は、地震の被害予測においても、重要な問題である。S波が傾斜地層で多重反射を起こし、振幅の位相を合わせることによって表面波とも呼ばれる、大きな振幅の波になるという現象は、このような波を観測された、古い論文を調べていて気がついたのだが、その論文では実験的に観測されていて、A地点で起振して(ちいさな人工地震を起こし)B地点で観測するときには表面波が生ずるけれども、その逆に、B地点で起振してA地点で観測するときには、振幅の大きな波は発生しないということが、巧みに隠されていて、実験したことが書かれているのに、一方の結果だけしか説明していないのだった。ぼくは、なぜそのようになるかと言うことを、コンピュータシミュレーションによっても説明したが、それらの新事実を受け入れられる科学者は、ほとんどいなかったようである。また、表面波について発表している他の研究者の観測データについて、その逆向きの観測結果を示してほしいと質問したことがあるが、発表時に約束してくれたにもかかわらず、その研究者は、なんだかんだ理由をつけて、それを明らかにすることを拒み続けた。まあ、逆位置からの観測では、表面波が発生しないということは、当時のぼくしか知らないことであったから、対応できなかったのもしかたがない。この世界での仕事は、リストラという嵐の中で逃げることに精一杯だったので、その後の展開については分からない。あいかわらず、理論そのものについて考える能力が失われた科学者たちの多くは、理論そのものではなく、その理論を生み出した科学者の、名前の威光を信じているだけである。なんとはなく、哀れである。

 

  e(定数)

 e=2.71828 18284 59045 23536 02874 71352 66249 77572(以下略。この数字は共立全書の数学公式集からのもの)

 この値のeは自然対数の底として知られている。この数の導入を研究した、イギリスノの数学者ジョン・ネイピア(John Napier , ネーピアの読みのときもある)の名をつけて、ネイピア数と呼ばれることがあるが、この数を定義して、最初に用いたのは、オイラーのようである。

 

  天国にいちばん近い町

 (ここは長くなります。コリアンダーは「天国にいちばん近い町」の意味を解釈しなくてもよいとしましたが、外の世界での噂の訳が、ここで説明されます。いわゆる、本当の意味での、この小説の答えです。ですから、ここまで読んでもらわないと、この小説は終わりません。いえ、決して終わらないということが、後で分かると思います)

 小説の結末部分で、コリアンダーは、こう言っています。

「この旅では数多くの問題があらわれ、(中略)何の問題もなく消えていった」

「こうして、ぼくたちは、また、少し、天国に近づいてゆくのかな」

「でも、そんなもの(天国)は、どこにもないのかもしれないけれど、(この世界で現われてきた)たくさんの問題が、いつのまにかなくなってしまったのだから、(天国がどこにあるのかとか、この町が天国にいちばん近いとかいうことは)どうでもいいじゃないか」

と。これは、コリアンダーを通じて、ぼくが述べたい答えの一つでもあります。

 でも、外の世界のシナモンたちが、このような考えで、「天国にいちばん近い町」と噂しているわけではないということも、しっかりおさえておくべきです。

 この小説を書いている間に、言葉のデザインをどうするかということのため、色々な資料にあたっていると、この謎に対するヒントが見つかってきました。

 ヒントの一つは「カースト」であり、もう一つのヒントは「雨乞い」です。できれば、この後の説明を読む前に、これらの項目のところの解説を読み直しておいてください。

 準備はよいですか。

 カーストの項で、ぼくは、あえて、ひとつの事実を書かないでおきました。それは、カーストの制度を保存しているシナモンたちが、輪廻転生を信じていて、現在のカーストにみあった生きかたをして、被支配者なら被支配者なりにしていると、今度生まれ変わってくるときには、少し上位のカーストに生まれることができると信じていることです。これもミームの一種なので、なにか適当な名前をつけておきたいと思います。そのまま、カーストミームでよいでしょう。このことがほんとうかどうかということは、ミームにとっては何の意味もありません。単に、このカーストミームがシナモンの中で増殖できればよいだけなのです。現在も、このカーストミームが増殖を続けていることは、ぼくは解説文の中で暗示しておきました。

 「これらの言葉も、しだいに使われなくなってきており、『ヒニン』と『ヒヒニン』の意味は、『ブカ(豚禍)』と『ジョウシ(恕牛)』に移りつつある」

のところです。このカーストミームの戦略として、生まれ変わってからというような、はっきりとしない結果しか生み出せないのでは、広まる力が弱いので、同じシナモン生の間に効果が生じるようにと、

「被支配者であるブカが、それなりのふるまいを、支配者であるジョウシに対してとりつづけてゆくことによって、いつかは、ひとつぐらいはランクが上のカースト(地位)につけるかもしれない」

と変化したわけです。この巧みな変身!

 このミームにも、それにふさわしい名前をつけておきましょう。チイ(地位)ミームというのはどうでしょう。このチイミームには、別の価値体系からのサポートとして、ユーラの増額という強化ミームがくっつきます。こちらも、ユーラミームと呼んでおきましょう。まあ、かなり手ごわい戦士たちです。

 これらは、「天国」を身近なものにするという意味で、考慮しておくべきものです。

 ところが、これだけでは、この町がいちばん天国に近いというこのわけ(理由)がわかりません。予定してあるヒントの「雨乞い」へと行くまえに、幾何学における補助線のようなヒントを、ひとつ出しておきましょう。

それは「スッポニア・スッポン」です。

 某エリアを象徴する鳥である「ニッポニア・ニッポン(トキの学名)」をパロッた「スッポニア・スッポン」という呼称は、この町を象徴するシナモン名なのです。外の世界のシナモンがみんな知っていることですが、この町には、スッポニア・スッポンによく似たシナモンが、わんさかと生息しているのです。生きてゆけるわけです。それらをまとめて表現する言葉をどのようにするかということで、ぼくは悩んでしまいます。かつて、その言葉は、差別用語でした。単に体を示す言葉なのですが、それを言うことで、みずからはヒニンではなく、ヒヒニンのほうであるということを、意識させる言葉でした。さて、どうしましょうか。スッポニア・スッポンは、ちょっと重いので異なるのですが、この小説で、それらについて、ぼくは、ある分野の名前を選んでつけてきました。たとえば、チョンマゲミジンコやオキアミです。だから、それらのことを、抽象的に呼ぶときには、「プランクトンたち」と呼んでおくことにしたいと思います。自分の力だけでは自由に泳いで生活できないというような意味だと考えてもよいでしょう。

 つまり、この町はプランクトンたちであふれかえっているのです。もともと小さな町なので、総数を数えると、そんなに多くはないのですが、比率として、ここは、このあたりでいちばん寒いということよりも、もっともっと知れわたっていて、この町で歩いていると、あらゆるところでプランクトンたちに出会ってしまうのです。そのことは、何も悪いことではありません。このような世界も、どこかにないと、これらの、外の世界では生きてゆけないシナモンたちは、どうすればよいのでしょうか。

 ところで、このようなプランクトンたちだけではシナモン社会は成立しません。これらのプランクトンたちを指導したり、世話したり、仲間として、いっしょに働くシナモンたちが必要です。この町には、そのようなシナモンたちも数多く集まってきています。ときとして、外の世界ではめったに見られないような、みごとな美しさで、その存在を輝かせているシナモンもいます。それは、ほんものの宝石にも劣りません。まあ、こんなことはおいといて、プランクトンたちは、決して見ばえのよい姿をしているわけではありません。スッポニアを旅行につれてゆくとしたとき、スッポニアのめんどうを、どのシナモンがやるのかということで、ミジンコやオキアミは逃げ出し、ジタン・プランクネットは、それをコリアンダーに押し付け、コリアンダー自身も、それをヒイロカキアカに押しつけようとします。だが、ヒイロカキアカも引き受けてくれません。そこで、コリアンダーとヒイロカキアカと、もう一匹、あまり目立ったエピソードがなかったので、名前をつけていないシナモン(センシナガレとしておきます)の一匹が、スッポニアといっしょに行動しようと言うことになったのです。その後、スッポニアは行きたかった遊園地がしまっていたので、タヌキドキアの街を一匹で散策して、途中でコリアンダーとヒイロカキアカと合流しますが、やがて、一匹で行動し、夕方、きちんとホテルに戻ってきたのでした。夜には、パミス料理を食べたいといいだし、やむなく、コリアンダーとセイタカ・オキナクサガメが同行します。これらの珍道中と、もうひとつの、一見するとプランクトンたちに見えない、キメラサウルス・ユーラキョウの「世話」に、コリアンダーはおわれてゆくわけです。キャメル・ブラックボックスが、バスを降りてから、コリアンダーに礼を言うのは、色煙戦争で敗北しても、それなりの価値はあったということもあるかもしれませんが、おそらく、ブラックボックスもキメラサウルスの「世話」をさせられることがあるので、今回の旅行では、その役を一手に引き受けてくれたコリアンダーに対して、肩代わりしてくれてありがとうという意味が、含まれていたのだと思います。スッポニアが何度も何度も、コリアンダーに会うたびに礼を言い、コリアンダーが、そんなことは一度でいいと、スッポニアに教えたということも、すべて、ほんとうにおこったことです。ここは、書いているぼくですら、感動してしまいます。みなさんは、どうですか。

 さて、ここで「雨乞い」のヒントにつなげてゆきましょう。

 「雨乞い」の項のところで、ぼくは、この仕事を補うため、多くの命と心臓が提供されてきたことにふれました。実際、ある種のミームで洗脳されていたシナモンが、逃げることなく、恐れることなく、儀式のための石台に横たわったそうです。このときのミームの内容は、次のようなものです。これをイケニエミームと呼んでおくことにしましょう。

 つまり、イケニエミームの戦略というのは

「飢饉で命をつなぎきれない、他のシナモンのために、雨乞いの呪術の力を高め、見事雨を降らせ、それによって、飢饉を避けて、シナモンたちが生きのびられるように、命と心臓を提供したシナモンは、間違いなく「天国」にゆくことができる」

というものだったのです。これは、記録に基づく事実です。

 このような、プランクトンたちにあふれ、それらの世話に、シナモン生の貴重な時間を費やしている、介護や保護や協力の作業をこなしているシナモンたちの行動は、そんなことは決してやりたくないと考えている、外の世界のシナモンたちにとっては、命と心臓を手渡すにも等しい行為としか考えられないようなのです。だからこそ、そこは、天国にいちばん近い町だと、外の世界のシナモンたちが噂しているのです。

 でも、そこで暮らしている、プランクトンたちも、その他のシナモンたちも、そのような理由がわからないのです。ただ単に、そこは、周囲の世界に比べて、とても寒く、とても少ないユーラしか稼げない、どうしようもないほどの問題をどんどん生み出す(サナダムシやカイチュウのような)やつらも生息している、いわば、最悪の町なのでした。

 だからこそ、ここには、手がかりがあるのです。ほんとうの生きかたを追い求めるための、手がかりのようなものが。

かすかで、分かりにくくて、信じられないようなできごとの中に、こっそり潜んでいるのです。この小説のように。

 

 

「『天国にいちばん近い町』の用語」に使われている用語(順不同)

(これは蛇足のように思えるかもしれませんが、ぼくとしては、

芸術的な表現の手法として採用してあるものです)

 2次用語

 

  パラノイア症

 「妄想性人格障害」「偏執病(へんしゅうびょう)」「妄想症」という訳語もある。このあたりの症状についての条件(特徴)を調べると、キメラサウルス・ユーラキョウの行動パターンそのものではないかということに気づく。

 ウィキペディアの「偏執病」に見られる症状より

   被害妄想 挫折(キメラサウルスが挫折したのは見たことがない)・侮辱(これは危険だ)・拒絶(これに対する反応は激しい)などへの過剰反応。他のシナモンへの根強い猜疑心(これは何度も確認済み)。

   誇大妄想 数を誇大に示したり(ものを売りつけるときの価格の値は、まさにこれ。ふっかけまくる)、大げさな表現を好む(大きければ何でもよいとばかりに、さまざまなものを作らせている。「ザ・岩山」という作品は大きいだけで、正直言って駄作だった)

   激しい攻撃性 誹謗中傷(キメラサウルスとプランクネットは、互いに陰ではののしりあっているにもかかわらず、他のシナモンに対しては、連動してののしる)・大勝利の連呼(われわれの「ヒトリガチ」だと、常に連呼している。仕事があるのは、ここぐらいのものだ、他では何もすることがない、とも言う)など。

   自己中心的性格 まったく、そのとおり。あえて解説するまでもない。

   異常な独占欲 だからこそ、ユーラに狂えるのだ。

 紙幣のデザインが過剰であることを説明しようとしただけであるが、とんでもないことが分かってしまった。「妄想性人格障害」のほうの症状では、さらに詳しく説明されてあり、これらのすべてにあてはまる。このような患者を野放しにして、ユーラと権力をほしいままにさせておくなんて、これは異常なシナモン社会だ。

 

  ユーカラ病

 最近の学説によると、これは病気の中に含めないという立場もあるらしい。賛成である。通常のシナモンとほぼ変わらないユーウツ病のような時期があるものの、何らかのきっかけで、カラカイ病によく似た状態へと変化すると、恋人がいないとしても、まるで誰かに、あるいは何かに恋をしているような、幸福な状態になるという。このような状態を治療する必要があるのだろうか。病気の一種なのだから、治療すべきだと頑固に主張するシナモンを観察すると、どうやら、そいつは、通常の状態でユーウツ病であり、何かのきっかけで、(カラカイ病へと変化するのではなく)パラノイア症のほうへと変化するタイプのようだ。そのことに、そいつは、まったく気づいていない。こちらのほうこそ治療が必要だと思えるのだが。

 

  行動経済学

 地球暦2002年のノーベル経済学賞の二人の受賞者のうちの一人、ダニエル・カーネマン教授(これって、ほんとうに本名?)が発展させた経済学。経済が、理論的な考察でではなく、心や感情によって支配される、人間の気まぐれな行動で決まってゆくということを明らかにして、体系化したらしい。

 

  経済物理学

 これも地球の歴史上での用語。この経済物理学という分野が発見され発展するまえの、古典的な経済学を支えてきた理論の多くが、実証的な根拠を見いだせない、単なる空論でしかなかったことを、はっきりと描き出したもの。そのころ発展していた、カオスやフラクタルといった物理学の手法と概念を経済に適用して、観測データに基づいて、実証的に経済現象の解明を目指してきたもの。初期の研究者の中には、物理学や地球科学で活躍していた科学者の名が数多く見られる。古典的な経済学者には、とても使いこなせない、数学的な解析法を駆使できるのは、彼らしかいなかったようだ。

 

  ムユウシナモン

 意識のタイプを、自らでコントロールすることができず、この(軽度の)ユーウツ病の状態から、これとは異なる(できれば、カラカイ症状のような、明るめの)状態へと、一度も変化した経験をもたないシナモン。

 

  ナカカラヤミシンドローム

 シンドロームとは、原因不明にもかかわらず、幾つかの症例がともなって出現するときに、用いる病名に、つけるシッポ言葉(まくら言葉の逆)。

 ナカカラヤミとは、「中から病み」と「中から闇」を掛けた、シナモン的な症例とタラゴン的な症例とを、同時に表現するトルソ言葉(まくら言葉とシッポ言葉の中間に位置するもの)。この用語は、トルソ言葉とシッポ言葉だけで成り立っているが、これに先立つまくら言葉の中で有名なものをあげると、「スクイガタイ」とか「チシテキナ」とか「ゼツボウノ」というものがある。

 

  識別ミーム

 ものごとを区別するために(進化)発生したミーム。すべての識別はシナモンがつくったものであり、ここで紹介している用語も、作者(黒月樹人)が進化させた識別ミームである。

 

 戦略ミーム

シナモンが生きてゆくために、思考プールの中に保存しておく、コンピュータ言語でいうところの、サブルーチンのこと。ひとまとまりの行動様式。思考のダイナミックステレオタイプ。車の運転行為における、さまざまな判断基準のまとまりなどが、解説例として取りあげられるが、このパターンそのものが、戦略ミームに寄生されている。

 

 関連づけミーム

 ミームどうしをむすびつけるミーム。

ぼくなら、これらのミーム名を、もうすこし体系的なものとして表現するだろうに。たとえば、こうである。

「識別ミーム」は「対象ミーム」とする。「戦略ミーム」は「集合ミーム」とする。最後の「関連づけミーム」は「関係ミーム」とする。このように、対象ミーム、集合ミーム、関係ミームと名づけたほうが、より抽象化できて、広範囲の現象を説明することができる。今後の、ぼくの小説群のなかでは、これらの用語を用いようと思うので、よろしく。

 

  ミームは繰り越し可能

 「ミームは繰り越し可能」という、標語のような一文は、少し説明が必要であろう。

 たとえば、「死んでも、ミームは繰り越し可能」と言いかえれば、はるかに分かりやすい。このような考えの基盤には、輪廻転生の考えが潜んでいる。これを「考え」と呼んでよいのか「ほんとうのこと」とみなせばよいのか。これによって、すべてのことが、(写真から始まる一般の画像における)ネガとポジのように、がらっと変わる。

 このことについて、数多くの資料にあたってきた。それこそ、何十年も。ところで、この小説を書く、少し前の、最近、イアン・スティーヴンソンが書いた「前世を記憶する子供たち2」の翻訳本が出版された。イアン・スティーヴンソンは、この分野における先駆者でもあり、現役の研究者である。彼の調査は科学者としての立場をつらぬいたものだし、著作の表現にも気負ったところがなく、ほんとうに、科学論文を読んでいるように思える。このタイトルの一作目である「前世を記憶する子供たち」はロングセラーとなっており、「南アジアなど8文化圏の生まれ変わり事例を多数紹介」したが、今回の「前世を記憶する子供たち2」では、「ヨーロッパ11カ国から厳選した、40例の驚くべき前世の記憶を詳細に報告」している。ほんとうに、よい仕事をしてくださっておられる。

ぼくの小説は、もちろん、見てきたような嘘のしっくいで塗り固めているのだが、幾つかのエピソードの根幹は、ほんとうのことである。それらを、ジョークの離散被覆で、覆い隠しているわけだ。何と罪深いことか。

ぼくの小説で、笑いころげた人も、こっそり涙を流してくれた人も、少し時間をおいて、ぜひ、ほんとうのことをまじめに調べて書いてある、「前世を記憶する子供たち2」などを読んでほしい。きっと、死にそこなって幽体離脱してから、この世界に戻ってこなくても、人生観ががらりと変わって、もっともっと有意義に生きられるようになりますよ。ぼくだって、そうだったのだから、保障します。あぁ、ぼくなんかが言っても、あてにならないか。

 

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「『天国にいちばん近い町』の用語」に使われている用語(順不同)

に使われている用語(順不同)

3次用語

 

(候補)

対象ミーム

集合ミーム

関係ミーム

 

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こんなことをしていると、いつになっても終わらない。

ぼくの創造性のスイッチが、入れっぱなしになっている。

誰か、いいかげんに、とめてくれよぉ。お願いだからさぁ。ねぇ。

 

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終わり
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