黒月樹人闘病記(f1)病院食「断食Aと断食B」

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito 本名◇田中 毅 @黒月解析研究所)

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 はじめに

 これから語る物語の、ほぼ大半は、まるで交換日記のような、私が食堂の人々に宛てた手紙のようなメモです。
 それに対して、食堂で働く人々は、言葉なぞ話せないかのように、作り上げた料理で語ってきました。
 そして、起こった、まるで奇跡のような変化!
 ところが、そのようなドラマが展開してゆく前には、ひとつのドラマチックな物語がありました。

 断食A

 かんたんにまとめておきます。(どこが?)
 私はある日、突然の腹痛に襲われました。
 その前日、いわば、腐りかけていた天ぷらを、そのまま捨てるのはもったいないと思ってしまい、もう一度水で煮込んで、スープにして飲んだら、朝からずうっと胸やけが続いてしまい、漢方の胃腸薬を、食事の時間間隔で飲んではみたものの、この胸やけの症状は、まったく収まる様子がありませんでした。
 腹痛が起こったのは、その次の日だったので、何か関連があるのかと、色々考えたのですが、うまく説明がつきません。
 腹痛といっても、痛いのは、かなり上の方であり、ちょうど胃の出口あたりだったし、ふと気がついてみると、小便の色が赤かったのです。
 これらの症状をキーワードとしてウェブで検索したところ、その候補としての病名の一つに「胃がん」があったことと、痛みの様子から、これは末期の胃がんかもしれないと考えました。
 あとから考えると、家の玄関を開けておき119番に電話すればよかったのですが、土曜日に発病し、日曜日も病院は休みだろうから、明日の月曜日になったら病院へ行こうと、椅子に座ってコンピュータに向かうこともかなわず、すぐに布団の上に横たり、頭を濡れタオルで冷やして、眠れるわけでもなく、寝返りをうって姿勢を変えようとすると、胃袋の出口あたりが引っ張られ(あとから肝臓であったことが分かります)、何かが腹の中で重みのため激痛として、それを主張するので、やはり、上向きの同じ姿勢へと戻るしかありませんでした。ただ単に、時が経過するのを待つだけでした。
 月曜日がやってきましたが、腹痛はすでに激痛となっていて、私が起き上がるのを妨げています。月曜日になったのに、病院へゆくことができないのです。
 119番に電話するだけでよかったのに、この日も、ただ苦しみの中で、時間が経つのを、いやだいやだと思いながら、感じているだけでした。
 夜になって、身体にかなりの熱があることに気づきました。
 バカだから、それが病気によるものだとは考えず、部屋の中にずうっといたくせに、ひょっとすると熱中症も併発しているのかもしれないと考えました。
 その月曜日の夜11時、私は水風呂に入って、身体を冷やそうと思い立ちました。
 風呂に水をはり、静かに入って待つと、やがて身体の熱が水に移って、ぬくもりを感じる水温になります。
 身体も洗い、再び水風呂に入って、出てきたのは、翌火曜日の午前1時でした。
 水風呂に2時間入って、身体に震えがくるほど冷えたので、タオルで水をふき、大急ぎで、離れの隣部屋にある、ロングのソファーに横たわって、厚めの毛布をかぶりました。
 うまく眠れました。わずか2時間でしたが、深い睡眠でした。
 3時に目が覚め、腹痛が和らいだことと、身体がポカポカと暖かくなっていることを感じとり、もう一度水風呂に入ることにして、1時間で切り上げ、4時に眠ると、これもまた完全な睡眠となって、6時か7時ごろ目覚めることができました。
 火曜日の朝のことでした。私は身支度をして、自転車で病院に向かいました。
 この間、ほとんど何も食べていないので、筋肉にエネルギーがたまっていず、病院のある丘へと登る坂道では、自転車をこぐことができず、降りて歩いて押して上がりました。
 9時に受付を通り、内科の15番で待ちました。
 15番の患者呼出のパネルの数字は、予約患者のものが次々と現れ、ようやく私の数字が表れたのは11時になってからのことでした。
 内科の先生に、ここまでのことを簡単に話すと、すぐに検査へと回され、それらの結果をふまえて、2時頃だったか、
 「田中さんのお腹の中で、とんでもないことが起こっています。今日は帰れませんよ。即入院です。」
と言われました。
 ほんとうに私は、救急車で搬送されるべき、急を要する重症の患者だったようです。
 その日の夕がた、腹に細いチューブのようなものがさしこまれ、そこから肝臓にたまった膿が出され、ようやく痛みが引いてゆきましたが、今度は熱との戦いが始まりました。
 (中略)
 診察日が断食Aの4日目で、入院後も、何も食べることはできませんでした。
 ただし、入院後の点滴で、(82kgあったはずの体重が)77kgまで減っていたのが、79kgまでリバウンドしたのには驚きました。
 しかし、それは単なる水分補給のリバウンドで、やがて、毎日1kgずつ体重は減ってゆきました。
 入院後3日ほどたち、先生が、そろそろ何か食べることにしましょうか、と私に相談してこられました。

 重湯A

 先生の相談を受けて、私は、次のように答えました。
 「すでに腹痛が始まってから7日ほど何も食べていません。ちょうど断食道場などで、断食を止めるのと同じくらいの日数です。このようなとき、理想的なのは、玄米の重湯です。」
 「玄米は、ここの食堂では取り扱っていませんから、ちょっと…」
 「それは妥協するしかありません。」
 このような話し合いがあって、断食8日目の昼から重湯Aの食事が始まりました。
 私はかなり制限があることになっており、重湯Aといっても、おかゆをさらにお湯で溶いただけの、のりのような汁と、ほとんど何も具の入っていない味噌汁だったかと思います。
 その日の夕方も、この重湯Aでした。
 これらは金曜日のことでした。
 あくる日の土曜日の朝7時ごろ、私は、来たぁ〜、と感じてトイレに駆け込みました。
 ずるずるとするするを繰り返して、まるで黒く炭化したヘビのような、長い便が出ました。最初の便の一部を検便として採取する必要があったため、水洗トイレではなく、子供向けの動物の絵が描かれている簡易トイレで、それを出しました。
 これが、噂に聞いていた「宿便」というものだと、私は、その黒いヘビのようなものを、しげしげと眺めました。およそ1kg もの「大便」でした。
 看護師に報告すると、その簡易トイレにフタをして、どこかに持ち去り、検便を採取したそうです。

 8時の朝食も重湯Aでした。
 もう宿便も出たのだから、おかゆや普通の白米のごはんへと変えてゆくべきなので、私は、そのことを記したメモを書いて出しました。
 ところが、その日は土曜日になっており、担当の先生は休みをとっていて、先生からの指示がないと、献立は変わらないようです。
 その夜のメモで、重湯やおかゆなど、もういりません、代わりに野菜サラダをください、と記しました。
 だが、出てくるのは、ずうっと重湯Aです。

 断食B

 私にとっては、こんなものは、私の健康増進に役立つどころか、害になります。
 こんなものを食べるくらいなら、私は断食します、と宣言しました。
 看護師や看護助手の人が、もってきた重湯Aを突き返し、私は抗議のための断食を続けました。
 土日には当直の医師が病院にいます。
 彼が私の所にやって来て事情を聴いてきたので、これまでのことや、私が断食している理由を説明しました。
 しかし、彼は自分で決断できない医師であり、ほとんど何の役にもたちませんでした。
 重湯Aは、それでも続いてゆき、私の断食Bは、何の変化もなく続けられてゆきました。
 まあ、私は平気ですが、こんな抗議の断食をして、その人が万が一死んでしまったら、いったいどうするのでしようか。
 このあたりに、この病院の異常さを感じ取り、こんなところに居たら、ならなくてもいい病気になってしまうと、私は何度も繰り返して、呟きました。
 こいつら、みんなおかしい。
 ここは、ほんとうに病院なのか。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, September 21, 2016)

 

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