黒月樹人闘病記(f4)病院食「私はガンよりナイフ派です」

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito 本名◇田中 毅 @黒月解析研究所)

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 はじめに

 ここまでの物語は、これから記すメモのための序章でした。
 しかし、どのようにして、このようなメモが毎食ごとに書かれるようになったのかということを知って、これらのメモを読むことで、これらのメモが引き起こした「奇跡」のような出来事の意味が深く理解できると考え、めんどうではあったものの、これらのことは記しておかなければならないと判断したわけです。
 (※)は、ここで補う説明文です。
 はじめの頃は、日付や朝食、昼食、夕食のメモを記していなかったので、コピーをあとからもらったのですが、時系列に沿って並べられていないようです。
 ですから、正確な日付などを記すことができません。

 パンを黒パンに換えてくれとは申しません

 ごちそうさまでした。
 こんなにすばらしい献立があるのに、どうして今まで、重湯Aやおかゆを出してきたのですか。
 これは理想的な食事です。
 これなら、(朝、昼、晩)と繰り返し南海出してもらってもかまいません。
 パンを黒パン(ライ麦パン)にかえてくれなぞとは申しません。
                        田中 毅

 (※)これは2枚の薄切り食パンとおかずなどの朝食でした。確かマーガリンだったと思います。針ほどの細さに切ったニンジンが具となっているコンソメスープがついていました。他には、何か野菜サラダのようなものと、果物か既製品のゼリーかな。このあとのメモでは、しつこく、このような内容について触れていますが、ここでは、もっと中心的なテーマについて語りました。

 れんこんサラダはシャキシャキとした食感が失われてしまっています

 ごちそうさまでした。
 おいしくいただけました、と言いたいところですが
 @ 今日のごはんは水が多すぎました。
 A れんこんサラダはむつかしい一品です。残念ながら、れんこんをゆがきすぎて、あのシャキシャキとした食感が失われてしまっています。
 これでは病院食にはなっても、「お店」(御見世とも書く)には出せません。
 B 西瓜を食べたのは、この夏2度目ですが、塩がじゅうぶんにかかっていないので、その甘みがうまく引き出せていませんでした。
 明日の朝食が「抜き」で食べられないのが残念です。
                  田中 毅

 (※)明日の朝食が「抜き」なのは、午前中に検査があるためです。
 この日の、もうひとつのテーマは、ごはんがゆるく炊きすぎていたという点です。
 こんな失敗は、1度か2度で、水加減をつかめばよいことです。
 また、れんこんの茹で過ぎも、調理中に「かげん」を見て味見などをしていないことがバレバレです。
 このように、このころまでの病院食は、多くの患者さんにとっても不評で、みんな、そういうものだからしかたがないとあきらめていたように感じ取れていました。
 しかし、私はくじけたりあきらめたりしません。
 上記のような問題点を見つけて、はっきりと指摘したわけです。

 私はガンよりナイフ派です

 ごちそうさまでした。
 本日の食材を利用して次の2種のサンドウィッチをつくりました。
 [1] パン → ピーナッツバターコート → ロースハム → バナナの薄切り
 (私、ナイフを持っていますので。私はガンよりはナイフ派です。ガンはコレクションできませんが、ナイフはいろいろなものをあつめられます。)
 [2] パン → ピーナッツバターコート → 玉葱ソティ → バナナの薄切り
 この [2] の味は予想できませんでしたが、まあ、やきそばパンの、そば抜きのようなもの、のようなものでしょうか。
 これからも私の発想にくさびを打ち込んでください。
                   田中 毅

 (※)これらのメモは直接食堂にいかず、中継として看護師が目を通していたようです。
 そこで「ナイフを持っています」のところが問題として、主治医のウマノスギゴケ先生と、ビニールフーセン看護師が二人そろって、私のところにやって来て、病院の規定だから、患者はナイフやハサミを持ってはいけないということを盾に、私のナイフを、母に持ち帰らせるように要求してきました。
 私はあきれてしまいました。ナイフといっても、それは日本製の安いキャンピングナイフで、果物の皮をむく、キャンプに使うときの紐を切る、ちょっとむつかしいけど、釣った魚をさばく、などに使うものです。これでバナナを薄切りにして何が問題なのか。
 ナイフやハサミを持たせないという理由は、ある程度推定できます。それで自殺してしまう可能性を排除したいからでしょう。しかし、いったん人が自殺しようと考えたら、この病院には、いたるところに、それを実行することができる、もの、場所があふれています。
 道具や場所から、自殺を思いとどまらせるのは、何をしても無理です。靴下でも首をつることができますし、ズボンを使ってもできます。だからといって、患者を裸で過ごさせておくわけにもいかないでしょう。
 髭剃り用のカミソリが自由に使えるのだから、それで手首を切ることだってできます。
 だから、病院側がすべきことは、自殺したくなるというような状況に患者を追い詰めないことです。たとえ診断の結果がガンだとしても、このあと生きられる時間がわずかしかないとしても、そのことをどのように受け止めて生きるのかを、きちんと指導することが、第一に行われるべきであり、ありとあらゆる自殺の道具や機会を取り上げるというのは、間違った作戦です。
 ちなみに、私はナイフを(家で)少しコレクションしていますが、版画で仕事をしていたので、彫刻刀は一本何千円もするものを何本も持っています。日本刀などの刀鍛冶が、破片を打って作った切り出しも、いろいろあります。
 きわめつけは、家を引き継いだときに、倉庫の奥に眠っていた、錆がついてぼろぼろになっていた、(ご先祖様たちが魚屋さんだったので)出刃包丁や、大きな調理用包丁を、砥石で研いで使っています。いずれも買えば何万円もする名品です。
 あと、鉈やマサカリもありますし、魚屋さんがトロ箱にひっかけて運ぶ、つめが一つだけついた道具、大工道具のノミもそろえてあります。
 ナイフとして何年も使ってきたのはバック社のもの。また、日本の関で作られた少し高めのナイフも、山へ入るときには、腰に吊るしておきます。いざというときに、カバンの中を探しているようでは、命が助からないこともありますから。
 このように、日常生活の中で、色々な刃物を使っている私にとって、バナナやリンゴを切るナイフが危険物だという認識は、まったくありません。
 医師や看護師の言い分として、それらは凶器の一種として使えるものだということを聞いて、私は笑ってしまいました。
 「凶器」はナイフなどではなく、「私自身の体」だからです。
 実際に使ったことはありませんが、私が本気で人間を相手にすれば、死なせてしまう可能性があります。それだけのパワーは持っています。
 だから、私は物理的な力を使わないようにしているのです。
 でも、私の場合、言葉そのものが、凶器のように、するどく突き刺さるのだそうです。
 そうかもしれません。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, September 23, 2016)

 

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