黒月樹人闘病記(f8)病院食「肉よりも魚よりも、さらに、そばが好きです」

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito 本名◇田中 毅 @黒月解析研究所)

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 肉よりも魚よりも、さらに、そばが好きです

 ごちそうさまでした。
 本日のメニューをはっと見て、これはウィンナーと野菜サラダを具にしたサンドウィッチができると考えましたが、マーガリンでなかったのでやめました。
 実際には、パン一枚は、マーマレードのベースに、桃ゼリーをのせて、もう一枚は、マーマレードの下地でウィンナー2本をはさんでいただきました。
 ここの朝食のメニューは、とても楽しみです。
 ところで、私は関東で10年仕事をしていましたので、肉よりも魚よりも、さらに、そば好きです。本日の昼食はぜひ「ざるそば、わかめごはん…」のほうを、いたく希望します。
     田中 毅

 (※)これは、ある日の朝食の感想文でした。
 これに対応する昼食についてのコメントは「A定食とB定食」という、くだりのやつです。
 「A定食のところB定食に換えていただき」(黒月樹人闘病記(f7)病院食「A定食のところB定食に換えていただき」
 日付を入れておかなかったため、病院食を作っておられる人たちが整理してコピーして下さったものについて、その順序が混乱してしまっています。
 もちろん、それは、日付をいれておかなかった私の責任なのですが。
 ともあれ、朝食後に、今日の昼食は「B定食(ざるそばの定食)がいい」と言って、それが聞き入れられたのですから、担当の医師が8時過ぎに訂正しても、その日の昼食で重湯Aが出たという、かつての硬直したシステムから、ここまで変化したのです。
 その間に、私が食事制限をする必要がなく、肉食禁止でも、牛乳禁止でもないということを、ひとつひとつ説明しておくというプロセスがあったわけですが、それでも、このような変化が生まれたということは、ここに特筆しておくべきことです。

 本日の昼食の完成度の高さ、いたみいります

 ごちそうさまでした。
 本日の昼食の完成度の高さ、いたみいります。
 酢のものの味つけも、ちょうどよく、初めて、酢のものらしい酢のものを食べたような気がします。
 茄子田楽も、皮までむいて調理され、これで、有田の小皿に盛ってあれば、メインの一品となります。
 すき焼きのベルはいくらでもあげられますので、高いお金を払っていない上、何も申すことはありません。「お昼からすき焼き」というのは、私にとって考えられないことです。
 いいんですか。お昼にこんなものを出して、ハードル(の高さ)をあげてしまったら、口の肥えた私が、夕食を辛く評価することになってしまいますよ。
      田中 毅

 (※)この後の夕食についてのコメントが次に続きます。

 これまで、このように優れた膳をいただいたことがありません

 ごちそうさまでした。
 結論を先に述べます。これまで、このように優れた膳をいただいたことがありません。
 ここ連日、ごはんの炊きぐあいも完璧で、いつ気がゆるむかと思っておりましたが、スキ(隙)がありません。
 銀ダラの塩焼きも、見事な焼き加減で、とくに皮のところの脂身の甘さと塩かげんが絶妙でした。これにハシバミを一本つけると、一流料亭の一品として出して恥ずかしくないものと評価されることでしょう。
 ヒジキの煮物は母の得意料理で、いつも鍋にたっぷり作ってもらったものを、毎日続けていただいてきましたが、それと入れ替えて出してもらっても、おそらく区別がつかないものと思われます。
 私は、このヒジキの煮物が大好きなのです。
 そして、小松菜と桜エビのお浸しも、塩の制限のある人の多くいる、この世界のことゆえ、塩が不足気味だと私が思っても、これはあたりまえのことです。桜エビはアクセントで、主菜の小松菜は、しゃきしゃき感がほどよく残り、生きていました。

 ところで、実は私が今生活をしている、本町の「旧魚屋(固有名詞なので変えました)」は、私の曾祖父が始めた家なのですが、それ以前の江戸中期から、その付近の古地図で名称が記されている、由緒ある「お茶屋」でした。
 曾祖父も祖父も魚屋を営み、祖父は仕入れ問屋も仕切っていました。
 そのような、その家の先祖霊や、血のつながったご先祖さまたちの、隠れた遺伝子が、私に伝わっているのだと思われます。
 自分では調理師免許をとらず(他の免許なら、うじゃうじゃと)、別のことをしてきましたが、なんだか分からないけれど、一般の食事に対する食通でもあり、コーヒーや紅茶のテイスティングでも、その才能を秘めています。

 よくぞ、わずか数日の短期間で、ここまで料理の心を磨き上げられたこと、まったく、驚きにたえません。
 それと、やっぱり私は、教えてなんぼ。陸上競技でも、自分はちっとも強くならないのに、指導した選手たちは、やがて日本のトップクラスへと浮き上がっています。

 幸か不幸か、あと何日かしたら、こんなすばらしい世界から、出てゆかねばなりません。
 どうか、私がいなくなっても、食事をいただいてくれる患者さんのことを思い、調理の技と心を磨きあげてゆき、みなさんに喜ばれるような、楽しくて、美味しい世界をつくりあげてください。
 今までの、えらそうな発言を素直に受け止めていただき、とてもやりがいのあることをしてきたと、満足感にひたっております。
 あと何日か、この世界の深い味いを楽しませてください。
                    田中 毅

 (※)高いハードルをまんまと超えられてしまいました。
 このあと私は、食事の評価としてのネタに困り、色々なことを書いてゆくことになり、このメモを書いていた用紙のサイズも、A6のメモ用紙から、A5を飛ばして、A4のコピーペーパーとなります。
 ここからが、このメモの、本領発揮といったところでしょうか。
 ここで終わらないところが、私が、たんなる書き手に過ぎないということの、ひとつのシグナルでもあります。
 おそらく私は、何者かに乗っとられているのだと考えられます。
 悪魔や阿修羅でなければよいのですが。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, September 30, 2016)

 

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