黒月樹人闘病記(n)誰のために看護するのか

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito 本名◇田中 毅 @黒月解析研究所)

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 誰のために看護するのか

 そんなこと決まっているじゃないか、と言い切ってしまう人がいるかもしれません。
 しかし、現実は、そんなに簡単なことにはなっていません。
 そのことがよく分かっている人、まったく分かっていない人が、ごちゃまぜになっているのです。そのことを象徴する、よいエピソードがありますので、ご紹介します。

 私ははじめ708号室に入っていました。
 私自身が自分で自転車に乗っては来たものの、まったくもって、救急車で搬送されてきたとしてもおかしくないほど、治療の急を要する、「とんでもないことがおこっています」と表現される、かなり重病な患者でした。
 初診のその日のうちの手術により、肝臓にたまっていた膿の大部分が吸い出され、痛みが和らいだものの、まだ高熱にうなされ、まったく眠ることができないという患者でした。
 しかし、もちまえの基礎体力と、何事にもへこたれない精神力、さらには、受けを狙って笑いをとるために、心底エネルギーを注ぎこむことができる、いなおりともとれる、底抜けに徹底的な、ポジティブ思考ウィルスの感染者ということで、通常の患者では考えらないような回復力を見せているので、こんな、ここから出ることを誰ももう考えなくなっているところに置いておくのは不適当だと思われたらしい。
 私は717号へと引っ越しすることとなった。
 わずかばかりの荷物をまとめ、この708号室のある東の廊下のなかほどから、ナースステーションや談笑コーナーのある中心街の角を90度回って、こんどは南の廊下のどんづまりの、いわば、極地と呼ばれる、ひっそりとして静かな、ほとんどうらびれた様子の(みんないっしょや!)、その窓側のベッドへと移った。
 一晩寝て分かった。ここでは誰もいびきをかかない。さいはての極地バンザイ。

 移転2日目の夕刻だったと思う。
 夜担当の(女の)看護師がやってきて、こう話しだしてきた。
 「708号のもとのべッドが急きょ空きましたので、そちらへ移られてはどうですか?」
 「なんで? 昨日来たばかりなのに、また戻れ、かよ。そんな話、聞いたことないぞ。」
 「ナースステーションに近いほうが、先生も行きやすいし、ナースもすぐやってきます。」
 「それは、そっち側の都合だろ。そんなの、少々遠くなっても、あんたらが、もう数歩だけ歩けばすむことだ。こっちには関係ない。」
 「でも」
 「でももへちまもあるか。ここでは誰もいびきをかかない。向こうの人はもうここから出られないくせに、いびきだけは元気そのもの、向かいの人はご飯が食べられないと言っているくせに、隠れて(もともと隠されている)買ってきてもらったかっぱえびせんを30分くらいかけて、ばりばり食ってる。イライラするぜ、まったく。
 とにかくここは、シベリアの僻地みたいに不便かもしれないが、左遷された、こっちにとっては、安住の地なんだ。移転の話は、きっぱりとおことわりします。」
 看護師は、むっとなって黙り込み、血圧の測定を始めようとした。このとき、他の誰もやったことが無かったが、上向きになってベッドに横たわっている私から見て、彼女は左側にいたのだが、私の左手には点滴のための注射針が、まるで、フォーリングスカイズ(米国で大ヒットしたSFテレビドラマ)のハーネス(地球侵略の手が2本で6本脚の宇宙人たちが、地球人の子供たちを支配するために取り付けた背中の補助器具、実は、古生代カンブリア紀前期終盤から中期に棲息していた捕食性動物のアノマノカリスによく似た生物)のように、しっかりと2センチ以上も静脈に針を潜らせているので、こっちで調べることはできない。
 だから、血圧測定をする腕は右手だ。決まっている。それは私の右側にある。
 看護師は左手側にいる。
 そこで彼女は、腹にまだ管を入れて、肝臓からの膿まじりのスープを袋にチューブで誘導してためていることを知っているはずなのに、その腹に少し身体を触れさせて(残念ながら、おっぱいのふくらみの感触はなかった)、左側から右の腕に、血圧測定の幅広バンドを巻いて、そこへ空気を送り込み、まんまとことをなしとげてしまった。
 なんて雑な仕事をするやつだと、私は心の中で思った。
 それから彼女は、あといくつかの仕事を、ひとりごとだったかもしれないが、ぶつぶつ文句を言いながら、こなした。
 私はとうとう、がまんしきれなくなって、こう言った。
 「あなたは、この仕事に向いていません。辞めたほうがいいです。こんなことしているより、もっと自分にあった仕事を、ハローワークへ行って探し、そっちに専念したほうがいい。そのほうがあなたのためでもある。さっさと辞めるべきだ。」
 こんなこと言われて黙っているものは、めったにいない。いたとしたら、言い過ぎたといって誤る。
 案の定、彼女は、こう聞き返した。
 「なぜですか?」
 私は黙り込んだ。
 彼女は私が冬眠状態の繭に化けてしまったので、これ以上ここにいてもしかたがないと考え、出て行った。

 それから私は、いまのことが頭のなかでぐるぐる回って、ちっとも冬眠モードに入れないので、手紙を書くことにした。原文はあるにはあるのだが、今手元にない。記憶に基づいて、そのあらましを再現したい。

 人間は、ある基準に照らし合わせてみたとき、次の2種類に分類されます。
 @ もっぱら人のためにのみ、何かをしようとする
 A ただ自分のためにだけ、何かをしようとする
 はっきりと言います。
 あなたは典型的なAの人間です。
 なんて雑な仕事をする人だ、と思って、私は直ちにあなたをAの範疇に分類しました。
 あなたは私の愛情こもった話に対して、「なぜですか?」と聞き返しましたね。それは純粋になぜかということを聞きたいからではなく、それについての私の返答に対して、いかにして言い返してやろうかと身構えていたということが、超能力者の私には分かるので、返答するのは無意味だ、このまま続けていたら、まるで夫婦喧嘩のように、相手をののしり合うだけだと判断して、さっさと休戦の白旗を上げることにしたのです。あなたは、それを見て、占領地域から撤退したというわけ。
 もし@の人だったら、私から「辞めたほうがいい」と聞かされたら、ショックで落ち込み、尻尾を巻いて安全な洞窟などに逃げ込み、少し泣いて、落ち着いてから、いったい私の何が悪かったんだろう、私は何をしたのだろうと、自分のしたこと、言ったことを、ビデオテープで再生するかのように記憶の中で振り返り、そこから、自分のいたらなかったところを見つけて立ち直りのきっかけをつかんでゆきます。
 あなたはAのタイプですから、何かうまくいかないことがあると、その原因をいつも自分の外側の何かに求め、下手に理由づけして納得して、あなたは何も変わらない。エゴは自分を消してしまいたくないから、そうして、そうして幻の姿を維持しようとするのです。
 あなたがすることは、患者さんにとっては不愉快だ。ほかの人に変わってほしいとみんな思う。すると、あなたは、こんなにいっしょうけんめい働いているのに、誰も私を評価してくれないと感じ、ますます、この仕事がいやになる。この悪循環。私が注意しなくても、あなたは、他にもっと自分にあった世界があると思うようになり、この世界から飛び出してゆく。そして、ちょっとほっとして、次の世界を見つけ、同じことを繰り返す。
 もしあなたがこの看護の世界にとどまりたいのなら、@の人を見つけ、その人のまねを、まるで女優のように、うそでもいいから演じて、@の人のように化けることです。
 そのように化け続けてゆくことにより、以前の自分がAのタイプであることを、すっかり忘れて、まるで、生まれたときから、私は生粋の@のタイプだったのよ、とうそぶくことでしょう。誕生日大全にもそう書いてあるし、星占いだって看護座なんだからと、自分自身に好都合な理由だけをコレクションしてゆきます。
 それでいいのかもしれません。@であることを最後まで演じきれれば、その人生は@として記録されます。
 ちなみに、私はAのタイプです。だから、このような世界の仕事にはつかないように、いままで心がけてきました。私は自分のことしか考えていません。こうしてこんな手紙を書いているのも、Aのタイプの人に看護してもらいたくないからです。まったく自分のために書いています。あしからず。

 記憶に基づいて再構成しました。ちょっと脚色したかもしれない。まあ、どこなのかは、誰にも分からないし。
 一晩眠って目覚めたとき、簡易仕切り壁のむこうや、カーテンの向こうで、彼女が患者さんに接している声がしました。
 まったく別の人のように思えましたが、声の周波数分析を(機械を通さず)生の頭でやってみると、それは確かに、昨日の彼女でした。
 でも、Aではありません。@の人の声でした。
 最後に私のベッドのところに来たとき、私は小さなタオルがまだ湿っていたので、頭と目にかぶせ、横たわっていました。
 あさの挨拶も、ぶっきらぼうに流しました。
 こんな感じ。
 「田中さん、おはようございます」
 「おはよ」
 「おからだの具合はどうですか。痛みはありませんか。」
 「ない」
 「じゃあ、今日も元気におすごしください。」
 「ああ(ほっとけ)」

 それから彼女は、他の患者さんとも打ち解け、だれからも好ましく思われ、それほど美人のつくりではないものの、だれよりも輝いて、きれいになっている。
 最初あったとき、昨夜だんなとうまくいかなかった、でがけに息子が手をかける問題を起こした、という感じのヒステリー主婦に見えたのだが、どうやら、それは私の妄想らしい。彼女は独身なのかもしれない。きっと、これから人気者になる。誰かが彼女に花束を贈る。
 そんなストーリーが思い浮かんで、
わたしは幸福な夢の花園のなかに入って午睡する。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, September 10, 2016)

 追記

 この看護師に宛てた手紙のようなメモの一部がコピーで手に入りましたので、その原文を記しておきます。

 2種類の人間

 この世界には、ある基準にてらしあわせて、2種類の人間がいます。
 @ 人のために何かをしようとする
 A 自分のために何かをしようとする
 あなたが朝やってきて、私の右手で血圧を測ろうとして、ベッドの(私から見て)左側にいたまま、私の身の上に押しかぶって仕事をしようとしたとき、こんなケースは初めてだ、なんて雑な仕事をする人だ、と思いました。私は腹が痛いはずの患者です。その腹の上にのりあがってしまうなんて、ムシンケイです。幸い私は、もう痛みが無いので、なんともありませんでしたが。
 部屋を換える件を持ち出してきたときの話の進め方も、まったくAのパターンでした。
 ドレナージのパッケージの、くだのガイド位置についてのトラブルのときもAでした。
 そして私が「あなたは、この仕事に向いていない…」と言ったとき、「なぜですか?」と聞いてきたのも、聞いて反省するためではなく、反論するためだと、すぐに感じとり、私は説明を続けませんでした。
 (※)後半のメモは手に入っていませんが、ほぼ上記のとおりだったと思います。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, September 24, 2016)

 

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