黒月樹人闘病記(o14)グルテンフリーの身体

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito 本名◇田中 毅 @黒月解析研究所)

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 鈍感さ

 私は今年の夏、自らの判断ミスでやってしまった食中毒の結果、暖かい温床でゆっくりと培養された、ばい菌のスープを、圧力釜で30分というものでもなく(生物学を専攻していた大学で習ったように、それを3日繰り返せば完璧だったのに)、ただの鍋で、ほんの少しだけ加熱するという状態、つまり、適度にお湯が沸騰しだしたら、それでもういいと考えてしまい、それを、まあ、こんな感じならいける、とばかり飲み干したのでした。
 ところが、いつまでたっても、このスープが消化されたという感じがしません。ずうっと満腹感が続き、やがて、異常な不快感へと変化してゆきました。
 私は、近くの薬局兼スーパーへとゆき、めずらしく、薬品棚のほうを眺め歩いて、胃腸薬を見つけて買い求め、それを、家に帰ってから飲みました。
 でも、効きません。
 時間をおいて、何度かに分けて、飲みました。
 同じこと。やはり、効きません。
 この、ばい菌スープは、この日から4日たって、ようやく病院に行って検査してもらったときの、CTスキャンの画像において、まだ、その胃の中に残っていたのです。
 おそらく、私の身体が、何らかの理由で、鈍感になっていたようです。
 そんなにやっかいなものなのだったら、吐いてしまえばよかったのに、そのときの私の身体は、なにも反応せず、ただ、その不快感を受け入れていたのです。
 あるいは、大量の水を飲んで、無理やり吐くか、そのまま、下剤でも飲んで、洗い流してしまえばよかったのだと、今なら思えます。

 肺がやばい

 ばい菌スープを飲んだのは8月19日で、入院したのは23日のことです。
 すでに、このばい菌は、胃袋や十二指腸あたりだけでなく、胆のうへと登ってゆき、その壁に穴を開け、隣接している肝臓へと進行し、そこに、握りこぶし大のコロニーをつくっていました。
 ここから、治療が進んで、やがて、その肝臓の「戦場」も終結し、痛みのようなものは何も感じられないし、血液検査で調べられてきた、白血球のレベルなども、ほぼ通常の人の値にまで下がって、私は「仮退院」ということになりました。
 「退院」ではなく、なぜ「仮退院」かというと、ばい菌を肝臓へと送った、「胆のうがガン化している」から、それと「ガンの転移の可能性がある、肝臓の病変部分を摘出する必要がある」とされていたからでした。
 しかし、「仮退院」後のCTスキャン検査の結果により、肝臓はほとんど完治しているということと、「ガン化しているため変形した」とされていた胆のうが「完全にもとどおりの正常な丸い形に戻っている」ということが明らかになり、私はめでたく「退院」ということになったのでした。
 ところが、このあたりから、私の「病変」部分は、「胆のうや肝臓」から、「肺」へと移ったのです。
 私は若いころ結核でした。入院こそしなかったものの、肺のX線画像には、結核菌に冒されてできた影のようなものが写っていました。
 でも、若かったので、エネルギーに満ちていた私は、陸上競技のトレーニングをすることで身体を鍛え、大量の酸素を肺に取り込むことで、結核菌の活動を抑え込んでいたのです。
 とはいえ、現在の私は、もう若くはありません。陸上競技のトレーニングもしていることにはなりますが、もっぱら、若い人たちにコーチをするため、走る形を具体的に示すくらいの運動です。このような指導を行った日の夜、私は、横たわって眠るとき、脚の筋肉がけいれんを起こしてしまうので、何度も起き上がり、中庭や土間の台所などを歩き回って、脚の筋肉のコンディションを整えなければなりません。
 話がそれそうです。
 問題は、脚の筋肉のことではなく、肺の結核菌のことでした。
 そいつがまた活動を始めだしたのではないかという状態に、私は陥ってしまいました。
 とくに、病院の先生に病気のことについて説明するとか、事務の人に「カルテの開示」のことについて申請するといった、精神的に大きな負荷がかかっているとき、私は何らかのエネルギーをたくさん使っているはずです。あと決まって、「肺がやばい」という状態になってしまうのです。
 なぜ、そこでエネルギーが消費されるかというと、もちろん私にとっても、それらは目に見えるものではないものの、何か固いものや大きなもののように感じ取れるものを、私の精神と言葉の力で打ち壊そうとしているからです。
 あと、コンピュータプログラムの、右脳を集中して使う仕事を長時間続けるとか、(毎朝夜明け前に起きているため、ふつうの人の午後すぐあたりの時間帯のことですが)すでに眠るべき時間を越えて車を運転しているときなどにも、「肺がやばい」という状態になります。
 ここから逃れる方法は3つあります。
 @ 睡眠
 A 森や川のような自然な場所での散歩
 B 食事(によるエネルギー補充)
 ところが、誰かを乗せて車を運転しているときにとれる手段は、Bくらいしかありません。
 私は、そのようなとき、車をコンビニに止めて、チョコレート、パン、コーヒー、ガム、のど飴などを買い求め、それらをいくらか飲み食いし、車に戻って運転していました。
 しかし、そのBの、食事によるエネルギー補給でも、「肺がやばい」という状態が消えなくなってゆきました。
 @の睡眠も増やし、Aの散歩も、可能な限り行いましたが、風邪でもインフルエンザでもないのに、やたら咳込むという状態が続いていました。

 中毒?

 これらの生活のどこかで、私はある本屋で、「長生きしたけりゃパンは食べるな」[1] というタイトルの本を見つけ、それを買い求めて、すぐに読み切ってしまいました。
 そして私は気がついたのです。
 私もグルテン中毒におちいっているのかもしれない、と。

 アルコールの確かな中毒患者だったことがあります。40歳台の頃のことです。
 今では、そのころのようには飲みませんが、それでもときどきビールやウィスキーが飲みたくなるというのは、やはり、アルコールというものの中毒であり、その症状が出ているのだと考えられます。

 他の本で「炭水化物が人類を滅ぼす」[2] という本も読みました。
 この本で語られているテーマは、とても多く、それについて語ってゆくと、ここでのテーマの流れから外れてしまいますので、次のことだけ取り上げることにします。

 (1) 江戸時代に江戸の街に大工などの職人がたくさん集まったのは、武士に取り上げられた米が安価に出回り、田舎では食べられない「銀シャリ」が(そこで何らかの仕事に就いて働くことにより)たらふく食べられるということにひきつけられたから。
 (2) 産業革命のイギリスで、人々が都市に集まって、工場で働くようになったのは、プランテーションが発達して砂糖が安価に手に入るようになり、工場経営側の費用で、休憩時間に提供される、砂糖が入った紅茶を飲むことができ、砂糖によって甘味づけられるようになった数々の食事を家庭で食べることができるようになることに、人々がひきつけられたから。

 このようなストーリーの展開を読んで、江戸時代の江戸の人々は「銀シャリ」に、産業革命時代のイギリスの人々は「砂糖」に、それぞれ中毒させられて、それまでの、農村での生活から移って来た、ということだと、私は解釈しました。

 「アルコール」は、とても分かりやすい中毒物質です。
 でも、「銀シャリ(白米)」と「砂糖」が中毒物質だとは、なかなか考えつきません。
 そして、小麦粉に入っている「グルテン」も、そのようなものだとみなされるとは、これまで、まったく考えもおよばないことでした。

 病院で私は、白米のおかゆを薄めた「重湯A」しか提供されずにいたという経験があります。これは、医者と栄養士のミスなのでしたが、このとき私が強く「玄米の重湯がいい」「玄米がなければ麦飯でもいい」と言っても、まったく無視され、現代の日本人が陥っている「白米信仰」にのっとって、大切な栄養が削り落とされ、食物繊維がきょくたんに乏しい白米と、同じく精製された小麦粉で作られたパンによる食事しか出されませんでした。
 これでは明らかに食物繊維が足らないと感じとって私は「野菜をサラダでほしい」と、主張もしたのでしたが、これも無視されました。
 このため私は、この生涯で最悪ともいえる「痔」になってしまったのです。
 ここのところの論理関係は、ごくごくシンプルなものです。繊維質が不足しているため、便となるものが細かな単位で集められ、それを排便したくなって、一日に5回という大便に続き、次の日は8回という、記録的な排便回数でした。これでは、「痔」にならない方が不思議なことです。
 「仮退院」してからは、自分で好きなものが食べられるようになり、玄米食や麦飯など、そして、たっぷりの野菜サラダ(とくに毎食リンゴ1ヶずつ)、青魚としてもっとも廉価なイワシ、大豆そのものや豆腐など、健康に良いものを食べることができ、あらゆる食生活や生活習慣の問題が解決されたため、主治医が予想もしていなかった、急スピードでの症状の回復ということになったわけです。しかも「ガンの疑いがある」とされていた、胆のうも、完全にもとどおりの状態になってしまったのです。このようなことは、胆のうがガン化して変形していたとしたら、まったく理解することはできません。

 私は、このように、心身ともに健康になっていたはずだったのですが、ここのところ忙しくて、私の胆のうがガンではなかったということが明らかになって、いよいよゴブリンアイズの販売に向けての、最後のラストスパートをかけるため、時間がたらなくなって、ついつい玄米食を忘れてしまい、コンビニで買ったパンとコーヒーで済ませるという生活へと変化していたのです。
 そして、「肺がやばい」という状態になってしまった。

 この仮説は、正しいかどうか、はきっきり分からなくても、確かめてみる価値はあります。
 私はさっそく、玄米を圧力釜で炊いて、うまく炊けたものだから、かんたんなおかずで、ドンブリで2杯を平らげました。
 そして、そのあとから、ふと気がついてみると、咳込んでいたはずの、肺がまったく「やばく」なくなっていたのです。
 いくら車を運転して、精神的なエネルギーを使い込んでも、まったく咳込むことはありません。
 結核菌?
 そんなものがいたとしても、増えたとしても、私の肺は、なんともなくなったのです。
 変わったのは、玄米ご飯を食べたということだけです。
 ああ、そういえば、ただの玄米だけではなく、発芽玄米も入れていました。

 このあと私は、私自身がまとめておいた、ハトホルたちのメッセージのページを読みかえし、「生命エネルギーは、発芽玄米などの、生きている食物から得ることによって高められる」ということを、あらためて確認しました。

 それから私は、それほど厳格なものではありませんが、「長生きしたけりゃパンは食べるな」[1] で紹介されていた、グルテンフリーの生活へと進んでいったのです。

 まずは、自分で作っていたクッキーを、米粉主体のものへと変えました。
 コンビニなどによってパンとコーヒーを食べていたのを、(少し妥協して)白米ごはんのおにぎりとコーヒー(変な組み合わせですが)に変えました。
 うどんも食べなくなりましたし、パンもだめなので、外に出て一日活動するときは、自分で炊いた玄米ご飯の弁当を作りました。
 だから、つまりは、外食というものをしなくなったわけです。

 身体の反応(敏感さ)

 グルテンが含まれる小麦粉製品をさけるようになって2週間から3週間たっています。
 私はあるとき、自転車でまる一日、仕事のためのチラシ配りを終えて、夕方戻って来て、立ち寄ったところの近くで売られていた、タコ焼きを2パック求めて食べました。
 その翌日のことでした。病院から出て、自分の家で暮らし始めてからは、ずうっと理想的な、細いバナナのような便が出ていたのでしたが、このとき、ほとんど下痢便のような、形をもたない便が出ました。
 私は、その理由を考え、昨夜のタコ焼きかもしれないと考えました。
 別の日に、別のところのタコ焼きを食べましたが、これは大丈夫でした。1皿だったからかもしれませんし、ビールを飲みながらだったかもしれません。
 こんなこともありました。
 座り炬燵に改造したものを、下に組み込んである机に座って、コンピュータに向かい、チラシ制作のための作業をしていたとき、急に気分が悪くなって、吐き気を覚えました。
 こんなことは、もう20年ほど体験していません。若いころ、お酒を飲み過ぎて、吐く、吐きそうだ、と思って、吐く場所を探すときと同じです。
 でも、このときは、お酒は飲んでいませんでした。
 私は部屋を出て、中庭にある金魚やメダカの池はまずい、水洗のトイレまではもちそうもない、そうだ、台所のシンクへ出してしまおう、と考えて、そちらへと向かったのですが、あと1歩か2歩というところでがまんできず、台所の流しの手前の土間に吐いてしまいました。
 まだ残っています。台所の流しへの進路は、自分の反吐(へど)でふさいでしまったので、中庭に戻り、何もないコンクリート面へと吐きました。
 これは水道水で洗い、台所の土間のものには、この町で支給されている生ごみから作った肥料をまいて、それと混ぜて、生ごみのポリバケツへと入れました。
 アルコールが含まれていないのに、なぜ吐いてしまったのか。
 食べたのは、自分で作ったカレー味のシチューです。
 可能性の一つは、それといっしょにつまんだ、イワシの酢のものが悪くなっていたかもしれないということ。
 もうひとつは、シチューのカレー粉に入っていた、とろみづけのための小麦粉。
 どちらなのかは、はっきりとはしませんが、とにかく私は、何かよくないものを胃袋に入れたため、吐き気を覚えて、それらをすっかり吐いてしまったのです。

 入院することになって、あれこれと問題を起こした、腐った天ぷらの煮物を、何日も胃袋で保存していたくせに、今回は、1時間そこらで、まるで、思い出したかのように、これは「まずい」とばかりに、どこか適当な場所で出そうと考えていた私の意志とは無関係に、身体の独自の判断で、おおあわてのまま出してしまったということです。
 どちらのほうが正しいのでしょうか。
 私の命の視点からは、もちろん、後のほうです。

 ちなみに、もうひとつエピソードがあって、この数日後、私は少し経済的な余裕ができ、近所の酒屋でジム・ビーンを1本買い、これをちびちびとなめるように飲みながら、ゴブリンアイズのチラシを入れる封筒に押すつもりの、スキージャンプをするゴブリンくんの下絵を描いていました。
 あれ、と目覚めてみると、私は着ていた服のままベッドにいて、すっかり翌日になっていました。下絵は、ほんのわずか進んでいただけでしたが、まあ、完成はしていました。
 あきらかな二日酔いでした。ジム・ビーンの瓶を見ると、底にツーフィンガーほどしか残っていません。一晩でこんなに空けたのは、アル中だった20年ほど以前から、初めてのことです。
 私はさらに眠ることにして、昼前の11時まで眠りました。
 これも何年ぶりかのこと。
 このとき、私は、どこにも、何も吐いていません。
 私の肝臓は、もくもくと、身体の中に入って来たアルコールを分解していたようです。
 そいつは、ばい菌による攻撃から回復し、さらに強くなってしまったのかもしれません。

 これから何日か経過していますが、私は、パンなどの小麦粉製品を食べたいと思わないのと同時に、ウィスキーをはじめとするアルコール飲料を、自然な意味で、飲みたいとは思わなくなりました。
 食事も、あまりたくさん採らないのに、一日中活動することができます。
 たぶん、私の身体は変わってきたようです。
 ひょっとすると、これがほんとうの姿なのかもしれません。
 見かけはちっとも変っていませんが。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, December 11, 2016)

 追記

 さらに2ヶ月近く(あと4日で2ヶ月)経過しています。
 その後、一度、350ミリリットルの缶ビールを飲みながら夕食を食べた後の翌日、腹痛はともないませんでしたが、完全な下痢便でした。その前後の日々の朝の便は、理想的なバナナ形の便でしたので、原因は、わずか350ミリリットルの「ビール」だと考えられます。
 夏に入院していたころ、看護師の質問に応えるためもあり、小便と大便の回数をメモしておくだけではなく、その色や形状も、詳しく記録していました。
 退院してからは、質問されることがなくなったため、そこまで厳密に記録していませんが、とりあえず異常かどうか観察するという習慣がついています。
 だから、下痢便はとても珍しいことでもあり、それについての、何らかの生活上の変化をたどると、やはり、夕食に飲んだ「ビール」しかありません。
 私の肝臓は、これぐらい何ともない、とばかりに、ウィスキー1本弱のアルコールを(翌日の昼頃までかかりましたが)分解したものの、もういいかげんにしてくれ、と、私の脳に信号を送ったのかもしれません。
 そして、私の脳は、アルコールを拒否するという決断をしたのだと思います。
 それ以来私は、ビールやウィスキーを飲みたいという、あの、アルコール依存症の感覚を、すっかり忘れてしまいました。
 そういえば、入院中は、あれほど食べていたグミなどの、甘い食べ物も、とくに食べたいとは思わなくなってきました。グルテンのことは考えなくても、パンも、視野に入ってきません。
 グルテンのことについては、この2ヶ月ほどの間で、炊いてある玄米が無くて、次の玄米を炊くのも、水に浸してないので、すぐにはできないと、やむなく、保存してあったスパゲッテイを一束茹でて食べたのですが、嘔吐、下痢便などの、特異な症状は出ませんでした。
 ただ、このスパゲッテイを食べたあと、コンピューターを使って、ゴブリンアイズの色加味解析の配色を編集し直していたのですが、このとき、メモっておいたプランを、プログラムへと移すとき、行数が合わない、と言うことに気づいたものの、何故なのかということがなかなか分からず、その原因を突き止めるのに何分もかかったのです。
 この問題が解決したとき、こんなことは、(夜勤専門のときや、日勤と夜勤の交代勤務のときのような)以前は何度もあったが(それが理由でクビになったことも)、ここ最近の私としては、こんなつまらないミスをしてしまう、ということが珍しくなっている、ということに気づかされました。
 おそらく、このような、ボケミスを誘発した原因は、スパゲッテイの成分として入っていた、小麦のグルテンによる、腸もしくは脳における炎症とみなされます。
 どうやら私は、それほど強いグルテン感受性の高い状態ではないようですが、通常の人(や、以前の私)が気づかないレベルで、思考にかかわる脳に炎症をおこし、ボケミス(ひどくなったら痴呆症)をやってしまう、というレベルでの反応はするようです。
 これまでの私を含む、多くの人々は、自分が馬鹿で、物忘れがひどく、ボケやうっかりミスをするのも、生まれつきだからとか、教育がわるかったからとか、もう年だから、といって、何もわからずに、あきらめていたのではないでしょうか。
 しかし、グルテンを避ける生活を、2週間を経過し、しらずしらずに、2ヶ月も経験してゆくと、注意力が高まった、昼食をとった午後一でも眠いと思わなくなった、精神が安定し、以前なら腹を立てていたようなことについても、自然と流せるようになった、というような変化を、いつのまにか、これがはじめから自分にそなわっていたことだと、誕生日大全にも書いてあるし(書いていません)、星座も天使座なのだから(そんな星座はありません)と、都合の良い理由だけを探してしまいます。
 これらはジョークでしたが、私たちが馬鹿であることの中心的な理由は、生まれでも、教育でも、老化でもなく、単に、食べていたものの中に、脳を侵すものが入っていた、ということではないかと、今の私には推定できます。
 なんであれ、私たちの、みじめな状況は、食事についての指針を変えることで変えることができるかもしれません。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, January 7, 2017)

 参照資料

[1] 「長生きしたけりゃ パンは食べるな」、フォーブス 弥生(著)、稲島 司(監修)、SBクリエイティブ株式会社(刊)2016-11-15
[2] 「炭水化物が人類を滅ぼす」、夏井睦(著)、光文社(刊)2013-10-20

 

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