黒月樹人闘病記(o19)血圧が180を超えたのは何故?

黒月樹人(KULOTSUKI Kinohito 本名◇田中 毅 @黒月解析研究所)

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 血圧変化の原因は?

 2016年の夏から秋にかけて、私は、自身の不注意から、すでに腐ってしまっているイカの天ぷらを、ほんの少しゆでただけで食べるという、今から思うと、阿保か、とも、ばっか(馬鹿)じゃないの、と思えてしまうようなことをやって、内臓に激しい炎症をおこして、入院治療の生活を体験しました。
 おかげさまで、この病気の中心的な症状は、なんとか消えてゆき、私は、あんた、どこが病気? と、入院患者仲間から、からかわれるほど元気になってゆきました。
 この入院生活のとき、退屈なので、「虫の惑星」という本を、ゆっくりと読みこなすことができましたし、この「黒月樹人闘病記」のいろいろな作品も生み出すことになりました。
 さらに、このとき、私は、持って行った、100円ショップで買った小さなスケッチブックに、ふだんはやったことのない、きちょうめんさで、排せつの回数やその内容、体温の変化、そして、看護師の方が定期的に行う、血圧や血糖値の計測結果も記録しました。
 9月15日に「仮退院」して、次の「入院」(と手術)に備えて生活している間も、街の薬局などに置いてある自動の血圧測定器で、自分の血圧を調べました。
 このとき、私の血圧は、最高値が180を超えるという、かなり高血圧だと分かっていましたが、これは、私の身体が、体内のばい菌と闘うため、白血球などの「兵隊」を増やすために、せっせと血液を作ろうとしているためだと理解し、これが特に問題のあることだとは考えませんでした。
 ところが、ここ最近、食料品もおいてある薬局に立ち寄り、久しぶりに血圧を測ってみると、最高値が130台で、最低値は80くらいで、まるでそれがあたりまえであるかのように、正常値へと収束していたのです。
 正確な記録としては手元にありませんが、8月23日の初診の日、提出する書類に記載する必要があったため、待合所にある計測器で血圧を測ったのですが、確か、最高値は120くらいで、下は80くらいだったと思います。まあ、3日ほど腹痛で何も食べなかったのですから、やや低血圧なのは当然だと思われます。
 いつのまにか、そのような、私にとっては低血圧とも思えるレベルへ血圧が下がってしまったので、いったいこれは何故なのだろうか、入院中の血圧変化はどうだったのかと思い、記録してあったメモから、日付と体重と、血圧と血糖値の記録を集めることにしました。

 血圧が180を超えたのは何故?

 「仮退院」後の、日常生活を送っていたときの、血圧では、10月7日(仮退院後3週間経過、CTスキャンの検査に来たとき、甲賀病院近くの薬局で)178-110、10月20日(近所のユタカで)170-102, 180-92と、かなり高い値でした。1ヶ月ほど経過して11月7日(ユタカで)186-99と、これが最高記録だろうと思っていました。

 仮退院したときには、白血球のレベルを示すCRP定量が0.43と、体内に何の炎症もない、正常な人の値とされる0.3以下に、あと一歩であり(入院直後の8月26日には28.62という値でした)、9月27日の検査では0.27となっていて、もう炎症は収まっているというのに、11月7日になっても、血圧は、まだ186-99となっていたわけです。
 だから私は、血圧が高くても平気な、ちょっと普通とは違う人間に「進化」してしまったのではないか、とも思っていたのでしたが、その後の経過を見ると、まず11月19日には164-93です。私の「高血圧人種説」は、まだ崩れていません。

 ところが、思い出したかのように、食材の買い物のついでに、12月15日に(ユタカで)測ってみたら、133-82という値になっています。
 なんだ、私も「普通なんだ」、「正常な値になってしまうんだ」と思い知らされました。
 ユタカの従業員の人は、私が残念がっている様子がおかしいのか、微妙な笑顔を浮かべて、おめでとうございます、と言ってくれます。私は「高血圧(耐性)人種」ではなく、「普通の人種」だったわけです。これでいいのだ、と言うしかありません。

 このような変化を確認して、入院中も、私の血圧は高かったはずだ、と思い込んでいたのでしたが、記録を調べてみると、意外なことが分かりました。
 次に、入院中に記録してあったメモから、かんたんな出来事と、体重、血圧、血糖値などを拾い出し、表としてまとめました。

 8月23日の入院日から8月31日まで



 このあたりのトピックは、8月19日(金)の食中毒による腹痛のため、しかも、ほとんど動けないという激痛のため、8月20日(土)から、入院日の8月23日(火)まで、何も食べていない(水は飲めた)という、ほぼ断食状態が続き、入院してからは点滴で栄養補充され、体重が急に2キロも増えたことに驚いたことがありますが、口からは何も入れておらず、そういう意味で、断食(A)が7日間続いたことになったということです。
 その断食をやめるための食事について、主治医から相談があったとき、私は「玄米の重湯」がよいということを述べましたが、それは無理というので、「白米の重湯」で妥協しました。
 8月26日(金)の昼と夕に、重湯Aを2回とって、翌朝の食事前、きたぁ〜とばかりに、宿便を排せつしました。ところが、このあとも、ずうっと重湯Aが続くのです。宿便が出たあとは、少しずつ変化させて、通常の食事に変えてゆくのが「常識」なのに、それが理解されておらず、私も、聞かれなかったので、分かっているのだろうと思っていたのですが、主治医は土日の休みに入っており、その間、病院の食事を管理している栄養士にも、当直の医師にも、私は食事内容の変更を依頼したにもかかわらず、まったく無視され、やむなく断食(B)を始めることとなりました。
 あとで開示されたカルテを読むと、当直の医師の判断が、ずいぶん無責任であったことが分かります。まるで、そのようなことは、私が勝手にやったかのようにとらえているのです。ここのところは、問題点を調べあげ、的確な判断と行動で、これを解決へと進めてゆく必要というか、義務のようなものが、当直の医師であれ、医師である以上、あると考えられます。
 この間に私の体重はどんどん減ってゆき、日常生活のときも、陸上競技場で走れるようにと、無駄な脂肪をつけずに筋肉だけはつけようとして、80キロを少し上回って82〜83キロくらいがベストコンディションだったのに、いつの間にか、73キロ台へ落ち込みました。
 このとき、脂肪はもうほとんどないので、筋肉がエネルギー源として使われ、体内のミネラル不足を補うため、骨からもカルシウムなどが溶けだしたようで、仮退院後に撮影してもらった、右上あごのX線画像によると、そこのところにあった、のう胞の空間が、春に埋まりかけていたのに、再度、悪化していました。
 夜の点滴を止めてもらったのも、重要なことのひとつですが、話が永くなってしまうので、これについては述べません。
 8月30日の夜明け前、グミなどを食べたため、朝食前の血糖値検査で200の値が出てしまいました。看護師から201以上ならインシュリン注射だと注意されました。200なので、今回は(インシュリン注射をしなくて)よいそうです。検査の直前に甘いものを食べないことを、以後、意識してゆくことになりましたが、どういうわけか、この入院中に、グミやチョコレートにはまってしまい、また、ひどい食事内容のため、どんどん体重がへってゆくことに危機感を覚え、これまでの生活で守って来た、肉食を避ける、牛乳を飲まない、などの健康のための指針を、やむなく取り下げ、「何でも食べられるので、何の制限も不要です」と主張し、ご飯も大盛りにしてもらいましたが、たいした量ではなく、やはり、体重は減ってゆくばかりです。
 そこで私がとった戦略が、夜食でエネルギー不足を補うというものでした。病院にある購買で、パンや野菜やグミなどを買っておき、それを深夜に散歩したとき、ゆっくりと味わって食べました。夏だったので、夜は外でも寒くありませんでした。広い駐車場の、近所の住宅がわあたりは燈りがないので、夜空が暗く、星座がきれいに見えました。

 9月1日から9月15日の仮退院まで



 このあたりに、血圧の180越えが起こっています。
 血圧の上の値が180を超えたのは、9/2(金)の朝と、9/3(土)の夕との2回だけでした。
 9/3(土)の夕がた近くには「黒塗りのフォルクスワーゲン」事件があったので、その興奮から戻って血圧検査を受けると、上の値が200を超えていて、これだと何らかの処置が必要となってしまうため、安静にして、再度測るということになり、それが186-110の値です。
 9/2(朝)の186-96の前には、とくに事件らしきものもなく、ただ、眠れないので、病院の外周や駐車場を歩いていただけでした。しかし、やはり、前日、病院の購買で買っておいた、パンやグミなどを食べていたようです。
 パンやグミなどは血糖値を上げるだけではなく、血圧もかなり上げるということが、これらの情報によって推測されます。
 9/2の夕食前の検査で血糖値が220となっており、これは、午後、リハビリ―テーション庭園にある、あずまや(四阿、東屋とは庭園などに眺望、休憩などの目的で設置される簡素な建屋, ウィキペディアより)で、黒月樹人闘病記の、いくつかの漫才台本を書いていたとき、脳がエネルギー不足を訴えたので、買ってあったグミなどを食べたことによるものと思われます。5袋は多すぎたようです。
 インシュリン注射は初めてでしたが、腕にではなく、おなかの脂肪の辺りにブスリと針が刺されます。そこには神経があまりないらしく、ほとんど痛みは感じません。
 あれ? こんなもん? とは思いましたが、なんとなく、屈辱感を味わうこととなりました。
 翌朝の104は最低値のようです。110台は、よく歩きまわって、運動していたら、普通に出る値です。



 血糖値が、昼の計測時に200を上回ったが、実際の昼食までには時間があるので、インシュリン注射よりは、血糖値検査のパチンのほうが良いと(担当の看護師に)交渉して、30分ほど歩き回りました。
 その前に、まず水を1リットル以上がぶ飲みしておき、暑い外に出て、職員専用の駐車場の隙間を、まるで迷路の壁に沿って歩くように、くまなく、速足で歩きました。速足はジョギングと同じエネルギー消費だということを知っていたので、これを採用したわけです。入院していなかったら、100mのスプリントランニングを何本か反復したことでしょう。
 9/4(日)と9/5(月)の、2回の速足運動で、血糖値なんて、かんたんに落とせるということが分かりました。だから、血糖値が高いからといって、糖尿病を恐れ、インシュリン注射などをするというのは、まったく間違っています。もっと歩けばよいのです。ベッドで休んでいては健康になれません。もっともっと歩くように習慣づけるべきだし、歩くことが楽しくなるように、リハビリテーション庭園に、一方通行の道ではなく、周回できる小道をつくるべきです。これは投書したのですが、無視されました。
 医師だけでなく、事務方も、患者の健康増進のこと、病気からの快復のことを、何も考えていません。ああ、そして、自治体の議員や、病院の管理者となっている、首長たちも。私が送った投書を、その首長の配下の役人の誰かが「業務妨害だ」と言い切って、病院の、これもまた、わをかけたようにごうまんな、臨時の事務方に、「病院のことは病院でやれ」と命令したらしいのです。
 この期間のトピックとしては、私が生涯最悪の痔になったことがあげられます。これが、あたかも、私自身の責によるものであるかのように、医師や看護師は考えていたようですが、違います。これは、明らかに、病院の食事体系の不備のだめです。明らかに食物繊維が少なすぎます。「麦飯案」も「野菜サラダ案」も提案したのですが、まったく無視されました。
 ここは本当に病院なのか。何度も、そう思いました。
 さらに、「黒月樹人闘病記」でいろいろなエピソードとしてまとめたように、ある種の医師や、ある種の看護師の行動に、あるいは事務の人間の行動には問題があるということを具体的に説明し、「あなたがたは本当に医師であり、看護師なのか」と非難したことがあります。
 これについての反論はなく、代わりに、ストレスもたまっているようですから、外泊してはどうですか、と、まるで、これらの問題の責任が、私のほうにあるという扱いを受けたのですが、夜だけでもここから出られるという妥協案を、私は受け入れることにしました。
 夜だけでも家に帰ることができれば、水風呂に入って、ひどくなった痔を治療することができます。帰りにスーパーなどによって、リンゴを買い求め、これを食べることで食物繊維を補うことができます。
 これらのことにより、私の痔は回復してゆき、まるで、柔らかいシカの糞のようで、ひどかった大便の形状も、少しずつ、小さなバナナのようになってゆき、私は健康のしるしを確認してゆくことができました。



 9/10(土)と9/11(日)は、ほとんど家で生活したようです。
 開示されたカルテを読むと、医師たちが、ほんとうは、どのように考えていたのかが分かります。
 私としては、3週間も病院の中で管理されず、さっさと退院させてもらい、必要な検査は通院の形でやってもらったほうがよかっただろうと、今なら言えます。
 しかし、腹にドレナージの管を差し込まれている以上、病院にいるしかない、と思わされてきました。

 仮退院と(形式的な)退院のあと



 甲賀病院からの仮退院と、滋賀医大での退院後も、肝臓や胆のうの病変はすっかり治っており、CRP定量の値により、血中の白血球のレベルも下がっていて、病気である要素は何もないはずなのに、血圧は高いままです。



 11/19(土)の164-93の後の記録が乏しいので、詳しくは分かりませんが、ちょうどこのころから、パンを食べることを止め、完全な玄米食を続けています。
 甘いものがほしかったという欲求も、米粉のクッキーを焼いて、それを食べていると、あまり甘いものが欲しくないようになってゆきました。
 米粉のクッキーは、一つだけで満足してしまい、次から次へと口に運びたいとは思わないのです。市販のお菓子は、その点、やはり、何らかの中毒現象を利用していると考えられます。

 アルコールも、ウイスキーで二日酔いしたあと、しばらく心理的に拒否するようになり、少し残っていたものも、飲んでもおいしいとは思わなくなりました。
 それよりは、コーヒーや紅茶のほうがおいしいと思い、やがて、それらよりも、マテ茶やハイビスカスなどのハーブティーのほうを、強く求めるようになりました。
 求めると言っても一人暮らしなので、自分で入れるわけですが。

 玄米には豆類を一緒に入れて炊いています。野菜はキャベツ、白菜、白ネギ、たまねぎ、ニンニク、パセリ、セロり、人参などです。魚としては(安価な)イワシの調理にはまっていて、いろいろな加工(調理)をします。鶏肉も、ガラなどの骨つきのものを使ってスープをとり、それをベースとして、いろいろ変化をつけてゆきます。卵も使います。最近、乾燥小イワシのダシジャコも、よく食べます。塩は五島灘の天然塩で、砂糖は黒砂糖か甜菜糖を使います。あとは、醤油とみりんと酢などの、基本的な調味料、それと黒コショウ、これくらいで味つけをします。そういえば、味噌や塩麹もつかっていました。
 (タンパク質、炭水化物、脂肪の)栄養と(ビタミン、ミネラル、食物繊維の)栄養素のバランスがよいらしく、ほとんど空腹感を感じずに、日に二食ていどで過ごしてしまいます。

 運動は、かなりやっているはずです。歩いて用事を片付けにゆくことも多いし、セールスのため一日中自転車に乗っていることもあります。

 睡眠も、最近は寒いので、長めに布団の中で過ごしているので、7時間くらいはとっています。



 頭脳の明晰さは、コンピューターのプログラムに関して、ゴブリンアイズの問題点に取り組むときの状態が、以前では、もうあきらめていたという状況でも、何の努力もなく、たんたんと問題解決のための手順を進めようとしていることから、ずいぶん進歩したものだと、思えます。

 最近、リノリウムや青ゴムで版画を彫っているのですが、何時間でも集中して続けてゆけるので、以前なら(間に気分転換も入れることで)何日もかかっていたような作品も、何時間かで彫りあげてしまいます。

 このような変化は、グルテンのことはそれほど厳格に考えなくても、パンを食べず、玄米を中心に、野菜や魚、豆、卵、鶏肉あたりを食べることで、脳を含めた、私自身の身体と精神のコンデションが高まったためだと理解できます。

 これまでの私は、なんて愚かだったのか、と悔やまれますが、しかたがないのかもしません。このような知識は、ごく最近に分かってきたことであり、しかも、医師や看護師や、病院の栄養士さんなどが、まったく気づいていないという、とんでもなく喜劇的な状況だったわけです。なぜかというと、病院の、医師や看護師や栄養士さんたちは、病気を治していると思い込みながら、患者たちに、まったく別の病気を生み出しているのですから。

 内科や外科は、まだ、間違っていないことをやっているという実感もあるかもしれません。でも、(ある種の)精神科の先生方は、まったく見当はずれのことをやってきているのではないでしょうか。
 さまざまなレベルの精神的な症状も、小麦粉で作られたパンを食べないということを中心的な指針として、グルテンをとらない食生活をすることで、かんたんに消してゆくことができる、ということが明らかになって来ました。[2] [3]

 これから、私たちのこの世界は、少しずつ変わってゆくと考えられます。
 ただし、その変化は、じわりじわりと、ゆっくりとしたものだと考えられます。
 でも、一人ずつ、個人の変化ということになると、ある瞬間から、まったく思ってもいなかったような変化が起こることでしょう。

 私にとって、その瞬間は、11月13日に「長生きしたけりゃ パンは食べるな」[1] を読んで、私は玄米食主義者なのだから、忙しいからと言ってパンばかり食べていてはだめだと気づき、玄米を炊いて(どんぶりで2杯)食べたら、それまで「肺がやばい」と感じていた、結核なのか、喘息なのか、エネルギー不足を感じながら咳込むという症状が、ピタリと消えてしまったときです。
 とにかく、もう咳込むことはないのだ。
 そう思えたことが、変化の、まさに始まりでした。

 まとめ

 長くなってしまいましたので、かんたんにまとめておきます。
 炭水化物としての、パンやグミを食べると、血糖値が高くなるのは、よく分かります。
 しかし、私自身の体験によれば、パンやグミを食べることによって、血圧も高くなるということが分かりました。
 そして、このようなものを食べているとき、私は少しばかりハイになって、おしゃべりとなり、ジョークを生み出す才能に切れができ、漫才台本シリーズのような作品まで生み出せるようになります。
 それと、何でもですが、間違っていることに対して、どうしてもゆるせなくなり、ここはきちんと言っておくべきだし、それが相手のためでもあると、考えて、そして行動してしまうわけです。
 ところが、パンを食べず、甘いものもアルコール飲料も、とくにほしいと思わなくなり、玄米を中心とした、栄養のバランスがとれて、食物繊維などもしっかりととれている、現在の私としては、人々が少々間違っていても、それは私の責任ではないし、それで健康被害や、いろいろな問題を、その人がこうむることになっても、それは、その人の責任に関わることだと、ずいぶんと、冷めた人間になりました。
 それで私が無気力になるとか、うつ状態になるというわけではありません。
 私には私にとってやるべきことがたくさんあるのだから、そこまで、かかわってはいられない、というところでしょうか。
 ともあれ、私は、肉体的にも精神的にも、かなり正常で、かつ健康だと考えられます。
 ひとつだけあるとすれば、やっぱ、金欠病でしょうか。

 追記

 ここまで記して、表7の、本日1/9(月)の血圧の欄が空白なのでは、片手落ちだと考え、近所のユタカに行って、みそと卵を買うついでに、血圧を測ることにしました。
 計測の1回目は、いつも高く出る傾向があるので、これは信用しないこととし、2回目と3回目が似た値となって、これを採用することにしていました。
 しかし、今回の2回目の上の値は140で、3回目は138と、やや高めです。
 念のため、いつもはやらない4回目を計測したところ、上の値として150が出ました。
 この日の血圧は「少し高め」とみなせます。
 なぜだろう、と考え始めました。
 レジで支払いをすませるときも、なぜだろう、とつぶやいていました。
 そして、帰り道の、畑の横にできた踏み分け道を歩いているとき、後ろから自転車がやってきて道を譲ったあと、ふと思い出しました。
 今朝の主食は玄米ではなく、お餅だった、と。
 残り物の、骨つき鶏肉とキャベツなどの野菜のスープに、年末に母と、機械でついた餅を4つばかり入れて、餅入りスープを食べたのでした。
 なるほど、お餅は玄米の仲間ではなく、白米の仲間として作用します。
 血圧が「少し高め」だという理由は納得できました。
 とはいえ、これくらいの変化は、そんなに気にするほどのことではありません。
 ただ、炭水化物は血糖値だけではなく、血圧の値も引き上げる、ということの傍証となるかもしれないというだけのことです。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, January 9, 2016)

 (ここのところの まとめ)
 これは単なる仮説として読んでください。
 ここで分析しているように、同じ炭水化物でも、お餅だと血圧の高い値が150くらいなのに対して、パンだと180となります。ちなみに玄米だと130くらいです。
 (Written by KLOTSUKI Kinohito, January 10, 2016)

 参照資料

[1] 「長生きしたけりゃ パンは食べるな」、フォーブス 弥生(著)、稲島 司(監修)、SBクリエイティブ株式会社(刊)2016-11-15
[2] 「いつものパン」があなたを殺す、原題Grain Brain(穀物脳)、デイビッド・パールマター&クリスティン・ロバーグ(著)、白澤卓二(訳)、三笠書房(刊)2015年1月
[3] 小麦は食べるな! 原題WHEAT BELLY(小麦腹)、Dr. ウイリアム・デイビス(著)、白澤卓二(訳)、日本文芸社(刊)2013-7-10

 

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